≪第四四話≫ No.46-Ⅱ
≪第四四話≫ No.46-Ⅱ
斎藤義政は、豪胆な面と細心な面を持ち合わせた男であったので、直ぐに中之口には近づかず、迂回して月潟村近くで陣営を張った。そして敵の動きを観ながら、高野・稲島の協力を待った。
しかし、戦では秋葉時房が一枚上手であった。白根の佐藤政綱と巧みに連絡を取りながら、翌朝日の出を待たずに一挙に3方から、取り囲むように攻め寄せた。
斎藤軍は、円陣を張り防御に尽くしたが、秋葉・佐藤2,800に対して、斎藤軍本隊2,000は次第に数の差が出始め、2刻(4時間位)過ぎると、陣営が崩れ出して、正午には大勢が決まって義政は本陣の400の兵に守られながら、敵陣を突破して中之口の先の長場まで引き上げていった。
秋葉方は追撃の兵を出したが、三条からの後詰の兵500が向っていたので、深追いを止めて、一旦柿島の味方城に向って引き上げて行った。月潟の戦は秋葉軍の勝利に終わったが、斎藤勢の攻防も可成有ったので、犠牲者は秋葉400、斎藤700で双方それなりに傷を負った。
しかし、その日の夕暮れに、義政に大きな吉報が届けられた。帰途についていた秋葉軍が、鎧潟を横切ろうとしたと時、稲島軍が奇襲を掛けて敵を大混乱に貶めていると云う物見の報せであった。義政は直ぐ様、後詰の500と散解していた800の兵を束ねて、鎧潟に急行した。
戦場に近づくと、秋の原野に野火の煙が立ち登り、秋葉勢はあちこちで兵が分散して多くの悲鳴が飛び交っていた。
義政は秋葉軍の惨状を見ながら、敵の本陣に駒を進めた。秋葉氏の旗竿が揺れる場所に着くと、そこに30程の人の塊が倒れていた。確かめると秋葉時房と見られる首のない敵将を始め、斎藤家の重臣達が何人も倒れていた。
一体何が起ったのか、兎に角、残っている敵軍を追い散らした。秋の夕暮れは早く、日が沈むと敗残兵も皆、何処かに消えていた。漸くして、松明が炊かれ、勝ち残った斎藤勢と稲島軍が集まって来た。
斎藤義政は、全身血飛沫を浴びて、散切り頭に亡霊の様に立ち竦んでいた稲島俊兼を見つけて、声を掛けた。
「俊兼、ようやったぞ。この戦の一番手柄ぞ。」と云って、彼を抱きしめた。負け戦がこの男によって大勝と成ったのだ。
後に、判った話だが、僅かの兵で2,000近い秋葉軍を倒した謎は、勝ち戦で帰途に着く秋葉軍と戦勝の慰労と護衛を兼ねて、同行していた佐藤政綱50騎は、鎧潟近くで、祝勝膳を用意していた村民の祝賀に答えたのであったが、実は稲島俊兼の戦略で柿島領民と偽って、待ち構えていたのだ。既に大勢は定まっていた折であったので、秋葉時房も油断をした。祝杯を上げながら、大いに寿いだ。
ところが、酒に痺れ薬が入っていた為、そこにいた秋葉家の当主以下重臣と、佐藤政綱及び嫡男・政興も体が痺れて、動けなくなってしまった。そこを鎧潟の水際に身を隠していた稲島軍250人が一挙に攻め込んで来たのだから、その場は正しく、修羅場と化した。
野火は予めこれも用意していた油を退路に流して、敵を分断する技であった。また、秋葉軍は連日の行軍とこの日の丸一日を掛けた戦に疲れきっていた。俊兼はその秋葉勢の状況と心理を読んで、この決死の奇襲を成功させたのであった。
この後、秋葉氏は当主の時房を失い、大きく後退して行ったが、勝った斎藤氏も主力を失い、暫くは力を温存せねばならなっかた。白根の佐藤政綱は、辛うじて一命は免れたが、自慢の後継者である嫡男の政興を失って、その後の稲島憎しの侵攻が続く事になる。
斎藤義政は、あの折の流れを回想しながら、この度の戦模様があの俊兼の血を引いている俊高である事を思い出し、「うっ、・・・・義兼、こは不味いぞ。鎧潟は、あ奴の罠だ!!。」
急いで伝令の早馬を用意させたが、まだ不安であった為、忍び衆に命じて、必ず攻撃前に文を手渡す様に伝えさせた。更に家老・石田芳時に命じ、600の後詰の兵を白根に向わさせた。
10月8日 寅の刻(午前4時過ぎ)、俊高は全軍に時を知らせ、総攻撃の準備に入った。先ず先陣として、永島公英率いる250の騎馬隊及び150の足軽隊が、左回りに西側の水路目指して、徐々に動き出した。
道程の半分程にきた時、足軽隊はそこで待機したが、騎馬隊は更に駒の速度を上げて、敵の陣営に近付いて行った。東の星空が少し白み掛けて来た。
大通川に繋ぐ水路近くには、俊高の命を受けた朱鷺の権坐と4人の忍びが、領民20人を束ねて騎馬隊が、板橋を渡るのを待っていた。その時、鎧潟に生息している野鳥の群れが一斉に飛び立った。250頭の馬の足音と地鳴りに驚いたからであった。
5,000羽以上もいたであろう野鳥が一斉に飛び立つ羽音で、虚ろの眠りの中にいた斎藤勢が一斉に目覚めた。
中央の本陣で陣羽織を肩に掛けて、仮眠していた斎藤親子も、はっと跳ね起きた。「如何した!!」と叫びながら、水鳥の羽音に気付いたが、「左翼に敵襲!!」と物見が叫んだ。左側の水路から、数百の火矢が味方の部隊に飛来していた。