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≪第四三話≫     No.45-Ⅱ

≪第四三話≫               No.45-Ⅱ

  義興は更に続けた。「この戦、我らを見くびった稲島の小倅(こせがれ)の高慢が招いた仕業(しわざ)よ。初戦の敗北で大人しく城に籠城致せば良いものを、のこのこ出てきよったわ。明日で一挙に片を付けてやろうぞ。一人も長者原城に返すな。各々方、宜しいなっ。」と最後は、祖父・義政の雰囲気をもって、陣営全体を圧迫した。

「明日の戦に置いて、話す事が有れば、申してみよ。」と父・義兼が最後に云ったが、既に出来上がっている策に口を挟む者は、誰もいなかった。

 その時、義興側近の侍が陣幕に入って来て、報告した。「御大将、お命じになられた板舟を周囲で探させましたが、どこにもござりませぬ。恐らく、この戦の前に、農民たちはどこぞに隠した様にございまする。」と告げた。「・・・そうか、それならば、止むを得まい。湖面を使わなくても、我らが兵力が有れば、充分ぞ。」


 三条の義政に鎧潟の戦況が届いたのは、その日の夜半であった。届けられた手文庫を開いて、総大将の義兼よりの報せを読んだ。

 『大殿、義興は大殿の再来の如く、威信と権威を持って戦を下知(げち)致して候。

 初戦の我が軍の大勝に、さすがの俊高も意気消沈して和納城攻撃に対して、本城より出兵致し、鎧潟に小さき防御地(ぼうぎょち)を作りて、領土の被害を食い止めるのが精一杯の(てい)でござる。

 我らは、明日、夜明けをもって、先陣・黒江黒騎隊を迂回させ、後方から攻めた後、本隊をもって正面より、総攻撃を掛ける所存に候。

 明日の内には、我らの大勝の報をお伝えできると候。   兼 』

 文面を読みながら、自軍の強さに威光を感じながら、予想以上の進展にほくそ笑んでいた。・・・が、ここ数年の俊高の戦振りを振り返って見ると、義政の中に黒騎隊の武勇は有っても、余りにも敵の動きに工夫がない。丸で大軍をもって取り囲んで欲しいかの動きである。・・・・その時、義政の脳裏にあの時の出来事が心の中を覆い始めていた。

 

それは20年前に (さかのぼ)る話しである。 越後・下越の覇者を決める戦いを新津領主・秋葉時房と激しい覇権争いをしていた頃であった。

斎藤家の筆頭家老・佐藤(さとう)政綱(まさつな)が、欲心を起して自立し、秋葉家と結んで反旗を(ひるがえ)した。西蒲原(にしかんばら)一帯は、三条・斎藤側と新津・秋葉側に分かれ、抗争が続いた。

その中の一番の戦いが、[鎧潟の戦い] であった。義政は、裏切った佐藤政綱に対して、時を置いて出兵した。()ノ森の戦いで初戦を征した義政は、その勢いで佐藤氏の居城・白根城を2500の兵で囲んだ。

しかし、これは秋葉時房と佐藤政綱の策略であった。負け戦を仕掛け、慎重な義政を白根まで引出した。斎藤軍が白根城を包囲いる間に、秋葉時房は自軍を小隊に分けて、全軍を密かに同盟国の柿島信吉の居城・味方城に集結させていた。

更に、赤塚の(くさ)日部(かべ)(ひで)(とし)((ひで)(さと)の父)も加って、総勢2300と成っていた。次の秋葉勢の狙いは、三条方の笹川城を囲むと見せ掛けて、救援に向って来る斎藤本隊を、白根軍と挟み撃ちにする手筈(てはず)であった。

笹川常(つね)(ゆき)(常満の父)は、斎藤方に付いていたので白根城包囲に300の手勢を用いていた為、居城には、200人の守備隊のみであった。常行は斎藤義政の許可を貰い、自国を守る為に中之口に急いだ。

一方この戦況の中で、岩室の高野氏と稲島の稲島氏は、斎藤氏の要請があったが自国を出ず、国境に其々、350と250の守備兵を待機させていた。特に、俊高の祖父・俊兼は斎藤・秋葉との抗争には組みせず、中立を保っていた。

実際には他の西蒲原の豪族達も、越後の守護(しゅご)騒乱(そうらん)以後、絶対的な領主に(はべ)る姿勢は取らず、時の勢いの中にその都度、己の行先を定めていたのだ。

秋葉軍の別働隊500が、引き返して来た笹川軍300に奇襲を掛けた。帰途に(あせ)っていた笹川常行の軍は、横合いを攻められて隊列を崩すと一機に総崩れとなり、半分の兵を失って、残りが辛うじて中之口城に辿り着いた。

その後、秋葉勢は全軍で城を囲んで、激しく攻め立てたので、常行は斎藤義政に助けを求めた。義政は、盟約の要である笹川軍が裏切らない為にも、援軍に向わざるを得なくなり、翌日白根から、中之口川を渡って笹川領に入った。

この時、義政は最後通知として、高野・稲島両氏に秋葉勢を攻撃する様に伝令した。しかし、戦況的に斎藤側が不利と視て、和久の義父である高野和(かず)(まさ)は国境から動かなかった。一方、稲島俊兼は密かに自軍を別の場所に移動させていた。


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