≪第廿九話≫ その3. No.35 ≪第廿九話≫ その4. No.36
≪第廿九話≫ その3. No.35
中世以前の社会は商工以外で純然とした職業の区別は存在しない。特に第一産業の人々(農業・林業・漁業・牧畜業など)は、有事において即、防衛の戦闘集団となって外敵に当っている。純粋な武士団というのは、中央政権(朝廷や幕府)以外には存在していなかった。故に、稲島の郷人の様にいざとなれば武具をつけて戦う農兵となる。
しかし、国主から禄や手当(報酬)を貰い、常の構えの出来ているお抱えの武士団が何と云っても主流であり、兵力であった。稲島ではその数が今、420名と云う訳である。
俊高には、ギリギリまで皆に打明け出来ぬ計略があった。この仁箇山に再び陣を張り、本隊を置く。実は偽装した農兵のみであったが、兎に角、佐藤政綱にこちらが先回同様、仁箇山に拘って駒城(長者原城の別名)を出ても決戦すると思わせなければならなかった。
そして、今一つは、笹川軍を支城の平沢城や鷲の木砦に向かわせたかった。だから、伏兵を置き、高野勢と図って奇襲を駆けると明言していたのである。
俊高は、生前の父・俊秋から何度も『敵は外に有らず!内に有り‼』と云われていたが、その本質は勿論、己が自身の克服である事が第一義ではある。しかし、更に目を向ければ、外敵よりも身内、味方の中に反する者がいると云う意味でもある。
若い俊高にとり、その本当の意味はまだ判ってはいなかったが、この乱世、特に弱小で周囲から好まれていない我が稲島家がこの存亡を越えて行く為に、必ず、敵に内通している者がいると考えねばならなかった。
身内にも、本音を明かせぬ戦国時代の悲劇は、人と人が殺し合う事は勿論であったが、一番の不幸は身内を含め、他人を信用できぬ極限の世情であったのだ。裏切り、裏切る。云わば、下剋上は常の事である。
本隊150名は既に、長者原山の間道を縫って平沢城に向かっていた。今、こちらに向かっている笹川勢を奇襲する為に・・・其の事は、佐野久衛門以外に味方の誰にも洩らしてはいなかった。
≪第廿九話≫ その4. No.36
「高野を余り信じてはなりませぬ。」と久衛門が常に云う様に、和久夫婦は信じ得たが実権が家老の荒田惣衛門が握っている以上、今回の同盟もぎりぎりの処まで行かなければ、宛てにはできぬ。先回の訪問で微妙に流れる高野家の人間関係から観てそれは容易に組取れた。
惣衛門は裏のある男であると久衛門が伝えたが俊高も余り、好きになれる男ではなかった。だからこそ、高野領の目の前で笹川勢を撃破したかった。そうすれば、さしもの荒田惣衛門も出兵の下知を出さねばならないはず。佐野久衛門も俊高の戦法に感じ入った様であった。
仁箇山を降りた二人は、一端、駒城に帰る振りをして領主館に戻り、そこに用意してあった馬を走らせ、本隊を追った。何処に敵の喇叭(忍びの者)が潜んでいるか判らなかったからである。
四半時(30分)もしないで、平沢城近くの長者原山の中腹で待機していた本隊に追いついた。清水寅之助が直ぐに近づいて来て報告した。「お屋形様、笹川勢の動きはまだありませぬ。昨日までと同じで、和納城(高野氏との国境沿いにある笹川氏の支城)に200人程がおり、双方で対峙したまま動きませぬ。」「そうか・・・我らの事は、気付かれておらぬな。」「はっ、今のところは。」「よし!もう一度斥候を出し、笹川勢の動きを探れ。わしはこの後、鷲の木砦に行く。知らせはそこに寄こせ。良いな!」「はっ、承知仕りました。」云い終えると寅之助は3人の斥候に命令を下した。それを確かめて、俊高と高喜は再び、馬で間道を縫いながら鷲の木砦まで駆抜けた。
鷲の木砦は、稲島領の最西部にあり、高野・笹川両氏の国境に近かった。5つの砦の中では一番規模が大きく、常に30人前後の兵士が詰めていた。大小二つの構えになっていて、100坪の砦と5軒(約10m)ほどの通路で繋がった30坪の兵士宿舎があった。
門を潜ると緊張した城兵たちが一斉に俊高たちを見詰めた。そこの守備隊長をしている吉田三左衛門の嫡子・嘉助豊則が驚いて出迎えた。「お屋形様!どうなさったのか。敵の奇襲でもござったのでしょうか?」作戦を聞いていない豊則は不安げに問うた。「心配いたすな。それよりも、砦の兵を皆集めよ。話したき事がある故!」
突然の当主の訪問に誰もが驚いた。俊高は、集まった50人の城兵にこれから行う奇襲戦法を手短に伝えた。