< 目 次 >第一部 越後の夜明け 第一章 黎(れい) 明(めい) (一)~(三) (四)向陽に誓う
電子メール(E.M.)小説
天地人の故郷で生れた 歴史リアル・ファンタジィ
『向陽に誓う』 作 真木 亮太郎
≪序≫ No.1
(1)時代的背景
この物語は、凡そ470年前、北国・下越後の地、戦国乱世半ばにて、小豪族の子として生まれ育ち、16歳で家督を受継いでより、激動の生涯を貫いた戦国男児の一生である。
現在の新潟県・下越にあたる日本海沿いに凡そ4里(約16Km)の弥彦山連山がある。その最北端に位置する長者原山(現、角田山)の麓に稲島氏の居城があった。城と云っても当時は、山の中腹に築かれた砦のようなものである。
禄高凡そ4,300石、家臣団370余名の小豪族の三男として天文4年【1535年】4月16日幼名小太郎として、まだ山肌に雪が残る春の日にこの物語の主人公は生まれた。
応仁の乱【1467年】以後、天下は乱れ、群雄割拠の中、60年余が経た今、ここ越後の地もその間、守護・上杉氏と守護代・長尾氏の争いが30年近く続き、その後も、50余りの国人衆の争いが20年ほど続いていた。
稲島氏は三条氏(斎藤家)の禄を食み、室町幕府成立後、6代続き今の当主、小太郎の父・与五郎俊秋となる。(稲島氏の詳細な発祥は本篇に記したい。)
(2)生立ち
俊秋の父、俊兼は西蒲原一帯を治めた三条の斎藤氏に就き、新津の秋葉氏との戦で勲功を立て、領土を拡大した。しかし、後継ぎ達は病や戦場で討ち死し、男子に恵まれず唯一残ったその子・俊秋も病弱で一族を率いるには家臣たちも、もどかしかった。その為、近縁の豪族たちとの姻戚を結びながら勢力を保持していた。
小太郎の母は父の2人目の側室として近隣の岩室から向い入れたが、正室が病死した後、側室から正室に向えられた。
父・俊秋には実子として、7人の子女がいたが、先の方に2人、次の側室には2人、小太郎の実母から3人であった。
先の方の嫡子は17歳の初陣のおり、戦死してしまい、その娘もすでに近くに嫁いでいた。次の側室の2人は、男子が早死にし、実家との不和で、本人はすでに女子を連れて里に帰っていた。
小太郎(稲島俊高)には実母から出た弟の喜久次と妹の三和がいたが、その母は3年前に病の為、他界してしまっていた。そして更に16歳の今、父・俊秋が亡くなった。
この頃三条の斎藤氏は、近隣の嫡男(長男)達を、半ば人質同様に4~5年づつ武芸・学業の修行に出させたが、小太郎も11~15歳まで奉公して、帰郷したばかりであった。
・・・若き日に父母を失い、戦国の世の、生き血を啜る非情の世に、越後の片田舎の小豪族として一族を率いながら、平和の世の夢を育む若者が、荒波を喝破し、人生の大海に船出しようとしていた。・・・
< 目 次 >
第一部 越後の夜明け
第一章 黎 明
(一) 初 陣
(二) 仁箇山合戦
(三) 父の残したもの
(四) 向陽に誓う
(五) 妹
第二章 天の花嫁
(一) 駆け引き
(二) 和納の戦い
(三) 夜 襲
(四 )三匹の白狐
(五) 改 革
(六) 義兄弟の絆
(七) 中之口川の合戦
(八) 天の花嫁
(九) 初 夜
第三章 光の戦士
(一) 反 撃
(二) 夜明けの救出
(三) 疑 惑
(四) 五 家 評 定
(五) 義 父
(六) 亀城 籠城戦 Ⅰ
(七) 亀城 籠城戦 Ⅱ
(八) 亀城 籠城戦 Ⅲ
(九) 決戦 嵐の奇襲
(十) 光の戦士
第一部 越後の夜明け
第一章 黎 明
(一)初 陣
≪第一話≫ No.2
残雪、雪割り草、赤松林に沿って、小太郎・喜久次それに小姓の清水寅之助の三人が角田浜の海沿いの道を野駆けしている。越後の早春は未だ寒い。しかし若い三人にはそれがまた心地よい。小太郎は、右手の水平線に浮かんでいる広大な佐渡ヶ島を見ながら、いつか海を渡ってみたいと胸を熱くしながら駒に鞭をあてていた。
突然、前方に二騎の荒武者が山手から駆け降りて来た。
「若~!小太郎様!~」目付役の吉田三左衛門と徒郎であった。「小太郎様!~一大事でござる!」三左衛門は近づいてからも更に吠えた。いつにない三左衛門のうろたえに小太郎も不安になった。「お屋形様が亡くなられました!」絶句して言葉が止まった。小太郎は、馬上のまま、暫く無言で空を見つめていた。父の死は何故かいつも予感があったが今日、その日が来たのだ。
小太郎が物心付く頃から床に伏せっている事が多い父であった。振り返ると弟の喜久次が号泣していた。二歳年下の弟である。父からも可愛がられていた。寅之助も泣いていた。
しかし、小太郎は父の死よりもその後に来るべき過酷な出来事が心を占め、悲しみより重圧感の方が強く、涙が出なかった。
当主与五郎俊秋の葬儀は、慎ましく行われた。戦国乱世の中、当主の死は一族にとり、致命的な出来事と成る。平治で有れば小豪族であっても近隣の親縁や、身内筋、同盟者を招き、厳かに行ったであろう、与五郎俊秋の葬儀は、直轄の身内と家臣衆に限られた。むしろ、今この地方の情勢から視て出来るだけ近隣に知れない方が良かったのだ。
当時、平均寿命が50代半ばではあったが、それでも俊秋の34才の死は早過ぎた。俊秋の死因は、今で言う胃癌である。痩せ細った父の姿に春の冷たい雨の中、稲島氏の菩提寺である曹洞宗・海見寺に埋葬されるまで、小太郎は一度も涙が出なかった。・・・「兄者は何故泣かぬ!父上の死が悲しうはないのか!」詰め寄った喜久次の涙顔にも小太郎は答えようがなかった。それを家老の佐野久衛門俊種がじっと見つめていた
戦国の世は、非情である。当主の死後、ひと月もしない内に、白根城主・佐藤政綱が兵を挙げた。しかも、稲島家とは姻戚関係のあった味方を治める柿島氏と組んでの出兵である。その数合わせて、850余り・・・
≪第二話≫ No.3
白根の佐藤、味方の柿島軍が、稲島氏の前哨基地である松野尾砦に向かっている知らせが本拠地・長者原城に朝駆けで届いた。広い越後平野であっても、急げば、数刻(半日足らず)あればここまで来る。直ぐに重臣たちが集められた。
小太郎は、父の没後、元服して名を小太郎俊高と称していたがまだ前髪を落とせずにいた。一族は祖父・俊兼の弟である大叔父の横山重光(重臣の横山家の養子となる)と、家老の佐野久衛門俊種が其れなりにまとめてはいた。しかし、元服もままならぬ初陣もない若き当主がどの様な下知・采配をするのかを誰もが固唾を呑んで観ていた。
稲島氏の居城・長者原城は他の城の佇みとは一風変っていた。山城ではあるが峯の尾根を巧みに配置している常のモノではなく、長者原山の中腹を切り開いて山の背から扇型に広がった地形に全体を大屋根で覆った云わばドーム型をしていた。全体を遠くから視れば、丁度和駒を逆さにした様に見えた。故に近隣の衆は駒城と呼んでいる。城の周りにはこの当時では珍しく空堀でない水堀が二重に囲んでいた。城の奥にこれも珍しい三層の物見矢倉を兼ねた城閣があり、八閣の眺望であった。
東に上堰潟、西に仁箇沼があり、城の目の前には北国街道が横切り、交易の要所でもあった。この城は先々代の俊兼の築城で周囲に異風を放っていたが様々な工夫が施され、弱小な先代当主を抱えていた稲島氏もここ10年余り生き延びてこられた。
小太郎は、5歳の時に亡くなった祖父の事は余り良く覚えてはいない。しかし、父・俊秋が俊兼を敬い、常にその武勇伝を物語の様に聞かせてくれたのは、良く覚えていた。
戦評定が始まった。
≪第三話≫ No.4
戦評定には、当主の小太郎俊高、叔父で後見人の横山重光、家老の佐野久衛門俊種、母方の姻戚で侍大将の真島弥七郎、兵糧・武器管理の遠藤佳美、財務管理(勘定方)及び目付役の吉田三左衛門、小姓から当主の側役となった清水寅之助、若輩ながら小太郎の命で弟の喜久次も参加した。
評定は始めから古参の者たちが主導権を握った。特に後見人の横山重光は自らが当主の様に振舞う。「評定の必要はあるまいて。すぐにでも籠城の支度をせよ。久衛門!」「後見人殿の云われる通りで我らの勝ち目は先々代の築かれたこの城に立て籠る事のみでござるよ。」遠藤佳美も声を合わせた。
「弥七郎、白根方は今何処まで来ている。」横山重光が真島弥七郎に尋ねた。「はっ、松野尾砦を囲む頃と思われます。」「ならば、明日の朝にはここを囲むな。」重光の声に一同息を込めた。
家老の佐野久衛門俊種が重い口を開く。「白根の佐藤政綱は強かな男。長者原城の屈強さは既に存じているはず。味方の柿島信吉と組んだのもこの城を落とすのではなく我らを閉じ込めておいて領土を押える手筈と見まするが。・・・」「仮にそうであれ今、打って出れば奴らの思うがままよ。ここは忍んで時を待つしかあるまいて。」横山重光は口髭と顎鬚を交互に引っ張りながら、一同を叱りつける様に睨んだ。
俊種が小太郎に座を向けながら「お屋形様、籠城で宜しゅうございますな。」と決議を促した。小太郎は静かに顔を横に振った。一同が唖然と小太郎を見つめた。・・・
≪第四話≫ No.5
小太郎は静かに顔を横に振った。「わしは打って出る。」小さかったがはっきりした声である。一同が思わず顔を向けた。「な、なにを云う!?」横山重光が膝を打って吠える様に云った。「今の我らの戦法はこれしかないのじゃ!!・・・おぬしはまだ戦を知らぬ。当主になったとは云え名ばかりぞ。今はわしらに任せておけばそれで良い!!」重光は采配は自分が執ると断言していた。
しかし、家老の佐野俊種は小太郎を見据えた。小太郎はそれに一目もせず、「わしはこの城は好かん。叔父御殿たちはここで守れ!わしは手勢を引連れて仁箇山に籠る。」仁箇山とは長者原城眼下の仁箇沼を囲む周囲1km四方、高さ30m 程の丘陵である。
「ばかを申せッ。ただでさえ少数の我ら、兵を分けられようぞッ」重光が吐くように云った。「我らは一致団結してこの不落城に籠るのが常策じゃッて」一同に同意を求める様に叫ぶ。「戦は勝つか負けるかじゃ。どうせやるならやり易いほうが良い。わしは出る。」小太郎は少し力んで云った。「小太郎ッ、戦はガキの喧嘩ではないぞ!ましてお前は、三条から戻ったばかりぞ。ここはわし等に任せておけッ」
重光の言葉に俊種が割って出た。「横山様、お屋形様の戦法も面白いかも知れませんぞ。白根方も当方が籠城すると思い、油断をしているはず。恐らく兵を分けて攻め寄って来ましょう。・・・そこを奇襲すれば好機が生ずるかも知れませぬ。」「おゝ、みすみす領土を盗られるより一恥掻かせてやりましょう!」
間髪入れず側役の寅之助が叫ぶ。「戦はそれ程甘くないぞ!若い衆が思うほどな」水を注す様に兵糧・武器管理の遠藤佳美が言葉を挟んだ。「まぁしかし、上手くいかなければ逃げ帰ってくれば良いではござらぬか。はっはっはっ」勘定方及び目付役の吉田三左衛門の一言で評定が決まった。
「わしは100程、連れて行く! 弥七、兵の配置を考えろっ」「はっ」小太郎が決断すると弥七郎も力強く答えた。
≪第五話≫ No.6
評定の後で小太郎は弥七、寅之助、喜久次を呼んだ。「此度の戦はわしの初陣じゃ。己の力を試してみたい。」三人は頷いた。「お寅、キク、お前達は村の若い衆を30人ほど集めて来い。手慣れな者が良いぞ。弥七、おぬしは槍と弓矢を集めてくれ。・・・それから、城に内通者がいるやも知れぬ。俊種に用心する様に伝えよ。」三人は命を受け其々に動いた。
城内は一気に慌しくなった。時は辰の刻(午前8時)を過ぎていた。寅之助たちに一刻(2時間)後、城門前で落ち合う事を約し、小太郎は直ぐに甲冑に身を固めた。父の残した代々当主が身につける伝来の紺糸威の物はあったが、敢えて、母が拵えてくれた元服前の簡素な鎧兜を身に纏った。
小太郎は上背があった。6尺(約180㎝)近くあり、当時の男たちは5尺(約160㎝)ほどであったから頭一つ出ていたが、細身で少し華奢に見えた。しかし、目鼻立ちがくっきりしていたのでその聡明さが全体を補うことが出来た。甲冑を身に着けた姿は凛々しく威厳があった。
その後、皆の前で口を滑らした嫌いな長者原城の中を一巡して歩いた。何故嫌いなのか自分でもよく解らない。頭の上を覆い被さる大屋根のせいか。築城20年余りなので其れ程古くはないが、何度となく戦場の中で火責めに会い、あちこちと焦げた跡が残っている。
更に敵を業と城中に入れて混乱させ、撃退すること数度、まだ生臭い血の匂いが残っているような薄暗い城の中である。小太郎が城内を進む度に家臣たちは新しい当主に頭を下げた。微笑む者も多少いたが、殆どの者たちは無言で緊張の中にいた。この戦が自分たちの命運を決めるものである事を皆知っていた。
武者溜り・武器庫・馬舎・それに兵糧庫と一通り見終って最後に評定の間の廊下から繋がる「八角楼」と呼ばれる物見用の天守閣に登った。
≪第六話≫ No.7
天守閣の三層の階段を駆け上がると、そこに家老の俊種がいた。二人は一目した後、並んで眼下の越後平野を見渡した。四月の若葉が野を覆い惨事がなければ吸い込まれる様な美しい越後の山野である。広い越後平野の先に、遠く東に会津の山々が見え、西には立山連峯さえ望める。春の靄は少しあったが良く見えた。
「敵が観えるな!松野尾砦を囲んでいる・・・援軍を送らぬのか?」「残念ながら・・・」小太郎の問い掛けに俊種は小さく答えた。「久衛門、何故、俺に味方した・・・」俊種はふと小太郎を見ながら少し笑みを混ぜた顔色で答えた。「我らはお屋形様の力量を見定めなければなりませぬ。先代はご病状ながら先々代の威光でなんとかもちました。しかしこの度は俊高様の器が問われましょう。誤まてば後がありますまい。・・・」静かな口調ではあるが、小太郎の心を抉った。
長身の小太郎は上から覗くように俊種を見つめた。「俺をどう見た、久衛門。」「お若いのでまだ判りかねますが、・・・面白いお方だと・・・失礼ながらお見受け致した。」
「面白い男だと?・・・そうか、まぁよいわ、俺もまだ自分自身が良く解らん!・・・だが、久衛門、この戦、俺は必ず、勝つ!」
「存分におやりなされ。勝つか、負けるかは時の運!我らはお屋形様に賭け申した!」
「久衛門、城内の内通者に気を付けろ。」
「心得てござる。」「俺は下に行く。後は頼んだぞ。」
佐野家は代々稲島氏に仕える家柄であったが久衛門俊種の時、特に功績を立て三代の当主に仕える腹心となった。その久衛門が腹を括ったのである。小太郎は既に五十を越える祖父のような年柄の家老の想いに安堵した。
(二)仁箇山合戦
≪第七話≫ No.8
佐野久衛門と別れて、小太郎は城門に出ると弥七や寅之助たちが待っていた。城内の兵120人、村から集めてきた若衆がざっと30人。皆、総大将を待っていた。村の若者たちは、手に手に一間(180cm)ほどの竹の束と縄を持っていた。
小太郎は一同を半円に座らせ全員に声が届くように喋った。「村の衆、よく来てくれた。礼を云うぞ。」そこには懐かしい顔が沢山あった。子供の頃は近くの山野で時を忘れて遊びまわったものだ。多少の身分の違いはこの時代は問題ではなかった。幾つかの作戦を述べた後、小太郎は全員を立たせ「この戦、我らが勝敗を握っている!臆せず我について来い!!」「おおォ~!!」一同は其々の持ち場に向った。
小太郎は正規軍を二つに分けた。50人を真島弥七郎に預け、北国街道の村の入口に向わさせた。長者原城の正面下の上堰潟は、現在よりも数倍の面積で水面を形成していたので、北国街道から稲島の集落に入るには、上堰潟と仁箇沼に挟まれた狭い街道を通らねばならなかった。
村には既に殆んど人気が無かったが、弥七達がそこに着いてみると里人の屈強な者達が組を作り、村はずれの街道端に防御用の壕を作っている。
上堰潟と仁箇沼の凡そ20間(約40m)に貯水用の下水堀が繫がっていて、有事の為に弓型に掘られていた。その内側に塹壕を施す。さらに藁袋に土砂を入れ積重ね、足らない箇所は古木や材木・時には箪笥などの家財道具など使えるものは皆積重ねていく。云わばバリケートである。弥七たちが着いた頃には半ば作業が進んでいたので一挙に捗った。
≪第八話≫ No.9
小太郎は本隊70人と若い衆30人程を連れて予定の地点に向った。この地方には信濃川の河流が時に蛇行し、時には氾濫して長い年月を掛けて出来た湿地帯があり、潟や沼が数多く点在している。代表的なものが福島潟・鳥屋野潟・佐潟である。現在、近くの佐潟は野性生物保護のラムサール条約指定地にもなっていて沢山の野鳥が飛来する。しかし小太郎たちが向った仁箇沼は自然の陥没で雨水や雪が解けて溜まった天然の貯水池であった。現在は一部土岸工事が施され、仁箇堤と呼ばれている。
小太郎たちはあちら、こちらに雪が残る山道を足早に進んだ。標高30m程の小山である。目的地には直ぐに着くだろう。途中、山間から見えた最前線の様子は松野尾砦から黒煙が上っていた。20人程で守っている前衛基地である。800余りが一挙に押寄せれば、一溜りもない。
城内では、笑顔もあった若い衆も緊張の度合いが増して来たのが分かる。今は誰も口を開かない。小太郎が振返って喋った。「与三郎、なぁ(お前)かかをもろうたか」与三郎と呼ばれた図体のひと際大きい里人が、答えず俯いていると隣りにいた小男ながら頑強そうなほうが答えた。
「小太郎さー、こやつこの間、隣り村からすんげ~ェべっぴんの嫁ごをもろうたすけェ、鼻の下、なげえこと、なげえこと・・・」皆、昔の頃の調子でどっと笑いが噴き出た。「冨作、小太郎さーじゃあんめえ、御大将さますけェ」「留吉、今日は昔の小太郎さーでいいすけェ。気楽にやれや~」小太郎が答えると、男たちの肩の力が抜けた。
仁箇沼を真下に見る丘陵の天辺に着いた。敵の白根方も必ずここを通過する拠点である。小太郎の指示の下に何組かに分かれて戦準備が始まった。
≪第九話≫ No.10
二刻(4時間)ほどでほぼ支度が出来上がった。時刻は申の刻(午後4時)を少し回っていた。小太郎は皆が作業している間に、戦況を確認し敵の動きを計った。仁箇の頂上から近辺の様子がよく捉えられる。
街道沿いの弥七の組は昼過ぎには戦備えが整って腹ごしらえも済んでいた。弥七に会いに下に降りて、再度手順を確かめると小太郎は皆の所に戻った。
こちらでも腹ごしらえの最中であった。明治以降、日本人の食生活が西洋の影響を受け、一日三食になっていたが、それまでは二食が普通であった。戦場では携帯の食物が中心で、干し飯・魚や海草の干物・それに練り味噌や梅干しなどを添えて食べた。
小太郎が本隊に命じたのは、起伏のある仁箇山の地形を巧みに利用し、丁度瓢箪型の陣地を、持ってこさせた竹棒と縄で柵を張り巡らせ、その周囲には泥堀を作らせた。この山は小太郎や連れて来た村の連中にとって、知り尽くした嘗ての遊び場であった。この瓢箪陣も小太郎が編出した戦ごっこの戦法であった。隣村の子供らとこの丘で毎日のように遊んでいたのである。
「小太郎ッ、戦はガキの喧嘩ではないぞ!」と横山重光が叱責したが、何を隠そう小太郎の計はそれそのものであった!しかしだからこそこの戦法を吾の陣に用いたかったのだ。これから、何度も戦いをせねばならぬ。小勢とはいえ、一族の主、最後は誰にも頼る事が出来ない、非情の世である。
(今は、我とここにいる者達を信じてやるしかない!)父の急死以後、小太郎は一人自らに云い聞かせていた。
物見の者が急を知らせに来た。「お屋形様!敵が竹野砦を攻撃し始めました。!」竹野砦は、5つある味方の砦の一つでこの仁箇山の南側登り口に本城の正面の守りとして備えられている。そこに守備兵として25人が配置に就いていた。・・・いよいよ敵が来た。一同に緊張が走った。「来たぞ!皆抜かるな、配置に着け!!」
≪第十話≫ その1 No.11
(予想より、少し早いかもしれぬ。白根方は様子を伺いながら確実に攻めて来るはずではないのか? 今夜中に長者原城を囲むのか?内通者がいれば、一気に落ちる。・・・)
城方・佐野久右衛門から、伝令が来た。佐藤方は、三方に分かれて突き進んで来ている。本隊500は、上堰潟と仁箇沼の間を通る北國街道の幹道を、250の別働隊は、竹野砦を囲む、残りの100は、支城・平沢城に押さえの為に向かっていると云うのであった。
小太郎の頭の中を思案が駆け廻った。(よ~し!この一刻が勝負じゃな・・・)卯月・4月半ばの日没は午後6時頃である。(明るい内に勝敗を決めねばなるまい)
小太郎は伝令の者に下の弥七たちにも敵の襲来を教え、更にこちらは早目に仕掛けて出る事・又、敵の本隊の奇襲も用心する様に伝えた。そして、予め指示した様に一刻は持ち堪えるように厳命を出した。
山間に傾きつつある日輪を横目に見つつ、30人の手勢を率いて南側の斜面に向った。100間(約200m)も行かない内に眼下から竹野砦を囲む白根方の兵士たちの雄叫びが聞こえてきた。ざっと見て伝言の如く250人ほどはいる。100坪足らずの囲い塀をした砦の中で20数人の味方の兵達が必至で応戦している光景が目に飛び込んだ。
「良いか!今から切り込むがわしが合図したら我らの陣地に駆け戻るのだぞ!良いな!深追いはすなっ」小太郎の声に全員が無言で頷く。一同は素早く駆け降り、近づくと一斉に雄叫びを挙げて突進した。
小太郎は坂道を駈け下りながら、左手を高く上げて下した。その合図を確かめて寅之助たち数名は土手の上から弓を射った。突然の来襲に敵は驚いたが少数と見るやこちらに向かって斬り込んできた。暫し応戦したが、頃合いを見て小太郎が「皆、引け!」と叫ぶと一同が其々に山を登り始めた。若く健脚の者を特に選んでいたので皆逃足は速かった。
振返ると小太郎たちを追って数十人が押寄せて来ていた。元来た道を駆け上がると、暫く走って、喜久次たちが待っている陣地の入口が見えた。それを確認すると小太郎は再び、一人敵の群れの中に斬り込んだ。
≪第十話≫ その2 No.12
腕には多少の覚えがあるが我ながら度胸があるぞと思いつつ一人、ふたりと相手を倒していく。そこへ寅之助ほか数人が取って返して来た。何度か太刀を交えると小太郎は「皆、引けェ~!」と叫び再び走り出した。それを白根方の侍たちはここぞとばかり追撃した。
追って来た白根衆が木々の覆う小道に入った瞬間、横合いから竹で組んだ2軒(3.6m)ほどの柵壁が彼らの来た道を塞いだ。20人ほどが瓢箪陣地の罠に掛った。中に入った者達は立ち処に総攻撃を受け全滅した。陣の中に入れずにいた者も待機していた味方に忽ち倒されたのだ。一瞬にして30余の兵士が倒された。
白根方の侍大将・佐藤忠政は稲島の竹野砦が思った以上、頑強に抵抗してきたので内心穏やかでなかった。そこに斬り込んできた稲島の小隊を追撃していった者達が何人か帰って来たので報告を聞いて仰天した。仁箇山の上に伏兵がいる。それは始めから予想はしていたが報告では30人もの手慣れの連中が瞬時に倒されたと云う事だ。
(山の上にかなりの人数が潜んでおるのか?稲島方は城を出て我らと一戦交えるというのか?・・・いやいや此度の戦構えからして我らの兵力では奴らは籠城が一番だて!精々竹野砦の援軍として40~50人出して来たのであろう・・・下知では日の入りまでに長者原城を囲む手筈であった。)この砦はもう一押しすれば落ちると判断し、自ら手勢の半分を率いて進軍した。出てきた敵を退治する方が戦経験が豊富の忠政に取り遥かにやり易かったからだ。
≪第十話≫ その3 No.13
佐藤忠政らが山道を登り詰めると向う側の長者原山中腹にある長者原城が見えた。敵の本城はもう直ぐそこだ。(わしとした事が、一体何をビクついておる。伏兵がおれば蹴散らしたら良いのだ!)自分にも言い聞かせて慎重に上がっていくと何人かの味方の兵が道端にやられていた。
生死を確かめるとまだ息が有る者もいた。死体を道端に片付けさせて、更に進むと数本の矢が飛んできたかと思うと突然10人程の敵兵が声を上げて躍り出てきた。(なんじゃ、このほどの有様か)と呟くと一斉に斬りかかった。また10人程出てきた。(小癪な!)相手が逃げだしたので一気に追った。
こちらは数に勝ると確信して追い続けると竹の柵が道の両側に張られていたが、目の前に更に広い空地が見え、その中央に敵の部隊が見えた。20人ほどである。敵の前衛拠点と視て「一気に踏み込め!!」と号令した。斬りかかって初めて知った。これは巧妙な落とし穴である事が・・・
(しまった!)と思った時にはすでに事は決っていた。囲まれた柵の中で内から外から弓、槍の猛攻を受けた。引こうと思ったが既に入り口は閉ざされている。
忠政と一緒に突入した者達は40人ほどであったが見る見る内に味方が倒されていく。「ちィ」と叫ぶと忠政は塞がれている竹の柵壁を太刀で切りつけた。なんとかこの場を切り抜けようとしたが腰に痛みを感じた。振り向くと竹槍を持った殆んど武具も付けない農兵が自分の横腹を刺している。その後、二の太刀、三の太刀と敵将とばかり四方から切り込んできた。
ものの数分である。白根衆の精兵があっと云う間に倒されていた。敵の良く訓練をされた精兵たちにやられた様な有様であった。小太郎たちから見れば何度も経験した事を今度は遊びではなく本番の命がけの戦に自分たちの荒業をぶつけただけだった。
≪第十話≫ その4 No.14
敵将が討ち取られたので、白根方は一気にたじろいだ。小太郎は逃げ出した白根勢を追撃させたが、深追いはせず、一端隊を掌握した。敵の核を50~60人は倒したはず、味方の損傷を確かめたが10人ほどであった。しかし本番はこれからである。
その半時(1時間)前から、敵の本隊が北国街道の入口で守る弥七の隊を攻撃しているのである。運よく敵の別動隊がこちらの戦法に嵌ってくれたが、弥七たちがその前に崩れれば、戦模様が変ってしまう。小太郎は、佐藤忠政率いる別動隊の攻撃を待ちながら、常に下の様子を見定めていた。
「一刻は持ち堪えてくれ!」と厳命していたが50人ほどで5倍もの敵を相手にして
いるのである。もし弥七たちが破られれば、ここにいる本隊を投入し、敵本隊を奇襲せねばならない。すぐに決着が着けば良いが長引けば背後から敵の別動隊が切り込んで来る。小太郎の策はあくまで別動隊を押えてから敵本隊を殲滅する事であった。
故に弥七たちの部隊を守る為に多少の援軍を送りながら敵の猛攻を防いでいたのである。日が暮れ始めていた。小太郎は山頂での合戦を物にして、念の為、瓢箪陣地に10人ほどを残し仁箇沼と上堰潟の間の街道で戦っている味方に合流した。
白根方も夕刻まで敵城を囲むと云う命令に必至の猛攻を繰り返していた。小太郎たちが山を降りた時には、積み重ねた木材の山に火攻めであちこちに火が付いていた。
突然、側面の山の手から新手がどっと押し寄せて来たのである。辺りは既に薄暗い。勝敗はここで決まった。大声を出しながら稲島勢は上から下から白根方を混乱させた。長者原城からも佐野俊種の号令で100人程の兵が出陣した。白根勢は蜘蛛の子を散らす様に自分の城に戻っていった。
(三) 父の残したもの
≪第十一話≫ No.15
夜半まで戦後の警戒は続いていた。ほぼ完璧な勝利ではあったが油断の出来る力関係ではない。稲島氏の周りに敵は幾つもいるのである。更にこちらも松野尾砦などの犠牲を合わせれば50人ほど死者を出していた。
城に帰還した小太郎たちは、出迎えた久衛門たちと勝利を分ち合った。「今宵は体を休めて、明日の夕刻にて戦勝の宴を取り行ないましょう。」久衛門の提案で一同が其々の慰安を求めに戻って行った。
小太郎は久衛門と弥七に防備を任せ、喜久次・寅之助と共に常の館に帰った。当主の館は長者原城と菩提寺である海見寺の間にあった。長者原城は佇みから云っても有事の時に籠る城である。
帰って風呂を浴び、少し遅い夕餉を摂ると緊張が解けて、どっと疲れが出てきた。三人とも軽い鼾を掻きながら寝込んでしまった。しっかりしている様でまだ16歳前後の少年たちである。
亥の刻(午後10時)を回って、家老の久衛門と目付役の吉田三左衛門が訪ねてきた。奥の間にいた小太郎に挨拶をすると久衛門が三左衛門から朱色地の絹布に稲島家の家紋である『違い鷹の羽』が金字で刺繍された刀袋を貰い、小太郎に渡した。「お屋形様、本日は戦勝おめでとうございます。並びに16歳のご誕生謹んでお祝い申し上げまする。」佐野久衛門から云われて今日が生まれた日であった事を忘れていた。「そうだ!今日は兄者の産まれた日であった。・・・朝早くから戦支度で追われていたからな。」喜久次も半ば驚いて小太郎を見つめる。
≪第十二話≫ No.16
「お屋形様、これは先代様が亡くなる前にお屋形様の元服のお祝いに準備していた品でございます。」久衛門から太刀を手に取り、袋から出した。「造作は山城の国の刀工信国に師事した三条の鍛冶職人安国の技でございます。先代様が2年前より頼み置いた名刀。金銭も大分注ぎ込みましたぞ。」と勘定方(財政管理)でもある吉田三左衛門が笑いながら話す。「先代様の形見の品になりましたな・・・」久衛門が寂しそうに添えた。
「城の方はどうだ?変わりはないか?」小太郎が聞いた。「見張りの者を除いて、皆休んでおりまする。」「やはり安堵したのですな。」と久衛門の言葉に三左衛門もすかさず答えた。「それにしても本日の戦仕様畏れ入りましたな。若、いやお屋形様、何時,何処であのような戦法を編出したのか?初陣とは思えぬお働きでござった。」後ろで控えていた寅之助が少し声を高めて自慢した。
「小太郎様と我らは子供の頃より今日この日の為に備えてきもうした。知らぬはお歴々衆のみでございまする。」喜久次も負けじと云う。「我らの戦法は練りに練ったものであって、白根方は手も足も出なかったぞ!」
小太郎が制した。「運が良かったのだ。相手が上手く術中に嵌ったのみよ。」「お屋形様は戦の怖さが少し判られた様でありまするな。」久衛門は嬉しそうに呟いた。「それにしても、勝利の報を聞いた折の横山様の唖然としたあの髭面、今も目に浮かび申す!」「これっ、三左衛門、」と久衛門が制したが一同どっと噴き出して笑いが止まらなかった。
暫し雑談をして二人は帰って行った。小太郎はひとり授けられた太刀を持って、仏間に入り父の戒名に目をやった。母の位牌も少し奥に安置してあった。じっと見つめていると腹の底から込上げてくるものがあり、もうどう仕様もなく涙を流した。堪えて、貯めていたものが堰を切って溢れ出したのである。自分でも身の置き所が無い程であった。父を思い、母を思い、また今日起こった一連の仕業の無事を感じて泣くに泣いた。誰にも見せられぬ姿であった。
≪第十三話≫ No.17
仏壇の下に黒染めの手箱が置いてある。今までもあったのだろう、心を定める時が無かったので眼にも止めなかった。ふと開けてみるとそこに二通の手紙が入っていた。涙を拭きながら封を開くと父と母のそれであった。
『 小太郎殿
この手紙を開ける時が来たのなら、わが身は既に他界していると思われる。
お前には寂しい思いを多くさせたであろう。
嫡子 俊正が死に家督はそちが受継ぐであろうが、わしの命はもう長くない。弱きこの父を赦して欲しい。
戦乱の世をお前達が生き抜くのは容易い事ではない。最後に頼れるものは、血を分けた兄弟と命を惜しまぬ家臣のみである。
わしが残せなかった礎を兄弟で力を合わせ、我が家を興してくれ。時がくれば、久衛門より稲島家の秘伝を受かるが良い。
父も母もお前達を常に見守っておるぞ。
父より 』
『 喜久次殿
早く逝く母を赦しておくれ。父上も私もお前様達を胸の芯から愛でています。お前は少し辛抱のない所がありますから、短気を起こさずに兄上に従いなさい。親が居なくともお前達には、私達の熱い血潮が流れているので、どんな浮世の冷たい雨風も越えて行けます。自分を大切に思い、兄上と共に稲島家を栄させておくれ。
いつもお前様達を見守っております。
母より 』
読み終えて、父母の願いと心情が胸に刺さり止め処となく、又涙が溢れた。また父母を失った悲しみと底派かとない孤独感を深まらせていた。その夜は一睡もせずに、夜を明かしたのだ。
(四)向陽に誓う
≪第十四話≫ No.18
小太郎は日の出前に、父から貰った太刀を持ち、館を出て長者原山に登った。四月の山間はまだ闇の中で手に持つ松明以外に光る物がない。気温もかなり冷えている。海見寺の裏道を登るとすぐに薬師堂の大杉の前に出た。樹齢七百年の巨木である。闇の中に巨人の様に立っていた。いつもは、見慣れた木なのに今日は何かが違う。幹の中央に雷で撃れた縦に走る傷跡が嫌にも目に入る。
小太郎は大杉の横を抜け、山道を登り続けた。長者原山は海抜482mの山である。この大杉の道が頂上まで最短距離であった。若い小太郎の馴れた脚なら四半時(30分)程で登れたが今朝は何か雰囲気が常と違って小太郎は大地を踏み締める様に進んだ。遠く村里で雄鶏の声が響き、近くは梟や山鳩の鳴き声が山を覆う。頂上付近は急な坂道である。
漸く山頂に着いた。長者原山の山頂は名前の如く200m四方の台地になっている。山頂にはまだ至る所に根雪が残っていた。小太郎は真っ直ぐに観音堂に向かった。
八閣のお堂の中に初代・稲島家当主俊明が納めた百済観音像が安置してあった。身の丈三尺(1m)の木彫りであった。作は不明だがかなりの造形である。幼い時によく母の美知の方と兄弟三人で詣でた事を覚えている。母は、この観音様が好きであった。そう云えば何処か母に似ていると見えた。静かに合掌して黙想した。昨夜の父と母の手紙を思いながら・・・
小太郎は立ち上がり、太刀を抜いた。東の空が少しづつ白けてきている。闇に向かって何度も空を切った。これから自身が立ち向かう宿命に向かって、得体の知れない不安と希望に向かって刀を振り続けた。若い汗が全身を滝のように洗い清めて行く。
≪第十五話≫ No.19
小太郎は無我無中で奇声を吐きながら剣を振った。遠く、朝日連峰辺りから満天の星々を消しながら朝陽が昇り始めた。山の先端に光明が走ったその時、小太郎の心髄に電光が貫いた。それは丁度、薬師堂の大杉に稲光が落ちた衝撃に似ていた。全身がぶるるっとしたまま、小太郎は一種の放心状態に入った様である。
口を開いたまま動け無い。手足が痺れた様に小刻みに震えている。その刹那、ドォ~ンと雷鳴のように天から響いた『 汝、天下を治めよ!! 乱れし、この世を正せ!!』開いた口の中に火のように想像も出来ない沢山の言葉が飛び込んで来た。とても人の力では計り知れない神通力であった。
16歳の小太郎にとり、また父母を亡くし生涯孤独な虚空の道を行かねばならない我を想えば霊動する不思議な体験の中にも(そんな事が出来るのか、俺になんの力が有る?)と精一杯否定してみせたが、それ以上の大きな力に圧倒され続けた。『我を信ぜよ! 己を信ぜよ!』天の声は時には高く、時には低く天地に響きわたった。
暫しの放心状態から解放された小太郎は今、我を取戻し、強い眼差しで登りゆく旭日を見つめていた。心の底から何か途轍もない大きな力が湧いてきていた。その時、太陽の中に沢山の人々が見えた。それは今までの道標としての先人達であったであろうし、小太郎の先祖達であったろう。そして最後に父と母が並んで天に昇っていくのが見えた。眩い光の中で優しい微笑みを見せながら・・・
夢のような時間が過ぎた。春の若葉が芽吹き出した長者ヶ原の台地に小太郎は一人立っていた。