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オムニバス  作者: ジグマ
本編
2/8

蕩けているのは…

とある夫婦のバレンタインデー

ケーキ、クッキー、トリュフ、タルト、マドレーヌ、クレープ……。

チョコレート菓子は予想以上に豊富なのだなと再確認しつつ、とキッチンで首を捻る女性が一人。

昼食を終え、その片づけも終え、そのまま流し台のところに立ちっぱなしで、まとまらない考えにうんうんと唸っている。


今日は結婚してはじめてのバレンタインデー。

チョコレート菓子とともに気持ちを伝える日だと聞いていたのだが、どんな菓子がいいのかは当日の今日まで気にしていなかった。


おかげでこうして首を捻るはめになったのだが、いやな気持ちはまったくない。

むしろ今までバレンタインというものを知らず、こういった行事自体がはじめてで少しばかり戸惑いつつも、ドキドキわくわくに似た高揚感ばかりが増していく。



どうしよう、いっそ夫に直接聞いてみるか。


振り返り、リビングにいる夫をそっと見遣る。

テーブルの上に資料を散らし、夫はノートパソコンになにやら打ち込んでいた。

英語とフランス語を扱える夫の本業は翻訳家で、こうして家でパソコンと睨めっこをしていることが茶飯事だ。

たまに凝った肩をほぐしたり、背筋を伸ばす仕草をしたりしている。


毎日ずっと夫が傍にいる生活だが、不満は一切ない。

人によってはこういった生活が息苦しく感じるらしいが、自分にはかけがえのない愛すべき毎日だ。

隣に居られるだけで嬉しい、そう純粋に思える。


やがて注がれた視線に気づいたのか、夫がこちらに顔を向けてきた。

8歳年上の夫は年相応な大人の顔つきで、日々童顔といわれる身からすればとても羨ましい。

友人であり夫の叔母でもある人は、そんな彼を地味顔だというが。


「ん、どうした?」

「あ、いえ……、その…なんでも、ないです」


焦ったように返せば、夫は少しだけ眉間にしわを寄せた。


「なんでもないって感じじゃないだろ」

「…えっと、あの……」

「なに?」


チョコレート菓子はどんなものが好きですか?

と直接聞くのはなんとなく気恥ずかしくて、どう聞くべきか迷ってしまう。

何か良い聞き方はないかと必死に頭の中で模索するが、もともと口下手な自分はそういった器用さはない。

そんなだから結局、なんのひねりもなく問う羽目になった。


「……お菓子を作ろうかと思っているんですが、なにか食べたいものありますか?」


つまらないことばかり聞いてしまう自分は呆れられてしまうかなと、つい俯きがちに夫をちらりと盗み見る。

予想外の問いだったのか、夫は何度か瞬きをしてから小さく笑った。

よく怒りっぽいといわれる夫だが、笑った顔はとても優しくこんなにもドキドキとさせられる。


「なんでも食べるよ、お前が作ったものはどれも美味い」

「あ、ありがとうございます。頑張って美味しいもの作りますね…!」

「楽しみにしてる」


どうしても緩んでしまう頬をそのままに、まずは…とさっそくチョコレートを溶かし始めた。




そうして数時間後のリビングのテーブルの上に並べられたチョコレート菓子は、けっこうな種と量があった。

ザッハトルテにマーブルクッキー、トリュフにプリン。さらにはタルトとマドレーヌも焼いてしまっていた。

つい「どれも美味い」と言われたことが嬉しくて、あれもこれもと作ったのがまずかった。

さすがの大食漢の夫でも、食べきれる量ではないだろう。


我ながら作り過ぎたと思い、友人夫婦も呼びましょうかと夫に声をかけたら断られた。

その理由が分からず、首を傾げていたら夫から一言。


「今日の菓子だけは誰にもやらん」

「………」


こういった行事にまったく興味を示さない夫といえど、そのあたりの知識はきちんと知っているらしい。

思わぬ返事に照れくささを隠しきれず、ついへらへらと笑ってしまう。

とても愛されている、と思ってもいいのかな。

もういつも以上に緩んでしまう頬は放っておくことにした。


もし今自分がチョコレートだったら間違いなく、すっかり蕩けてしまっているだろう。

そしたら夫は美味しく自分も食べてくれるんだろうか。


そんなことを考えて赤面しつつ、夫に紅茶を差し出せば、思い切り不審がられたのはいうまでもない。

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