第七十一話
――勇者とは、疲弊する者である――
ボクという人間は、どうやら幸運なようだった。あの街から逃げて、半日も経たずに湖に辿り着き、そこで一夜を明かした。水場の近くだったので夜は冷え、また羽織る物も何もなかったのだが、二人寄り添って眠れば十分暖かかった。
翌朝、ネミコに腰に差していた短剣の一本を渡し、近くで野生動物を狩っていた。身体能力の差なのか、ネミコだけが二頭の鹿を捕まえた。ボクも二度程兎を見つけたが、体が思うように動かずに逃してしまった。
獲物を持ち帰ってきたネミコを迎えながら、ボクはどう調理しようかと悩んだ。調味料がないどころか、火を付ける手段さえなかった。使えるのは、近くの豊富な水だけだった。
首を捻るボクを置いて、ネミコは大雑把に鹿を解体していった。そして、まだ血を滴らせている鹿の肉に齧り付いた。
呆気にとられるボクをちらと見て、ネミコは鹿の足を三本こちらに投げてきた。おすそわけ、ということだったのだろう。ボクはネミコに感謝して、その足の一本を口元に近付けた。
少し忌避感を感じてしまい、黙々と、だが美味しそうに食べているネミコを見て決心を固めた。手に持った一本の血塗れの足を、ひと思いに噛み千切った。
口の中に広がる金属の風味と、砂っぽい触感。けれど、空腹のボクにとってそれは、酷く美味しく感じられた。だがしかし、このままでは血の味と触感が少し気に入らなかった。
ボクは湖に近付くと、持っていた三本の足を湖の中に潜らせた。波紋とともに赤い血が広がり、そして徐々にそれもなくなっていった。取り出して軽くを水を切ると、薄桃色の肉がボクの手の中に残った。
綺麗になった肉に、ボクは大口を開けて食らいついた。肉以外のイマイチな味がなくなり、さっきより少し美味しく思えた。そうしているボクを、ネミコは何か言いたそうな顔で、しかし無言でじっと見ていた。
数日後、ボクは体調を崩して寝込んでいた。どうやらあの街でネミコに負わされた傷が原因で、風邪を引いてしまったようだった。ボクはネミコに介護されながら、どうにか生きていた。
食事は主にネミコが捕まえた動物の肉や近くに生えていた食用の草などだった。それをネミコに食べさせてもらいながら、ボクはただ生き続けていた。
更に数日後、病状は順調に悪化していった。薬もなく環境も悪いのだから、当然だった。それでもボクは、ネミコがとってきた食料を分けてもらいどうにか命を繋いでいた。
心配祖にするネミコに、大丈夫だと強がりを言える位には、まだ元気があった。勿論それは、やせ我慢でしかなかった。
また何日かが経過した。ボクは起き上がれなくなった。栄養不足が原因か、それともしばらく前から体の節々が赤黒く腫れていたのが原因か、ともかくボクは起きることもできなくなっていた。
それでもボクが生きていられていたのは、ネミコが必死に看病してくれていたおかげだった。少し前には魔王と勇者として戦っていたと言うのに、今のこの状況になっているというのはよくわからなかった。
それから、また幾つか日付が変わった。ボクは食べ物を噛むことも難しくなっていた。ネミコが一度噛んで柔らかくした物を、ボクが口移しで飲みこまなければ栄養を得ることができなかった。
一日の半分以上を眠って過ごすようになり、また起きている間の意識も曖昧だった。死が近づいているのを、ぼんやりとした頭で実感していた。
そして、その数日後、ボクの意識が二度と浮上することはなくなった。
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