第六十四話
――勇者とは、体験する者である――
手始めに、近くで肉を貪り食らっていた、中型の魔物を狙うことにした。小型の魔物でないのは、体が大きいのでボクが入れない場所に逃げられないようにするためだった。
物陰に隠れつつ、石弓を構えて魔物の足に狙いを定めた。知らぬ間に溜まっていた唾を飲み込み、引き金に指をかけた。心臓が高鳴っていくのを感じた。
肉に食らいつこうと、魔物が口を大きく開けた。瞬間、ボクは指先に力を込めた。僅かな抵抗を感じた直後、反動で腕が振り上げられた。
パシュッ。
静かな発車音とともに、番えられた矢が飛翔した。空気を引き裂きながら、魔物に向かって直進した。食事に意識が向いていたためか、魔物は矢に反応できなかった。
狙いより少し上方に逸れながらも、矢は魔物の足を貫いた。衝撃で魔物の体が地面に投げ出され、痛みに苦しむ姿が見て取れた。出血もそれほどないことだし、死ぬことはないとわかってボクは安堵した。
ボクは構えていた石弓を下ろし、次の矢を番えた。そうした後、悶えている魔物へ近付こうと一歩踏み出すと、魔物の体が発光し始めた。魔物は憤怒の形相になりながら、ボクを血走った眼で睨みつけていた。
迂闊だった。魔物は身動きが取れなくとも、敵を攻撃する手段を有していた。そしてその攻撃手段とは、魔法という名の凶悪なものだった。
ボクはネミコの言葉を思い出していた。これは鬼ごっとは違い、捕まえたら退場するのだとネミコは言った。退場という言葉の意味するところはよくわからなかったが、そうしなければならない気になっていた。
ボクは駆け出した。魔法を発動される前に、あの魔物を捕まえないといけなかった。今更ながらに、捕まえるとはどうすればいいのか疑問に思った。鬼ごっこらしいので、きっと触れればいいのだろうと自己完結した。
あと数歩で手が届くまで近付いた瞬間、魔物の体の発光が止んだ。もはや一刻の猶予もなかった。ボクは咄嗟に力の限り地面を蹴って、魔物に飛びかかった。
魔法が発動する瞬間、ボクの右手の人差し指が魔物の牙の一本に触れた。現象が発生する兆候が起こりながらも、魔法は不発に終わった。魔物が、突如として消えてしまったからだった。
地面の上に全身で着地しながら、ボクの頭は不可思議に埋め尽くされていた。唐突に消えた魔物の姿を探して、這いつくばったままボクは周囲を見回した。けれど、見つけることは出来なかった。
焦りだけが高まっていく僕へと、どこからか声が聞こえてきた。
「おめでとう、ラマ!正直やっと一体捕まえただけか、とか思ってたりもするけど、私は優しいから黙っておいてあげるわね。それはそうと、言い忘れてたことがあるから教えてあげるわね。魔物たちにも、よ」
一度区切って、魔物たちの注意を集めてから、ネミコは言い放った。
「よく聞きなさい。ラマに触られたやつは、メタスタシスの魔法でチェスティーノの中に排出するから。気張りなさいね?」
その言葉を聞いた途端、魔物たちの空気が一変した。何と言うか、やる気が段違いに高まっていた。いきなり集まってきた魔物たちの視線に、背中がゾクリとした。
ボクがさっき中型の魔物を捕まえた時に足を撃ったように、魔物を傷つけること自体は禁じられていなかった。相手も魔法を使って反撃しようとしていたように、それは魔物たちにも適応されることだった。捕まえられる前に、捕まえる側を捕まえられないようにするのは、単純ながらも合理的な戦略だった。
命に関わる怪我はネミコが禁じたので、致命傷を負うことはなかっただろう。けれど、手足の一本や二本を失わせること位、魔物たちは平気でやりそうな気がした。流石にそんな事態は許容できなかった。
ボクは剣を抜いた。攻撃するのではなく、防御するために。どれだけ使えるのかはわからなかったが、やれるだけのことはやりたかった。
深呼吸をして、意識を切り替えた。数からすればボクが圧倒的不利だが、それは裏を返せばボクが魔物を捕まえる機会も増えるということだった。そうして、後に控えているネミコとの直接対決に臨まなければ、きっとそれは戦いと呼べるものにもならなかっただろう。
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