第五十五話
――勇者とは、人から話を聞く者である――
気の向くままに歩きながらも、ボクは時折思案していた。現状、この街に留まっていて、ボクの利になるようなことはもうなさそうだった。それどころか、衛兵たちに狙われているらしいので、むしろ害にすらなっていた。
街に入ったこと自体は良いと思えた。遠距離攻撃ができるようになったし、少なくなっていた保存食も万屋で融通してもらった。その代わりと言っていいのか、衛兵たちに襲われるようになったが、そんなことはいつものことなのでそれ程気にならなかった。
やはり街を出よう、そう決めた時に、不意に背後から声をかけられた。反射的に手を剣にかけながら、勢いよく振り返った。
「あ、あの……ひっ!すぃ、ませんっ!え、と、そのっ、少しは、話を、いいでしょうか!?」
「……え?」
ボクの背後に居たのは、汚れた衣服を身に着けた一人の男だった。男は貧民街の人間のような格好をしていたが、おそらくは違うのだろう。貧民街の人間にしては血色もよく、栄養をきちんと摂れているようだった。
「ああ、はい。それで、何の話でしょうか」
「え、は、はい!あの、あなたは見かけによらず凄腕の戦士様だとお見受けします。その、どうか、私たち……いえ、私のお願いを聞いてはもらえないでしょうか?」
世辞の言葉かもしれなかったが、人に面と向かって褒められたのは初めてだった。知らぬうちに顔がニヤけ、気分もよくなっていた。
「話は、聞かせてもらいます。お願いを受けるかどうかは、その後で判断させてもらいます」
「あ、ありがとうございます!それでは、まず――」
そう言って話し始めた男の顔は、心なしか晴れ晴れとしていた。
「……なるほど。そうでしたか」
男の話は三十分にも上った。所々で感情が昂ってしまって、話のまとまりがなくなったり、中断してしまったからだった。正気に戻らせる度に男は謝罪したが、一向に改善されなかった。
掻い摘んで言うと、男の話は最近のこの街の状況についてだった。その話を、少し自分の中でまとめることにした。
この街はしばらく前から急激に治安が悪くなってきていた。それというのも、一、二か月前に、この街の治安を守っていた憲兵隊が半壊したせいだった。このままじゃまずいと、残った憲兵たちと新しい志願者たちから、衛兵隊が再編された。
再編後十数日経ったある日、まだ働き始めて日の浅い衛兵の一人に街人たちが罵声を浴びせかけた。その衛兵が、ある店で起こった盗みの現場を取り押さえられなかったからだった。
実際、仕方のないことではあった。できたばかりの衛兵隊では過剰な予定が組み込まれ、隊員たちは休む暇もない程だった。しかも新しく入隊したばかりの人間が、万全でない状態で完璧な仕事ができるはずもなかった。
街人たちの罵倒は悪化していった。始めは衛兵の失敗を責めるようなものだったが、徐々にその対象が衛兵全体、果てはなくなった憲兵隊にまで及んだ。衛兵も自分だけなら我慢できたが、かつて街の治安を守ってくれていた憲兵たちを馬鹿にされては黙っていられなかった。
その衛兵は街人たちの前で剣を抜くと、最前で場違いな説教を垂れていた男を斬り捨てた。衛兵の突然の暴挙に、街人や様子を窺っていた衛兵たちも大騒ぎになった。街人を斬った衛兵は、騒いでいる街人たちに再び剣を向け、言った。
自分たちは寝る間も惜しんで働いているのに、どうして責められなければならないんだ。それに、自分の失敗だけならまだ耐えられるが、昔から人々を守っていた憲兵たちが侮辱されることには耐えられない。限界だ。こんな馬鹿な奴らを守ってはいられない。この街を自分たちの物にして、住みよい街にするんだ。
自身にも言い聞かせるように、その衛兵は周りにそう告げた。街人はふざけるなと怒るばかりだったが、衛兵たちはどうするべきか行動を決めかねた。事実、今の衛兵隊の状況には不満しかない。農作業をしていた方がまだ稼げそうな端金と言っていい給料で、昼夜を問わず働かされているのだ。文句が出ないわけがない。
一人の衛兵が、街人に取り囲まれている衛兵に賛同する声明を発した。それに追従するように、近くに居た衛兵たちは次々と賛同の声を上げていった。
囲まれている衛兵に、街人の一人が殴りかかった。衛兵は躊躇なくその街人を斬り殺した。自分たちは正義である、反抗する奴らは殺すぞ、と大声を上げながら。
それでも反発する街人は居た。けれどそんな人間は例外なく殺されていった。他の衛兵たちも少しずつ集まっていき、瞬く間に街の指導者たちを制圧した。
結果、この街は衛兵たちの支配下になった。
それから、街は荒れに荒れた。新しく街を支配することになった衛兵たちが、自由気ままに振る舞ったのだ。物を買ってもお金は払わず、気に入らない相手は問答無用で殺していった。街人たちは武器を持った衛兵たちに逆らうこともできず、従うしかなかったという。
この街の状況を何となく理解したボクは、とりあえず疑問に思ったことを男に訊ねた。
「……それで、お願い、とは何なんでしょうか。そのような話は出てこなかったように思いますが」
「……あ。忘れておりました」
男は恥ずかしそうに頬を掻いた。中年男性のそんな仕草は、あまりにも似合っていなかった。ボクは顔が引きつるのを感じながら、どうにか愛想笑いを浮かべていた。
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