ラブホテル
新人・周防と俺との客先同行は基本的に、週に一回くらいのペースで行われていた。その中で、俺は彼女がどうして新人研修での評価が芳しくなかったのかが、何となくわかってきた。
彼女の最大のウィークポイントは、質問をしない、できません、と言えないということだ。
わからないことをわからないと言えず、自分で判断して行動する。結果、失敗する。それを何度も繰り返している。わかったか、と聞かれれば、条件反射のようにわかりましたと答えてしまう。どうやら、東大卒というプライドが邪魔をしているようだ。
学歴はないのに越したことはないが、それだけで幸せにはなれないというのが俺の持論だ。特に、ウチみたいな二流企業は、どちらかと言えば、学歴よりも結果や実績が重視される。事実、社の役員連中は、さすがに大学は出ているが、いわゆる超有名大学卒、というのは少ない。ただ、このままではウチの会社で生きていくには難しい。ちょっとこれは、何とかしなければ、ならない。
そんなこんなで、この日は同じ兵庫県の西側の企業を中心にあいさつ回りをすることになった。
いつものレンタカー屋で車を借り、高速に乗って移動する。もちろん、運転は俺だ。
周防は前回の件で懲りたのか、さすがに助手席で爆睡することはなくなった。ただ、帰り際にうつらうつらすることはあるが、すぐに目を覚まして姿勢を整えている。
支社が神戸という場所にあるためか、県内の取引先はどうしても多くなる。特にこの西側の地域は多く、この日のアポは五件とまあまあの数を入れていた。そのため、昼食はサッと食べられるコンビニだ。駐車場に車を止め、めいめい好きな食材やお弁当を買って、車内で食べる。
そろそろ出発するぞと、車を走らせる。高速に乗り、スピードを上げる。しばらくすると、周防が蚊の鳴くような声で口を開いた。
「課長……」
「なんだ」
「お手洗い、行きたいです」
「手洗い? バカ野郎。どうしてさっきのコンビニで行かなかったんだ」
「コンビニのトイレ、私、無理なんです」
「ハア? どういうことだ」
「私……潔癖症なんです」
なんじゃそれは、という言葉を必死で飲み込む。ただ、すでに彼女は限界を迎えようとしているらしい。動きが少し、おかしくなっている。とはいえここは高速だ。どうすることもできない。
「あと五分くらいで高速を降りる。それまで、がんばれ」
「私……無理。限界……」
「ええと……。非常電話があるな。そこで、やるしかないな」
「そんなの無理に決まってんじゃん! アンタバカじゃないの!」
……アタシャ、アンタの上司だよ。という言葉を必死で飲み込む。そんな中でも彼女はもう、限界らしい。
「ああ……もう、無理。ごめんなさい……」
「バカ野郎。謝ってんじゃねぇよ。こんなところで勝負するんじゃねぇよ。これ、お前の車じゃねぇからな。人様の車だ。そんなことしたら、エライことになるぞ、わかってんのか!」
「ムリ! ムリ! ムリ!」
そんなやり取りをしている間に車は高速を降り、一般道に滑り込む。そのとき、俺の頭の中であることを思い出した。すぐにハンドルを切り、アクセルを踏む。
「あと一分辛抱しろ」
「一分なんて……待てない」
「ほれ、着いた」
そう言いながら俺はハンドルを右に切る。着いたのは、いわゆるラブホテルだ。
「あそこに自動扉が見えるだろう? その奥にフロントがある。大体、フロントの近くにトイレあるから、行ってこい」
俺の言葉が言い終わらないうちに周防は車を降り、パンプスの音を響かせながら、扉に向かって全力で走っていった。
「女子の全力ダッシュなんて、久しぶりに見たわ」
俺はそんなことを言いながら、車を駐車場に入れた。
◆ ◆ ◆
周防はそれから五分経っても、十分経っても出てこなかった。さすがにアポイントの時間が迫っていたので、客先に電話を入れ、少し遅れると伝えた。もう、勝手知ったるなじみの取引先だけあって、先様はいいですよ、ご安全においでくださいと、温かい言葉をもらうことができた。
結局周防が出てきたのは、それからさらに五分後のことだった。その間、二台の車が入ってきて、いわゆるカップルが肩を寄せ合いながら足早に自動扉に向かっていった。別に羨ましいとは思わないが、若いっていいなと心の中で呟いておいた。
車に戻ってきた周防は、助手席に座るなり、大きなため息をついた。どうやら、溜まっていたモノを全部出し切ったらしい。何なら、戦いのあとは少し休息していたような様子さえ見て取れた。俺は無言のまま車を走らせた。
「……課長」
「なんだよ」
「さっきのあれ、ラブホテルですよね?」
「まあ、世間的には、そう呼ぶ人もいるらしいな」
「……ということは、私、課長に襲われる可能性があったということですよね?」
なんでそういう話になるんだ、と心の中でつぶやく。礼を言うのが先じゃねぇのかよと思いながら俺は静かに口を開く。
「さっきまでウンコしていた女とヤリたいとは、思わねぇよ」
周防は思いっきり睨みつけてきたが、俺はそれを完全に無視した。
「……今日の俺は、いい仕事をした」




