日本地図
結局、周防はそのあとは、会社を辞めるとも残るとも言わずに、ただ、黙々と日々の作業に従事している。まあ、辞めるのを止めたのだろうなと解釈して、俺は自分の仕事に邁進している。
最近は、主任の小春さんについて、いろいろと雑務ができるようになっていた。小言はいくつか食らっているようだが、最初の頃から比べると、ずいぶん成長したと言える。とはいえ、まだ、俺たちの指示を受けなければ動くことができないため、一本立ちには程遠いが。
そんな中、俺は取引先との商談で、山口県は周南市に行くことになった。周南――昔は徳山と言ったんだよね。そこに、以前お世話になっていた企業の担当者が、所長として赴任している。周南営業所としても、取引先と実績を上げたいということで、ありがたいことに、わが社にお声をかけてくれたのだ。
普段であれば、サッサと自分で切符を押さえてしまうところだが、ふと思い立って、周防に任せてみようという気になった。周南だけに、周防に任せ見ようと考えた、というわけではない。
周防、と彼女を呼ぶ。はい、と返事をして、俺のデスクの前に来る。
「今度、周南への出張が決まった。切符の手配を頼めるかな」
「わかりました」
「不明な点があれば、小春主任に……」
「課長、そのくらいはもう、できますから。心配なさらないでください」
と、ちょっとキレ気味に言われてしまった。相変わらず自信だけはあるのだなと苦笑いをしながら、とりあえず、小春主任と相談の上、報告するようにと言って席に戻らせた。
しばらくすると、二人が何か会話をしているのが聞こえてきた。ゼッタイだめです。いや、これでいいんです、という声が聞こえてくる。周防の声が大きいのは承知しているが、小春さんが大きな声を出すのは珍しい。どうしたと思っていると、小春さんが何かを呟いた。日本地図を勉強、と聞こえた。すると周防が立ち上がり、ツカツカと俺のところにやって来た。
「これで行こうと思います。いいですね?」
なんでキレてんだよ、と思いながら、差し出された紙を見る。そこにはこう書かれてあった。
伊丹発福岡空港行き 往復
博多~新山口 往復
新山口~徳山 往復
うん? どういうことだ? これは、つまり?
「伊丹空港から福岡空港に飛んで、博多から新山口まで新幹線で移動して、さらに新山口から在来線で周南に入るってことか?」
「はい。ちなみに、福岡空港から博多駅までは、地下鉄で移動します!」
そういうことを聞いてんじゃねぇよ。これは、一体、何の冗談だ?
「ちなみに、小春主任は、何と言っているんだ?」
「だめだと言っています」
「ダメじゃん。そりゃそうだろう」
「……」
「周南だろう? 新神戸から新幹線一本で行けないか? どうしてわざわざ飛行機を使う? それだとかなり時間がかかるじゃないか」
「新幹線に周南って駅はないです! 山口県でしょ? 福岡の隣じゃないですか」
「ここに徳山駅って書いているじゃないか。徳山が周南市だ。新幹線でも徳山駅というのがあるだろう。にもかかわらず新山口から在来線で行くというのは、何かの鉄道イベントでもあるのか?」
「……」
「小春主任のプランはどうなんだ?」
「聞いていません」
「小春主任に聞いて見なさい。俺と同じプランのはずだ」
周防は唇をかんでいた。徳山が周南に変わったことを知らない点を差し引いても、訪問先の住所で検索すれば、きっと新幹線が早いと出るはずだ。何をどう、調べたのだろうか。わかんねぇ。そんなことを考えながら、俺は周防に向かって口を開く。
「基本的に、移動は最も安く、早く着くことが基本だぞ」
「最も安く、早く着くように、ですね?」
「そうだ」
そう言うと彼女はぷいっと踵を返して、自席に戻っていった。この俺の一言が、のちにえらいことにつながるのだが、そのことを俺はまだ知らない……。




