暦君には近づけない
マネージャーの紹介が終わると、キャプテンやらコーチやらの話があったが、監督と例外なく右から左に受け流し、ようやく練習がスタートした。
私たちが使っているグラウンドには百人近くの部員がいたが、これは四つカテゴリーがある中の上二つのチームらしい。
そして、サッカーの天才暦君は一年生ながらにして当たり前のように、トップチームの練習に加わっている。
しかし、逆に言ってしまえば、二年生三年生が集中しているトップチームの中で、暦君ただ一人が一年生なのだ。
期待が大きいから仕方がないとはいえ、周りに同級生がいないのはたいそう心細いことだろう。
しかし、そんな時こそ一年生である私たちの出番なのだ。
暦君が安心してサッカーに集中できるようにと、私たちは一年生ながらにして特別にトップチームの練習のお手伝いを許されたのだ。
だからこそ、マネージャーという立場は私が暦君に近づける絶好のチャンスなわけなのだが……。
「暦君、ランニングお疲れ! これさっき入れてきた水……」
私が暦君の為に特別に水と氷をたっぷり入れたスクイズボトルを渡そうとしたが、暦君は私を素通りして、後ろでスクイズボトルを大量に抱えていた折節から一本持っていってしまった。
「ありがとう、ツヨ」
「おう!」
私は渋い顔を隠し切れずにいると、偶々通りかかった先輩が暦君のために入れた氷たっぷりのスクイズボトルを勝手に取っていってしまった。
「あっ、それ暦君のなんだけど!?」
「ありがとな!」
先輩は何の悪気も無さそうに、飲み干してしまった。
すると、先輩は苦しそうにお腹を抑え、小走りでトイレに駆け込んでいった。
きっと、極限まで冷たくした水を一気に飲んだせいで、急にお腹を下してしまったのだろう。
「ふんっ! いい気味だわ」
私は相手が先輩だろうと関係なく、強気に腕を組みながら、悲惨な末路を見届けた。
「お前……暦になんてもの飲ませようとしたんだ」
すると、スクイズボトルを配り終えた里香が横からツッコミを入れた。
「まぁ、確かに。あんなことになるなんて、正直予想外だったわ。犠牲になってくれてありがとう。名前も知らない先輩」
私はトイレに引きこもる先輩の方に合掌して、心の底から感謝の気持ちを伝えた。
「マネージャークビになってしまえ」
結局、私から暦君への愛を込めた聖水を誤って飲んでしまった先輩は、グラウンドには帰れぬ人となってしまったが、これだけ部員がいるのだ。
一人欠けたところで、練習に支障はきたさないことだろう。
そもそも、暦君にしか許されない聖水を飲んだわけなのだから、天罰が下って当然だ。
つまり、私は何も悪くない。
全てはあの愚か者のせいということで、この後もしっかりと“暦君だけ”のフォローを頑張っていくぞ。
ランニングを終えた部員たちが次に待つのは、パスの基礎練習だ。
暦君は一回り背の高い先輩と組んで、右足と左足を交互に使いながら安定したトラップと安心できるパスを繰り返していた。
里香の情報によると、暦君の相手をしているのはサッカー部のキャプテンらしい。
いきなり、暦君に目をつけるとは、あのキャプテンも見る目がある。
金髪に青い瞳という甘いルックスと、チームのトップを任される確かな実力を持つ男。
なんだか、暦君とどこか似た雰囲気のある人だけれど、決定的に違うのはやっぱり異性への対応かな。
今でもグラウンドの外からファンクラブみたいなのが、黄色い声援を送っているけれど、さっきからあのキャプテンは彼女たちに手を振りながら、ノールックで暦君に正確なパスを出している。
ただのファンサービスと見せかけて、中身はどうしようもないチャラ男と見たぞ、私は。
チャラ男はすぐに他の女の子に行ってしまう印象があるから、やっぱり私が狙うべきは暦君一択だな。
私は顎をさすりながら、自分の方針をがっちりと固めていく。
「……サッカーの監督か」
そんな私を横で見ていた里香は、そんな小言を挟んでいた。
パス練習が終わると、今度はシュート練習が始まった。
ランダムに送られてきたボールを、ワンタッチかワントラップしてゴールを決めるという一見シンプルだが、実践するのは難しそうな練習だ。
「それじゃ、ボール拾いよろしくね。美亜」
どこからともなく現れた里香が、私に命令を下す。
「えっ!? 何で私がそんな危ないことしなくちゃならないのさ!?」
「何でって、あんた今日が初仕事でしょ? したっぱが上の命令を聞くのは当然の責務だ」
「いやだいやだ! あいつら、ものすごい勢いでシュート打ってくるじゃん!」
「そういう練習なんだから仕方ないでしょ」
「私のこの可愛い顔に当たって凹んだりでもしたら、どう責任取ってくれんの!」
「寧ろ、その自慢の顔には一回崩壊してもらって、謙虚な気持ちを持ったらどう?」
里香は不敵な笑みを浮かべてそう言った。
「里香、なんて鬼畜……。私、そんな子に育てた覚えはないわ!」
「どう考えてもお前の模倣だろ」
結局、権力の暑い牙城を崩すことはできず、私は渋々手前のゴールポストの真横に立って、どこに飛ぶかも分からないボールに怯えていた。
はぁ、私はただ暦君に近づきたいだけだというのに、どうして興味もないサッカーのマネージャーになっちゃったんだろう。
私はがっくりと肩を落とし、大きくため息をついていると、部員が放った弾丸のようなシュートがゴールの枠外に飛び、私の顔をかすめた。
本物の銃弾が飛んできたのだと思い、全身がブルりと震えた。
「さっさとボール取りに行け!」
「は、はいー!」
上級生に急かされた私は、遠くに飛んでいったボールを回収しにグラウンドの隅まで走っていった。
こんなスパルタな部活、絶対辞めてやる!
ボールを抱えてパス出し役の足元に置いたら、再び持ち場に戻っていつ来るか分からない次の枠外シュートに備えた。
しかし、精神的にまいっていた私は肉体的にも疲れ、さっきよりも肩が落ちていた。
そのまま倒れてしまいそうだったから、膝に手をついて立った状態を何とか保つ。
大体、ここは強豪校なんでしょ!?
サッカーが上手い人たちの集まりなのなら、シュートくらいゴールに入れなさいよ。
「大丈夫ですか?」
心の中で文句を垂れていると、奥側のゴールポストで私と同じようにボール拾いをしていたマネージャーが、私の下に来て身を案じてきた。
名前はもう覚えていない。
今はナンパとか受け付けられるほど、心の余裕ないんですけど……。
それに、四角い眼鏡をかけた私と身長がほとんど変わらないモブ同然の男なんて興味ないです。
とりあえず、私は下がった肩を元に戻して、いつもの営業スマイルで挨拶を返した。
「三年の三谷です」
「どうも、一年の春山です」
「春山さんは自らボール拾いに来たんですか? 凄いですね」
「いや、権力者に抗えなかっただけです」
「権力者ですか?」
三谷先輩は何のことやらといった反応だ。
運動部だから、上下関係厳しいのかと思ってたけど、意外とそうでもないのかな。
だとしたら、私は里香を許さない。
あとで、プリン代請求してやる。
「まぁ、とにかくうちの部員、シュートがめちゃくちゃ強いので、危ないと思ったら避けてくださいね」
「お気遣いありがとうございます」
「僕も昔、強烈なシュートが顔に当たって眼鏡が壊れちゃったことがあるんですけど、当てた本人が自腹で修理代を払ってくれたことがあるんです。ここの人たちは皆優しいんですよ」
「へぇ~、そうなんですか~」
あんたの身の上話なんて興味無いわ。
さっさと、反対側に戻って、愛用の眼鏡が粉々になって優しい部員に新しい眼鏡でも買ってもらいなさいっての。
自慢の優しい部員に。
優しい……部員……に……。
その言葉は、私の脳内を駆け巡り、暦君攻略のための新たな策を授けた。
「これだ……」
私はそう呟くと、それ以降は前向きにこの役割を全うした。




