前哨戦の行方
敵のマネージャーから学校のジャージを強奪した私は、いよいよ敵地へと足を踏み入れた。
ここの高校のサッカー部も案外人が多いので、すんなりと侵入できた。
「ちょっと、あんた」
すると、真横を通りかかったあたりで、集団で偉そうなマネージャーに声をかけられた。
よりにもよって、厄介そうなものに引っかかってしまったか。
「見ない顔だけど、うちのマネージャー?」
「はい。つい先日入ったばかりなので、まともな自己紹介とかできてないんですよ。あはは……」
とりあえず、それっぽい嘘をアドリブで受け答えしてみる。
勘の働く人なら、すぐにバレてしまいそうなものだが、相手の表情を見るに、何も気づいていなさそうだ。
それどころか、新入りをどういたぶってやろうか考えているかのような、不適な笑みを浮かべている。
「そう、それじゃあ新人ちゃん。これ、よろしくね」
すると、先輩マネージャーはたくさんのボトルが入ったカゴを私に押し付けた。
「ちゃんと、手渡しも忘れずにやるのよー」
最後にそう言い捨てると、先輩マネージャーは取り巻きのマネージャーたちを連れて、その場から立ち去ってしまった。
この一連の流れは怒ってもおかしくない場面だが、今の私としては好都合だ。
……こんなにはいらないけれど。
私はカゴを持って水道の前に立つと、スポーツドリンクの粉末を入れたボトルに水を注いだ。
水を充分に入れたら、蓋を閉めて均等に混ざるようにボトルを振る。
しかし、まともに作ろうとすると、なかなかの重労働で、一本作っただけでも二の腕がパンパンになりかけた。
「あ〜、めんどくさっ」
一本で苦戦を強いられた私はカゴに入っているボトルたちを見て、濁声でため息をつく。
しかし、私はあることに気づいた。
「……そっか。一応敵なんだから、真面目に働く必要ないじゃん」
なんて柔軟な発想だろうか。
我ながら恐ろしい。
そうとなれば、残りは適当に水を入れて残りの一本は、本来の目的のために利用するとしよう。
私はスポーツドリンクの粉末と水の配分を適当にして、残りの一本には私の憎悪と愛情を込めた特別なドリンクを配合した。
これで、必要なものは揃った。
私はカゴを所定の場所に戻すと、特別に入れた一本だけを抜き取り、最大の障壁を打ち破りに戦地へ赴いた。
探し回ること数十分――。
ようやくターゲットを見つけたが、さっきの熊なんとかというやつと駄弁っていて、接触するタイミングが無かった。
私が思いついたやり方は、私とターゲットの二人きりにならなければいけない。
とはいえ、試合開始まで時間は刻一刻と迫っている。
なので、私はイチかバチか、取り巻きを追い出そうと自ら打って出た。
「熊せんぱーい! 向こうで監督が呼んでましたよー!」
熊先輩は俺のことかと自分に人差し指を向ける。
「……いきなりあだ名呼びとは、随分と人懐っこいマネージャーだな」
「……ああ。だが、あれはなかなかの上玉じゃねぇか」
二人は何かブツブツと小言を呟いていたが、私は気にせず催促する。
「早くしてくださーい! うちのストライカーに秘策を授けたいって、躍起になって探してましたよー!」
「秘策!? 適当なロングボールでしか点が取れない俺たちにか?」
「お前、自分で言っててプライドとか傷つかないのか? よく分からんが行ってやったらどうだ?」
「そんなこと言って、あの子と二人きりになりたいだけだろ?」
「どうだかな。ほら、さっさと行けよ」
二人はその場から一歩も動かず、ずっとひそひそと話していた。
なんだか、ちょっと気持ち悪い。
「はーやーくー!」
「あーもう、分かった分かった! すぐ行くからー!」
急かされた熊先輩は、腑に落ちなさそうにその場から立ち去った。
願い通りターゲットのゴリラと二人きりになったら、私は小走りで奴の隣に立った。
すると、ゴリラは笑顔で熊先輩を見送る私を凝視した。
それは、己の欲望を満たそうと、獲物に狙いを定める目だ。
しかし、そんなシチュエーションですら、私の計画の範疇だ。
「お疲れ様です先輩。さっきの試合、とってもカッコよかったです」
「……見てたのか?」
「はい、もちろん! 私、マネージャーですから」
……上葉高校のだけどね。
そんな事実はつゆ知らずのゴリラは勘違いして、私が自分のプレーに惚れているのだと思い込むように鼻を鳴らす。
なんと哀れで愚かな男か……。
「なんだ? 俺のようなパワフルなプレーが好みってことか?」
ゴリラは得意げになって、あまり毛が伸びていない頭をかけ上げるような仕草を見せる。
「それはもう、ずっと目が離せませんでしたよ」
……危なっかし過ぎてね。
すると、ゴリラの様子が、想定と違った形相になっていた。
とりあえず、適当に褒めておけば鼻を高くするだろうと踏んでいたのに、今のあいつの目はとても優しそうで、とても人間らしい顔をしていた。
「そうか。そんなに見てくれてたのか」
ゴリラは小言を呟くと、段差に腰を下ろして額に手を当てた。
「……先輩?」
「あぁ、いや。ディフェンダーはあまり日の目を浴びないポジションだからな。ゴールを期待する観客にとっちゃ、俺たちみたいなやつは悪者として見られることが多いんだ。だから、あんたみたいに褒めてくれるのは、素直に嬉しいんだ」
「……そ、そうですか。それは何よりですねー、アハハ……」
あれれ~。
なんか、相手の解釈がとんでもない方向に飛躍している気がするぞー。
「ディフェンダーは目立たねぇし嫌われやすいポジションだが、俺のこの力でチームが勝てるのなら、俺は喜んで五枚目になってやる」
「先輩……」
これまで、こいつに対して悪意しかなかったけれど、彼の迷いの無い眼差しを見ると、募っていたその思いがなし崩し的に崩れかけようとした。
どう考えても悪者なのに、この一瞬だけはチームを引っ張る主人公のように見えた。
その黒く光ったオーラが、ボトルを持った私の手を勝手に後ろに引っ込める。
「そういや、水分補給忘れてたな。そのボトル貰っていいか?」
すると、喉を嗄らしたゴリラが私のボトルに気づき、よこせと手を伸ばした。
「あっ、いやこれは……」
どうしよう……。
普通に渡してしまえば目的は達成されるのに、今のやり取りのせいでとても渡しづらい。
どうしようかドギマギしていると、ゴリラが立ち上がって無理矢理ボトルを私の手から引っぺがした。
「大丈夫だ。俺、誰かの飲みかけとか気にしねぇから」
ゴリラは得意げにフッと笑いながら蓋を開けるが、察した心中は全くのお門違いだ。
「あー! ダメー!」
必死に止めようとしたが、ゴリラ並の素手に頭を抑えられ、人間の私はそれに抗うことができなかった。
そして、ゴリラはもう片方の手でゴクゴクと、ボトルに入った水をがぶ飲みする。
「っばぁ~。これ、なんか妙に味薄くないか? やけに冷たいし」
ああ、終わった……。
本来の目的は果たせたはずなのに、敗北感を感じるのは何故だろう。
「それ……私が特別に作ったものなんです」
私は本心がバレないように、抽象的にボトルの中身を伝える。
「それって、俺のために作ってくれたってことか?」
しかし、ゴリラはどこかときめきを感じているかのように、目を見開く。
初めての感覚だったろうに……。
急に彼のことが可哀そうに思えてきて。もう直視できなかった。
「え、ええ……間違ってはないですね」
話は噛み合っているのに、リアクションは噛み合わない。
なんだか、とても気まずい。
「……なぁ、あんた」
すると、勘違いしたゴリラは何か意を決したように、私のことを真っ直ぐ見つめてきた。
「もし、この大会で優勝したら俺と……」
ゴリラが何か大事なことを言おうとすると、突然お腹を抑えて膝から崩れ落ちた。
そう、私が飲ませたのは、以前暦君に飲ませようとして見ず知らずの先輩が勝手に飲んだ氷たっぷりのキンキンな飲料水だ。
まさか、武器として使うことになるとは思わなかったけれど、どうやらゴリラ相手でも効果は絶大なようだ。
我ながら恐ろしい……。
しかし、このままでは私が意図的に仕向けたようになってしまうので、とりあえず芝居はうっておくことにしよう。
「せんぱーい! 大丈夫ですかー!」
「ト、トイレ……行きたい」
私は痛みで唸り声をあげる先輩の肩を持ち、トイレの間の前まで運んだ。
無事に着くとゴリラはそそくさと個室に駆け込むと、それから大会が終わるまで彼がトイレから出てくることはなかった。
これにて、任務は完了したわけだけれど、どこか腑に落ちない勝利となってしまったのは、反省しなくちゃいけないかな……。
しかし、これで暦君に降りかかる恐怖は取り除けたのだ。
反省はするかもしれないけど、後悔は決してしない。
私は固くそう心に誓い、男子トイレに背を向けるのだった。




