不吉な予感
高校一年サッカー部暦瑞季――。
折節とサッカーに浸け込んだ日々を過ごす彼の日常に、最近とある隠し味が足されていた。
「……あった」
朝練を終えて教室に戻り、席に着いたら机の中をあさると、一つのノートが出てくる。
数日前から暦のファンだという男子と、ノートを通じてのやり取りが暦にとっては新鮮なものになっていた。
しかし、内向的なのか、暦の親友である折節には内緒にしてほしいというので、折節が前を向いて授業に集中している間に、こっそりとノートの中身を覗いていた。
少し罪悪感はあるが、ファンの頼みなら折節も納得してくれるだろう。
そうやって自分を納得させながら、今日も新しく書かれたページをめくった。
交換ノート5ページ目――通りすがりの普通のファン(男です)。
お返事ありがとうございます。
僕もレオが大好きです!
小柄なのに、体格のある選手に物怖じせず、ドリブルで切り裂く様は、見ていてテンションめっちゃ上がります!
しかも、それだけじゃなくて、針の糸を通すような綺麗なパスとか、常人では考えられないタッチとか、レオが出る試合はいつ見ても新鮮な気持ちにさせてくれますよね!
だから、そんなレオに似たプレースタイルの暦君を好きになったんだと思います。
改めてこれからも応援します!
――終わり。
暦は一通り目を通すと、どこか切なく笑みをこぼした。
自分とレオが似ている――。
それは、将来レオの跡を継いでほしいという期待も入っているのだろうか。
暦はそんなことを考えながら、窓に映る歪な形をした雲たちが浮かぶ空を見て黄昏ていた。
レオの後継者――。
それは、神の後継者にも等しく、その言葉の重みに潰された天才は後を絶たない。
天才でも踏み入れることを許さない領域。
そこに、暦という日本の天才は己が望まず、周囲から背中を押されるように、その領域に踏み入れようとしていた。
サッカー選手としての暦には、“レオ”という名の壁があるのだ。
授業中に返事を書いた暦は、昼休みにファンから指定された部室の隣にある大きな木の樹洞に投函した。
それから、時間が流れて放課後――。
楽しみの部活が待っている暦は、いつも通り興奮気味に折節を急かしながら手を引いて、更衣室へと足を運んだ。
「ツヨ。また筋肉増えたんじゃない?」
暦はワイシャツを脱いで露になった折節の上半身を見て、一回り分厚くなったことに気づく。
「ぬぉ? ようやっと気づきおったか、瑞季よ。実は最近トップアスリートの練習法を取り入れてな。おかげで、上腕二頭筋もこの通り!」
そう言いながら、折節は自慢の力こぶを作り、暦に見せつける。
「なるほど。あとでトレーニングのやり方教えてよ。まだ線が細いから、フィジカルも鍛えておきたい」
「そうさな。だが、筋肉をつけ過ぎても体が重くなって、瑞季の軽やかさが潰れてしまうやもしれん。だから、もう少し調べてから教授しよう」
「ありがとう。楽しみにしてるよ」
こんな風に、何でもかんでもサッカーの話に織り交ぜながら、折節と有意義な談笑していた。
練習着に着替え、偶々落ちていた野球ボールでリフティングをしながらグラウンドに向かっていると、一人の女生徒が物陰から暦の立っている辺りを覗いていた。
暦は反射的に近くの大きな柱に隠れると、女生徒は誰もいないと判断したのか、こそこそと部室棟付近を歩く。
暦も柱の影から女生徒の姿を確認すると、そこにいたのはこの前練習中にボールをぶつけてしまった春山美亜だった。
暦の認識では折節ととても仲が良さそうなので、ボールを当ててしまったことを思い出すと、罪悪感で胸が苦しくなる。
しかし、彼女が進もうとしている先は部室棟ではなく、隣にある大きな木であることに暦は違和感を覚えた。
あの木は目立つが、それ以外に特徴はなく、わざわざ人が立ち入るような場所ではない。
厳密に言えば、あそこには暦が投函したファンとの交換ノートしかないはずだ。
しばらく様子を窺っていると、彼女はその交換ノートを取り出し、そのまま持ち去っていった。
ノートを書いている人物は男子だと主張していたはず。
不思議に思った暦は、こっそりと彼女の後を付けてみることにした。
春山美亜を追って辿り着いたのは、暦のクラスが使用している教室だった。
既にクラスメートは下校してもぬけの殻になっているはずの教室で、春山美亜とそのお友達である夏海里香が二人で何かをしているのが窓から見えた。
暦はもう少し顔を上げて詳細に様子を窺うと、春山美亜の手元には交換ノートがあった。
春山美亜は躊躇なくノートを開けると、夏海里香と一緒にノートの中身を読んでいる。
その光景とこれまで自分が春山美亜にしてきたことを思い返すと、暦の中に一つの仮説に生まれた。
それは、春山美亜から暦への復讐だ。
おそらく春山美亜の意中の相手である、折節を独占してしまっていること――。
そして、その春山美亜の顔にサッカーボールをぶつけてしまったこと――。
仕返しをするには、充分過ぎる理由だ。
いかにも、女子組の中でも大ボスっていう雰囲気があるし、間違いない。
前から少し怖いとは思っていたが、自分が標的にされたと思うと暦はその場から一歩も動けなかった。
しかし、それと同時にある一抹の不安がよぎる。
それは、あの交換ノートを作ってくれたファンの自分への想いが台無しになってしまうことだ。
サッカー選手はいつだってファンの味方で、その人たち期待を決して裏切ってはいけない。
暦には既にそんなプロとしての自覚が備わっていた。
ラスボスのような存在に挑むのは怖くてたまらないが、初めて想いを伝えてくれた自分のファンをあんな形で汚されてはいけない。
暦は一つ深呼吸を入れると、意を決して教室のドアを開けた。




