暦君にはルーティンがある
最終校正日5/26
「おーい瑞季! そろそろ起きる時間だぞー!」
暦の朝は幼少期からずっと前から聞き慣れている折節の溌剌とした声から始まる。
寝間着はいつも有名なサッカーチームのユニフォームだから、学校の時間までは着替える必要はない。
とても気楽だ。
折節が朝御飯を作っている間は暇なので、家にある人工芝が敷かれた広い庭で軽く体を動かしている。
いつもは抱き枕代わりのサッカーボールをそのまま持って行って蹴っているのだが、今朝は折節が使っているキッチンから盗ってきたレモンをリフティングして遊んだ。
アルゼンチン出身の神と呼ばれているサッカー選手が、これで100回達成していたことを知って、暦も挑戦してみたくなったのだ。
ボールの扱いに秀でている者は、丸いものがあればすぐにボールに見立てて蹴りたがる。
198……199……200。
200回目でレモンを高く蹴り上げると、巧みに自分の歯でキャッチして、分厚い皮ごとレモンをかじった。
これで、アルゼンチンの神の記録をダブルスコアで達成。
録画はしていないので、ギネス記録には乗らないが、暦は達成感が満たせればそれで満足だ。
「瑞季よ、飯ができたぞー!」
掃き出し窓から折節が呼ぶので、暦はかじったレモンを片手に家の中に入った。
「そのレモン。まさか、昨日の動画に引っ張られおったな」
勘の良い折節は歯型がついたレモンを見て、それでリフティングしていたことにすぐ気づく。
「200回できたんだー!」
暦は少年のような無邪気な笑顔で、折節に自慢した。
折節の作る朝御飯は、常に暦の体を考えたメニューで構成されている。
今朝はイチゴとブルーベリーにハチミツを軽くかけたオートミールで、エネルギー源である炭水化物を摂り、薄味の鶏むね肉からタンパク質を吸収する。
そして、さっきかじったレモンを全部食べてビタミンを摂取し、この後の練習を楽しく行うための準備をした。
朝食後、暦は自室に戻って制服の中に練習着を重ねたら、家を出て隣にある折節家の玄関前で折節を待った。
「すまん、待たせたな」
「もぉ~、遅いよツヨ!」
慌てて玄関を降りてくる折節に、暦は不機嫌そうにパタパタと足踏みをする。
「ねぇねぇ、昨日の試合どうだった?」
「そうさなぁ……」
学校までの30分間の暦と折節は、ずっとサッカーの話をしている。
でも、そんな時間はあっという間に終わってしまうから、通学路はもう少し長くてもよかったかなと、少し物足りなさを感じている。
――かつて、とあるイングランドにあるサッカークラブの年配サポーターは、駅からスタジアムまで45分も歩くことに愚痴を零した日本人コメディアンにこう言った。
『何を言っているんだ! 45分もサッカーの話ができるんじゃないか!』
暦はそんなイングランドのクラブサポーターと考え方が近いのだ。
そんなちょっとした不満を抱えて通学路を歩いて学校に到着したら、暦はサッカー部の朝練に参加し、マネージャーである折節は朝練の時間は暦の練習に付き合った。
朝の練習は個人練習がメインなので、暦にとっては折節とサッカーができる数少ない至福の時間なのだ。
地面に転がす普通のパスや、少し技術がいるリフティングパス。
昔はこんな風にさりげなくレベルの高いパスを回して、折節が失敗すると二人で笑い合っていたのがとても懐かしく感じる。
折節はもうプレーはできないけれど、だからこそこの時間はかけがえのないものなのかもしれない。
朝の練習が終わると、二人は更衣室で制服に着替え、自分たちの教室に向かった。
朝礼直前ということもあって、校内は既に生徒たちが蔓延っていて、その中には暦に視線を送る者も少なくなかった。
その大半は、暦を付け狙うヘビのような女子たちの視線だ。
みんな、ウェルカムと言わんばかりに暦に手を振るが、異性が苦手な暦はすぐに折節を盾に隠れる。
「おいおい、歩きづらいではないか」
折節はおおらかに暦を宥めるが、暦は折節の影からべったりと離れなかった。
こうして、暦にとってある種のお化け屋敷を通過し、教室に入ったら大きく一息ついて授業の準備をするのだった。
ここまでが暦の大まかなルーティンになるわけだが、この日は少し不思議なことが起きた。
いつも空っぽの状態にしているはずの机の中に、一冊のノートが雑に入れられていたのだ。
誰かが間違えて入れたのだろうか。
暦は慎重になってノートを手に取り出し、表紙を見る。
持ち主の名前はどこにも書いておらず、その代わりに名前の欄には“暦君へ”と書いてあった。
その周りには“絶対見てね!”“見なきゃ損するよ!”“必ず見なさい!”といった強い推しや、“見なかったら女ぶつけてやる”といった脅迫が混在したメッセージがあちこちに散らばっていた。
困り果てた暦は折節に相談しようとも考えたが、メッセージの中には“折節様には見せないでください”という的を射た要求と、“もし折節様に言ったら引き離す”と念入りに脅迫をしている文言があるせいで、話すこともできなかった。
なんだか、詐欺に合っている気分だ。
暦は息を吞んで恐る恐るノートを開き、一ページ目に書かれた文章を読んだ。




