初めての会話
結局、今日はただただサッカー部の人たちに振り回されただけだったな。
そのくせ、暦君とは全く絡めなかったし、私何してんだろう。
せめて、私の顔に当てた人が暦君であることを祈りつつ、私は窓に映る暗い空を見上げていた。
すると、後ろから誰かがカーテンを開ける音が聞こえた。
暦君かな……いや、そんなわけないよね。
淡い期待と現実的な失望が入り混じりながら、声の方に首を回すと、案の定そこにいたのは暦君ではなく、二つの鞄を肩にかけた里香だった。
「はぁ……やっぱり、現実は里香だよね」
「悪かったな、現実を見せちまって」
里香は鞄を肩から降ろすと、近くのスツールに座って私の身を案じてくれた。
「具合はどうだ?」
「ちょっと頭痛いかも」
「そうか。今日はあたしがあんたの鞄持ってやるから。無理はするなよ」
「ありがとう、里香」
私は柄にもなく、素直に感謝を伝える。
「さては、結構落ち込んでるだろ?」
素直過ぎる私を見て、里香はニヤリと私の心の内をほじくった。
日頃の仕返しだとしても、覚悟はできているから私に憤りはない。
ただ、今は素直な自分でいたかった。
「誤解はされるし、近づくこともままならないし。私、何してるんだろうね」
「あ、ああ。そうだな」
流石の里香も今の私には同情しているようだ。
「で、でも、もっとちゃんとしたアプローチをすれば、いくら暦でも受け入れてくれる時は来るよ。……多分」
自信なさげに言葉を切る里香。
やっぱり、里香は優しい私の大親友だ。
「里香、私はもう大丈夫だから。少し休ませて」
「あ、ああ……」
そして、私はベッドの上で壁に背を付け、何も感じない静かな空間で視線の先にある骨格模型を見つめていた。
里香は励ましてくれたけど、正直疲れちゃった。
プライドを捨てて汚い手を使ったとしても、やっぱり最後は運なのかもしれない。
それなら、いっそ諦めた方が……。
心の中が揺らいでいると、保健室の扉が勝手にガラガラと音を立てた。
「春山はおるかー!」
入り口からバカデカい声量で、私の名前を呼ぶのは折節だ。
「わ、私ならここだよー!」
私もベッドの上から手を挙げると、折節はドスドスと豪快に足音を立てながら私の下にやってきた。
「起きておったか。して、体の方は大丈夫か?」
「目が覚めた時よりはだいぶ楽になった」
「そうであったか。それは何よりだ」
折節は私の安否を確認すると、腕を組んで満面の笑みを浮かべた。
「良かったな。春山は大丈夫だそうだぞ」
折節は何故か自分の背中に向かって、改まって私の無事を伝えた。
っていうか、誰に話しかけているの?
少しすると、折節の背中から小さな顔がひょっこりと現れる。
そして、出した片目が私の目と合うや、すぐに折節の背中に逃げてしまった。
「ほーれ、恥ずかしがっとらんで、顔を出さんか」
折節は背中にいる者の肩を掴んで、強引に私の前に立たせた。
可愛げのあるもみあげに、サラサラとしたクリーム色の長い髪。
肌も白くてきめ細かく、目鼻立ちも整っている全てが完璧な誰もが羨むような美形男子。
赤面しながら私の目の前に立っているのは、まぎれもなく暦君だ。
「こ、暦君……?」
「あ、あのぅ……」
暦君は気恥ずかしそうに足をモジモジさせ、両手の人差し指をツンツンさせている。
上手く言葉で言い表せないけれど、とにかく可愛い。
「瑞季、春山に言わなければならないことがあるだろう?」
折節は優しく暦君の肩に手を置き、安心させようとする。
そして、私も私でこのシチュエーションに戸惑い、鼓動が早くなっていた。
言わなければならないことって何?
もしかして暦君、本当は私のこと気になってたとか?
もしこれが告白なのだとしたら、即行でイエスと返事しよう。
そして、二度と離れないように、あの手この手できつく縛っておかなければ。
私はソワソワしながら、暦君の言葉を待つ。
「あ……あの……」
「……はい」
あー、もどかしい!
早く言ってくれないと、私も返事できないんですけど!
すると、暦君は一度深呼吸をして心を落ち着かせ、意を決した顔で私を見た。
「あのっ!」
「はい!」
いよいよ来るか。
返事した後はどうしようかな。
ハグとかキスとかは、流石にまだ早いかなぁ。
やっぱり、段階を踏むなら最初は手を繋いで……。
「ごめんなさい!」
「……え?」
私の思考を遮って出てきた暦君の言葉は、まさかの謝罪だった。
嘘でしょ……。
まだ、私から告白もしてないのに、何でフラれなきゃいけないの!?
付き合ってから行うはずの初めてのあれやこれや。
結婚してから手に入れる裕福な生活と幸せな家庭。
それら全ての理想像はガラスのようにパリンと割れて、粉々になってしまった。
返す言葉も出ず、放心する私。
人生が終わったかのような絶望感。
いっそ、一足先に来世に行って、新しい理想の男でも捕まえる準備でもし直そうかな。
そんなことを考えていると、里香が私の頬をつついて現実に引き戻す。
「おいおい、お前なんか勘違いしてないか?」
「……ほぇ?」
私の間の抜けた声に、里香は察し通りと言わんばかりに溜息をつく。
「暦はお前にボールを当てたことを謝ってるだけだぞ」
「……ほぇ?」
私は呆けた顔のまま、改めて暦君の方を見ると、赤面しながら私から目を反らして頷いた。
「本当に……ごめんなさい……」
暦君にそう言われて、ようやく謝罪の真相をはっきりと理解した私は、次第に顔が明るくなっていった。
「なんだぁ、そんなことだったのか」
私は心の底から安堵する。
私の勘違いは鈍い二人の男には分かるわけもなく、どちらも顔をきょとんとさせていた。
そして、言うべきことを言った暦君は、再び折節の背中に隠れ、チラッと私の方を覗いていた。
「私は平気だから、暦君も気にしないで、これからもサッカーの練習頑張ってね!」
安心と応援の両方を与える完璧な返し。
そうよ、これが私――春山美亜よ。
さっきまで落ち込んでいた自分が恥ずかしいわ。
「あ、ありがとうございます。こ、これ以上はお邪魔でしょうから、あとはツヨと一緒にごゆっくりと……」
「……はにゃ?」
「ツヨ、僕は先に帰ってるから。春山さんとゆっくりしててね」
暦君は折節にそう伝えると、そそくさと保健室を出ていってしまった。
……しまった!
あの誤解、まだ解けてなかったんだ!
私は急いでベッドを飛び降り、保健室の扉から頭痛が増すような勢いで叫んだ。
「違うんだってばーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」
結局、誤解は解けなかったけれど、最後に暦君と話すことができた。
これは間違いなく私にとって大きな一歩だ。
これなら、まだ諦めなくてもいいかな。




