第9話 「ようこそ、ヴィーグ村へ」
サラサラと、庭の木や生え放題の雑草が風に揺れている。
再びやって来た村はずれの家は、どこからどう見てもボロだった。
一応建ってはいたが、屋根にコケが生えており、壁の一部の木は腐りかけているように見える。
窓の鎧戸はきちんと閉まっているのに隙間があり、玄関ポーチの屋根を支える柱は一本が斜めになりかかっている。
「本当にいいんだな?確かに家一軒が金貨二枚というのは破格だが、あちこち壊れているんだぞ」
一緒にやってきたデニスが、家の鍵を持ったままそう言った。
もうすでに、契約書にサインをしてお金を払った後である。
この家は村の所有になっていて、金額も村が決めていた。
貸すにしてもあちこち直さないといけない、ということで、そのまま放置されていたそうだ。
そして今回、カイが買い取るということで、かなり値下げをしてくれたのだ。
とてもありがたい。
「もちろんです。僕は修理屋ですから、自分の家くらい自分で直します。綺麗にしたら、デニスさんを招待しますよ」
「そうか?まあ、あれこれ直さないといけないだろうから、気長に待ってるさ」
軽くうなずいたデニスは、カイに鍵を渡した。
予備も併せて二本ある。
「期待していただいていいですよ」
「整え終わったら、母さんとエルゼも一緒に呼んでくれ。引っ越し祝いを持って来るからな」
招待するという目標があれば、片付けもおっくうにならずに済みそうだ。
「はい、ぜひ」
にこりと笑顔を向けたが、デニスはあまり信じていないようである。
「ともあれ、ようこそ、ヴィーグ村へ」
デニスは、軽く両手を広げて言った。
「ありがとうございます」
「これからは客じゃなくて仲間として扱うからな。こっちは変に気を回したりしないから、カイも遠慮しないでくれ」
デニスにそう言われて、やっとカイはこの村に根を下ろす実感を得た。
「はい」
「もし、シャワーを浴びたいとかそういうときは言ってくれ。それくらい貸せるから」
去り際、デニスは色々と心配してくれた。
手持ちの金は大丈夫か、修理はしても生活魔法に使う魔力を残しておけ、腹が減ったらちゃんと食べろ。
もはや独り立ちを心配する実家のお父さんである。
「はい、気をつけます。大丈夫ですから、デニスさんはお仕事に戻ってください」
「……ああ。ま、これまで一人で旅をしてきたんだから大丈夫だろう」
「そうですよ」
そもそも、成人をとっくに済ませているのだ。
世間知らずでもないつもりなのだが、随分と気にかけてくれている。
「でも、困ったら頼ってくれよ。逆に、おれたちが困ったときには、カイを頼ることもあるだろうからな」
「わかりました。ありがとうございます」
デニスだけでなく、村の人たちは何かあればカイを助けてくれるだろう。
村の人たちが困っていたら、カイはすぐに手を貸すつもりだ。
そういう未来が簡単に予想できた。
家族とは違うが、隣人というには少し近い。
けれども、少し物理的に距離があるので、べったりとした関わりとまではいかない。
とても良い場所に、自分の城を構えることができた。
デニスを見送ってから、カイは自分のぼろ家を改めて見た。
「……さて、やるか」
これから、カイの穏やかな村生活が始まるのだ。
玄関のドアを開けると、ギギギギイイィ、という何とも言えない音がした。
多分、蝶番が錆びているのと、扉の下の部分が床をこすっている。
ここも直さないといけない。
「うわぁ、わかってたけど、ボロボロだな」
入ってすぐ左側にキッチンがあり、奥の壁側には扉が三つある。
キッチンの並びの所にも扉がある。
床には埃が溜まっており、壁の角には蜘蛛の巣も見えた。
窓の鎧戸に隙間があるらしく、細く光が見える。
右側はリビングダイニングだろう、大きめの机と、椅子が四脚見える。
「全部埃まみれだ。先に掃除かな」
そして部屋の中央、少し奥側の床には跳ね上げ式の扉らしいものもある。
「あれが、地下への扉か」
広めの地下倉庫があるらしい。
氷室ではないが、ひんやりしているので保管庫にちょうどいいそうだ。
まずは、窓を開けたい。
「よっ……と。かたい、けど、動き、そう!!」
ギシギシいう鎧戸を無理やり押すと、バン!という音とともに開き、家の中から埃が外へと舞った。
玄関以外からも光が入ると、部屋の中がよく見える。
「あ、中は思ったよりも傷んでないみたいだな」
埃まみれだし、キッチンのシンクは錆びている。
けれども、床板は歪んでいないし、内側の壁材も汚れているだけのようだ。
少しささくれがあるので、そこだけ補修すれば問題なさそうである。
「雨漏りが怖いから、早めに外装を整えないといけないか。あとは、水回りも見ておかないと」
リビングダイニングとキッチンの窓、全部で五つの鎧戸を開けると、かなり明るくなった。
「あ、この竈、デニスさんの家のと似たような形だ」
この国の家は、あまり建て売りのようなものはない。
ほぼすべてが注文住宅だ。
だから、細かいところに作り手の癖が見えてくる。
「同じ人が建てたんだろうな。それにしても頑丈そうだ」
竈の扉も、ほとんど同じ形だった。
次に確認したのは、洗面とトイレだ。
キッチンの横側に扉があり、そこから洗面へ行ける。
洗面室は奥に手洗い場、左がトイレで右がシャワー室だった。
「うっ……トイレは、まず先に直さないと」
この国に、上水道はない。
生活魔法で水を出せるからだ。
けれども、下水道だけはある。
トイレは水が枯れていて、下水からの匂いが立ち上っていた。
キッチンと手洗い場もそれなりの匂いだったが、トイレは酷い。
「まずは水。後で故障があるか調べよう」
カイは、水を出してトイレの配管に流し入れ、早々に退散した。
手洗い場と、シャワー室の排水管にも水を流しておいた。
排水トラップは、異世界でも発見されて活用されている。
世界が違っても、人間は同じようなものを作りだすものらしい。
「あとは、あっちの扉か」
奥の三つの扉の先は、すべて寝室だった。
三つ並んだうち、キッチンに近い側の部屋には小さな物置部屋もあった。
こぢんまりしているが、三角屋根を活用したロフトも各寝室についている。
LDKの上へは梯子がかかっていて、屋根裏部屋になっている。
一人暮らしには十分に贅沢な家だ。
カイは、風魔法で部屋中の埃や蜘蛛の巣を集めた。
煙突の中も風魔法で掃除した後で、ぎゅっとまとめてもかなりの大きさになった埃を暖炉で燃やした。
暖炉は部屋の中央近くにあるので、冬になったら家中を温かくしてくれそうだ。
汚れて古ぼけた建物だったものが、少しずつ『カイの家』へと変わっていくのを感じた。
家の中の掃除を一通り終えたカイは、次は庭を確認しようと考えて玄関の方を向いた。
すると、扉の飾り窓からほんのりと人影らしいものが見えた。
扉を開けると、目の前にヒルダが立っていた。
「あ、カイ!もう引っ越してきたのね」
「ヒルダ。こんなところまで、どうしたの?」
ヒルダは、ぴょこんと耳を揺らした。
「お昼ご飯をおすそ分けに。っていう建前で、必要な物がないか聞きに来たの。家具はある程度残っていそうだって聞いたけど、足りない物も多いでしょう?」
にぱっと笑ったヒルダは、次期店長として営業に来たらしい。
「それでわざわざ来てくれたんだ。とりあえず、中を見てみる?まだ中の掃除が終わっただけだけど」
「ううん。今日はまだいいわ。カイにはやることがいっぱいあるでしょ?邪魔しちゃ悪いし」
迷いなく首を横に振ったヒルダは、ひょいとカイの方へ手に持っていた籠を差し出した。
「はい、これ。残ったら、夕飯なり明日の朝なりに食べて」
「ありがとう。少しは食品を買ってきてたんだけど、正直めんどくさいなって思ってたんだ」
カイが籠を受け取ると、ヒルダは大きく尻尾を振った。
「ならちょうど良かったわね」
「本当に助かるよ。今はまだ思いつかないけど、いるものがわかったら相談する」
「わかった。いつでも言ってね。大体のものは揃えてるし、なかったらすぐ仕入れるから!」
元気よく言ったヒルダは、大きく手を振って帰っていった。
籠の中身は、少し歪んだサンドイッチだった。
「もしかして、ヒルダが作ってくれたのかな」
作ったときから歪んでいたのか、走って持ってきてくれたのか。
カイは、ふと頬を緩ませた。




