第8話 「この村の、一員にさせてください」
「……いや、すまん。そうか、カイは文字を読めるし計算もできるんだな」
そう言ったヤーコブは、軽く頭を掻いた。
どうやらカイは試されていたらしい。
「あ、はい。孤児院で仕込まれました。裕福な町だったので、孤児院でもそれなりに教育が行き届いていたんです」
鉱山の利益で町の財政に余裕があり、孤児院の子どもたちもかなりの教育を受けられたのだ。
うなずいたヤーコブは、さらに質問を重ねた。
「変わったスキルを持っていると聞いたが、それも?」
「はい。うちの孤児院では、10歳になった子どもは全員儀式に参加していました」
スキルは、教会での儀式に参加しなくても授かれる可能性はあるそうだが、授かれない場合もある。
確実に受け取るなら、儀式が有効だ。
少額ではあるものの寄付が必要なので、孤児であれば成人してから自分で稼いで授かりに行くこともあるそうだ。
「全員か。裕福な町だったんだな」
「そうですね。ライタ町は特殊な分、裕福だったと思います」
それを聞いて、ヤーコブはうなずいた。
「ライタ町か。あそこは獣人にはキツい。オレも何度か商品を持って行ったことがあった。あの音は、半日過ごすだけでギリギリだった」
「そう聞いています」
「だがあの町の、なんだったかな……すごく甘い菓子を売ってる店」
ヤーコブが眉を寄せて思い出そうとしたので、カイも記憶をたどった。
「どこだろう……有名どころなら、『レッカー』っていう焼き菓子店とかですかね」
「それだ!そこで買った一番人気の菓子が、あー、なんだったかな」
腕を組んだヤーコブは、斜め上を見ながら言った。
カイは、よくあるド忘れだろうと思った。
「どれだろう。『シュワルツ』っていうチョコレートクーヘンか、『ゲルブ』っていうレモンフィナンシェだと思うんですが」
「チョコレートクーヘンの方だ。あれを、ヒルダが気に入ってたんだ」
「そうなんですか?僕は一度だけ食べましたが、手と口がチョコレートまみれになって大変でした」
「ははは。ヒルダは、髪にまでチョコレートをつけていた。……なるほど、本当にあの町の出身なんだな」
ヤーコブは、じっとカイを見てうなずいた。
まだ試されている途中だったと気づいたカイは、目を瞬いた。
そういうことだったか、と思わず苦笑した。
疑り深いのは、信頼を大事にする商人としては重要なスキルだ。
第三者からの証言があれば確実だろうが、この場合は難しい。
だから、町の店の話を出したのだろう。
「もう!だからカイは嘘なんてついてないって言ったでしょ?あたしのカンは当たるんだから!」
そこへ、ヒルダが割って入ってきた。
どうやら、店の奥で見守っていたらしい。
「おっと。わかったわかった」
詰め寄ってくる娘を、ヤーコブは優しく押しとどめた。
「本当にわかったのね?」
「ああ、カイは大丈夫だ。だがな、カンだけに頼るんじゃなくきちんと情報も精査すべきだ。一見は正しそうでも、細かい部分でボロが出るなんてことだってあるんだからな」
ヤーコブの言うことはもっともなので、カイは思わずうなずいた。
すると、目をつり上げたヒルダが首をぐりんとこちらに向けた。
「カイまで!わたしのカンを疑うっていうの?!」
これは、適当な答えでは余計に怒らせてしまうやつだ。
「ううん。ヒルダのカンっていうのは、思い付きじゃないだろ?相手の表情とか声とか、そういうのを見たうえでの判断だと思う」
「そうそう!そういうやつよ」
自分が肯定されたのがわかったのだろう、ヒルダは一気に機嫌を良くして尻尾を大きく振った。
「ただ、すごい人は細かいところまで演技して誤魔化してくるっていうことだと思うよ」
カイが言うと、ヤーコブもうなずいて同意した。
「オレは独身のときは行商に近いことをしていたからな。そういう意味で、ヒルダよりも世間を知ってるんだ」
ヒルダは唇を尖らせ、尻尾を下ろした。
心なしか、耳も下がっている。
「知ってるわよそんなこと。だからわたしも仕入れに行くようにしてるんじゃない」
「まだまだ。すでに取引のあるところだけだからな」
「それだって、父さんがまだ早いって言うからでしょ。それに、需要と供給を見極めろって言って許可してくれないし」
怒ったように言うヒルダは、腕を組んだ。
耳をピンと立てて、ぷくりと頬を膨らませている。
対するヤーコブは、相変わらずゆらゆらと尻尾を一定の速度で揺らしていた。
「そりゃあ、いいものを仕入れるっていうならオレだって許可する」
「わたしは良いものを見つけてるの!」
どうやら、ヒルダは頑張っているが実るところまでいっていないらしい。
「物は確かに良い。だがなぁ、どう考えてもこの店に刺繍したレースのハンカチは百枚も要らない」
「またそれ?そりゃあすぐには売れないだろうけど」
レースのハンカチを仕入れるのは断念させられたらしい。
ヤーコブは肩をすくめた。
「レースだぞ?そんな高いものを大量に、誰が使うんだ?それよりは、木綿のタオルの方がよっぽど必要だ」
「だって、女性は誰だってお洒落が好きなのよ!通りかかった人が買っていくことだってあるでしょ」
目の前で若干親子喧嘩風の会話が始まり、カイは立ち去ることもできずにただ聞いていた。
喧嘩といっても、嫌な雰囲気ではない。
「まず通りかかって村に立ち寄るのは誰なんだ。今まで会ったことがあるか?」
「それは……冒険者とか」
「それから?」
ヤーコブは、質問をやめない。
「むぅ……村に監査に来た人とか?」
少しずつ、ヒルダの尻尾が力を無くし、耳もへにょりと垂れていく。
「ヒルダ。うちの商店は何でも屋だが、どれも最終的に村の人たちが必要とするものを売っているんだ」
彼が手で示した先には、いわゆる日用品が並ぶ。
確かに、今すぐ必要かはわからないが、壊れたら買い替えたいであろう雑貨がたくさん並んでいる。
「冒険者向けのもあるわ」
ヒルダがすぐに反論したが、ヤーコブはうなずくだけである。
「それだって、治療用の布や消毒液、持ち歩ける鍋みたいな、必要とされる物だけだ」
今世では縁がなかったが、カイは前世の両親をふと思い出した。
前世でいつ死んだのかは覚えていないが、親より先にいなくなっていなければいいと思う。
「もう!それが需要だっていうんでしょ。もう耳にタコよ」
とうとう、ヒルダは耳をぺちょりと下げてしまった。
尻尾も完全にうなだれている。
「きちんと需要を見極めてから新規開拓してくれ」
「わかってるわよ」
「期待してるぞ」
ヤーコブは、娘を優しい目で見ていた。
デニスの家に戻ってきたカイは、その日の夜、ヤーコブの言葉を思い出して考えていた。
「需要と供給かぁ」
自分に『故障品再生』スキルがあったから、修理屋になろうと思った。
でも、誰が必要としているかなんて、考えもしなかった。
需要……つまり必要とする人がいるから、仕事になるのだ。
「いまのところ、あちこちから依頼を貰えそうではあるけど……」
そんなに大きくもない村だ。家の数は百戸もない。
どんどん修理していけば、そのうち修理が必要ないという時期も来るだろう。
「どうしよっかな。もしそうなったら、海の町――ツーレツト町まで出張でもするかな」
町なら、明らかにこのヴィーグ村よりも大きいし、修理が必要な物も多そうだ。
ただ、人も多いので大変そうである。
「まあ、まずはこの村で腰を落ち着けるところからだよな」
今日もう一度デニスの家に泊まってから、結論を出すことになっている。
カイの答えは、もうすでに決まっていた。
◆◇◆◇◆◇
次の日、もう一度デニスがカイに確認した。
「本当に、この村に住むつもりなんだな?」
「はい、ぜひ」
まだ村に馴染んだとは言えない。
数日でそこまではさすがに難しいだろう。
「皆さん、とてもいい人たちです。少し話しただけですが、修理屋の需要もありそうでしたし」
昨日は一日、一人でも散歩して、村の様子をゆっくりと見せてもらった。
デニスたちはもちろん、ヒルダやヤーコブと話した。
肉屋の主人には、今朝仕入れた鹿の大きさを聞いた。
八百屋の主人と奥さんから、修理について質問されたので答えた。
食堂の女将には、狩人をしている旦那さんの愚痴を聞かされた。
そして果樹園の人たち、小麦畑の人たち。
少しずつだが、たくさんの人たちと話した。
町のようにがちゃがちゃとした騒がしさはなく、急ぐ人はいるがそれを周りに強要することもない。
距離は少し近い気がするものの、無遠慮に踏み込んでくる感じではない。
「この村の、一員にさせてください」
決意したカイを見て、デニスは大きくうなずいた。
そのうなずきにほっとしたカイは、しかし言葉にはできずに静かに頭を下げた。




