第7話 「森からブラックウォルフが出てきてるらしいの」
次の日。
「エルゼさん、直りましたよ」
「あらあら、ありがとう!すっかり綺麗になったわね」
パチン、と手を叩いたエルゼは、嬉しそうに笑った。
喜んでもらえたようで何よりだ。
朝から玄関横の窓の鎧戸を直し、ベンチを直し、シャワーヘッドも直した。
最後に残っていたのが、元子ども部屋、今は空き部屋のカーテンレールだった。
「みごとに折れていましたが、もしかしてぶら下がったんでしょうか」
「そうなのよ。なんだったかしら、懸垂?あの子ったら、筋トレだーとか言って、部屋でやろうとして」
「それはさすがに、折れるでしょうね」
懸垂する高さとしてはちょうどいいが、カーテンレールは布をかけるためのものだ。
人がぶら下がれば折れてしまう。
「そうよね?普通に考えたらわかるわよね?思春期の男の子って、たまにバカになるのよねぇ」
「あはは……」
身に覚えのあるカイとしては、下手なことは言えなかった。
「助かったわ。やっと、この空き部屋も客間にできそうよ」
「それは良かったです」
うなずいてから、カイは軽く部屋を掃除した。
風魔法で埃を集めて、ぎゅっとまとめて暖炉に放り込み、一気に燃やして終わりだ。
このあたりは冬は寒くなるらしく、各部屋に暖炉があった。
「掃除までしてくれるなんて助かるわ、ありがとう。それにしても手際がいいわぁ」
「いえいえ」
綺麗になった部屋をきょろきょろと見回したエルゼは、釘で無理やりつけていたカーテンを外しはじめた。
手が空いているカイも、それを手伝う。
「今は暖炉で燃やしてしまいましたが、普段のゴミってどうするんですか?」
カイは前世でゴミ収集作業員だったのだ。
この世界では町や村ごとに事情が違うので、暮らすのであれば知っておきたい。
「野菜くずとかなら、果樹園と小麦畑で使うからたまに集めに来るのよ」
「堆肥にしているんですね」
場所によっては、野菜くずなども自分で処理することを義務付けている町もある。
旅の途中で立ち寄った中にはゴミを集めて処分している町もあったが、数は少なかった。
この村では、皆で協力してゴミも活用しているらしい。
資源を最後まで使おうとする姿勢は、カイとしてはとても好ましいものだ。
「それ以外は、さっきカイがしてくれたみたいに暖炉で燃やすか、家で燃やすのが良くないものは丘の向こうに集めて燃やすのよ」
エルゼが、新しくレールにかけるカーテンを手に取りながら言った。
「ゴミを焼く場所があるんですね」
「ええ。何でもなるべく最後まで使うから、あんまりそういうゴミは出ないけどね」
「それが一番だと思います」
前世でゴミ収集業者に就職したのは、子どものころに収集車の後ろにひょいと乗ってはゴミを放り込む人たちに憧れたからだ。
現代社会に必須であり、人の役に立つ仕事は誇りでもあったが、まだ使えそうなものが捨てられているのを見て空しさを感じることもあった。
「こんな村だから、なんでも無駄にできなくて。灰から自分で石鹸を作る人もいるくらいよ」
「石鹸ですか。かなり面倒だと聞いたことがあります」
エルゼといっしょに、カーテンをかけていく。
違うカーテンになるだけで、部屋の雰囲気はがらりと変わった。
「油の熟成なんかがちょっとね。でも本人は、楽しく作ってるみたいだったわ。……さ、これで完了。休憩しましょ」
「はい」
お茶を淹れる準備をしていると、いつもより少し早くイーリスが帰ってきた。
「イーリスさん。お帰りなさい」
「あらお義母さん。早かったんですね」
「ただいま。ええ、ちょっとね。通りかかった冒険者さんに、今日は帰った方がいいって言われてねぇ」
勝手口から入ってきたイーリスは、竿と、魚が入っているらしい籠を土間に置いた。
そして頬に手を当て、眉を寄せて首を左右に振った。
朝は楽しそうに川へ向かったのに、今はどこか沈んだ雰囲気だ。
「冒険者に?何かあったのかしら」
「それがねぇ。森からブラックウォルフが出てきてるらしいの。大した数じゃないけど、人を見たら川を越えるかもしれないからって」
それを聞いて、エルゼが息を呑んだ。
デニスに聞いた、魔獣がいる森のことだろう。
この村と森の間には川があり、そこがイーリスの釣り場でもあるらしい。
「ブラックウォルフが?それは怖いわね……。お義母さんも、しばらく行かない方がいいかもしれないわ」
ブラックウォルフは、黒い狼型の魔獣だ。
五体ほどの群れで行動するため危険度が高く、繁殖力も高い。
森の動物を主食としていて人も捕食対象なので、冒険者がいつも森での討伐を繰り返しているのだ。
「急がされたもんだから、魚の選別もできなかったのよ」
困ったように言うイーリスは、手を洗ってからキッチンの椅子に座った。
そこに、お茶を準備していたエルゼがカップを置く。
「とりあえずお義母さんも休憩して」
「ありがとうね、エルゼ」
その日の夜は、一人一匹ずつ魚が配膳された。
残った魚は、地下のパントリーにしまわれている。
「ブラックウォルフの件は、おれのところにも報告が来ていた。だから、冒険者に頼んでギルドに調査を依頼する予定だ」
焼き魚を咀嚼したデニスが、エルゼとイーリスの話を聞いてそう言った。
やはり、普通のことではないらしい。
「母さん、すまんがしばらく釣りは我慢してくれ」
「仕方ないねぇ。それであたしがブラックウォルフを村に連れてきたら大変だもの」
そう言ってイーリスがため息をつくので、エルゼがうなずいた。
「早く解決してくれるといいわね」
カイもうなずき、イーリスが釣ってきた三十センチ近い魚を見下ろした。
これをぺろっと食べられるのだから、若い体はなかなかすごいものである。
次の日は、一人で村の中を散歩してみた。
初日はほとんど勢いで『住みたい』といったが、本当にこの村の雰囲気に馴染んできた気がする。
川の方はブラックウォルフが出るかもしれないというので、川から水を引いている果樹園や小麦畑には行かない。
家の集まる中心部は、ゆっくり歩いても一時間かからず一周できるくらいだ。
カイが購入したいと言った家は、本当に村の外れ、端っこに引っかかるくらいの位置で、歩いて三十分ほどかかる。
敷地の周りは開けていて畑もできそうだったし、村の中心部からは近すぎず遠すぎず、程よい距離で暮らしやすそうだ。
「おや、村長のとこの」
中央の通りを歩くカイに声をかけてきたのは、商店の主人でヒルダの父親だ。
「こんにちは。カイといいます」
「カイか。オレはヤーコブだ。ここの店主でもある」
ヒルダとはまた違う、黒っぽい毛並みの耳と細めの尻尾を持つヤーコブは、ゆるゆると尻尾を揺らしながらカイを見た。
ずっと同じテンポで揺れているので、感情が耳や尻尾に出ていない。
さすが、商売を一手に引き受ける店主である。
「お前さん、孤児院出身なんだって?」
「はい、そうです」
うなずいてカイが答えると、ヤーコブはおもむろに商品を指さした。
「この小麦を十キロと大なべを一つ、皿を三枚とチーズを買ったらいくらになるかわかるか?」
「え?えっと、小麦は一キロで粒銅貨一枚、大なべは銀貨四枚、木のお皿が三枚なら銅貨三枚で、ここまでで合計銀貨四枚と銅貨四枚。でもチーズは向こうの肉屋にありますよね?」
粒銅貨が十枚で銅貨一枚、銅貨十枚で銀貨一枚、そして銀貨十枚で金貨一枚。
わりと計算しやすくて助かっている。
質問の意図がよく分からないまま答えたカイは、首を捻った。
そんなカイを見て、ヤーコブは一瞬尻尾を止めた。




