第60話 「オレが言ったってことは黙っていてくれ」
「将来的には、鋼の方が長持ちします。逆に、今必要な金額は鉄よりもずっと多くなります。でも、今後のことを考えれば鋼がお得です」
「なるほど。長く使えるなら一考の価値はありそうだね」
カイの説明を聞いて、ファイトは納得したようにうなずいた。
「ただ、絞るときの微調整を手の感覚でしていたなら、むしろ鉄のままの方がいいかもしれません」
道具が変われば感覚も変わる。
職人にとっては、その変化が命取りになる可能性もあるのだ。
「父がずっと絞り機を担当するならそれでもいいんだけど……。そうも言っていられないし、これから覚えていくなら安定して長く使える方がいいかな」
ファイトは、変更に前向きなようだ。
「良いと思います。では、鋼にして補強する方向で進めますね。もし途中で『やっぱり鉄で良い』ということになったら、作り変える前までなら対応できますので」
今はファイトが一人で決めたが、後でベルントと話して考えが変わる可能性もある。
素材のアップグレードはカイのスキルで行う部分なので、直前にやめることになっても特に問題はない。
ダウングレードは未経験だが、何となく難しい気がする。
だから、安易に「元に戻せる」とは言えない。
少し申し訳なく思っていたのだが、ファイトは眉を下げた。
「直前でやめるっていうのはちょっとどうかと思うんだけど」
どうやら、ファイトはこちらの都合まで考えてくれているらしい。
「いえいえ、大丈夫ですよ。鋼にするための材料は高いものではありませんし、置いておけば別のときに使えますから」
必要なのは炭素、つまり炭だ。
夏の時期にはあまり扱われないが、寒い地域では冬支度でたくさん備蓄されるものである。
暖炉を使う場合に、薪で先に火を点け、炭で室温を保つのだ。
「材料もそうだけど、約束を反故にする感じがするから気になるんだ。でもカイが気にしないなら、甘えさせてもらおうかな」
ファイトは、随分と真面目な性格らしい。
仕事をコツコツと積み上げてきたタイプに見える。
だから、ベルントも安心して手を放そうと考えたのだろうか。
それにしては、あまり前向きな雰囲気ではなかった。
「では、今日はすべての絞り機の状態を確認して、全部でどれくらいになるか見積もりますね。ほかの絞り機の木部が傷んでいたら、それも修理した方がいいでしょうし」
「うん、頼むよ。じゃあ、終わったら上がってきてもらえる?ぼくは上の倉庫で作業してるから。階段を上がって、左側の廊下を奥まで行ったら倉庫に繋がってるよ」
ワイン工房は、地上に大きな倉庫を併設している。
販売するために使う樽や瓶が積まれているのを、ちらりと見たことがあった。
「わかりました。何かありましたら、倉庫へ聞きに行きますね」
「ああ、そうしてくれると助かるよ」
柔らかく微笑んだファイトは、大きな身体を揺らしながら地下室を出ていった。
確認したところ、やはり金属のスクリュー部分が摩耗していて本来の性能を生かせていないものが四台。
もう一台は修理の跡があるので、スキルによるとあと五年ほどは持ちそうである。
「あとは、木造の部分が少し傷んでいるか。でもこれ、赤ワイン用の方だから多分使い方が違うんだよな?」
はて、と首をひねったが、カイにはさっぱりわからない。
「よし、聞きに行こう」
蛇の道は蛇、プロに聞くのが一番である。
階段を登っていくと、ちょうど右側の部屋からベルントが出てきた。
「修理は終わったのか?」
先ほどとは違い、今は職人の顔である。
ファイトの父親だけあって体が大きく、迫力があった。
「いえ、まだすべて確認して見積もろうとしているところです。木造の部分で質問がありまして」
「木造?桶も何か問題があったのか」
ベルントは、眉を寄せた。
「問題というか、問題かどうかが僕には判断できなくて。赤ワインの絞り機なんですが、その一つの桶の壁になっている板が、少し柔らかくなっているんです。ほかの桶はしっかりしていたので」
カイの言葉を聞いたベルントは、右手を口元に当てた。
「やっぱりか。去年の掃除のときに怪しいとは思ったんだ。まあ何十年も使ってるからな。それは、今からファイトに言うのか?」
「はい」
カイはベルントの様子を窺いながらうなずいた。
「なら、その桶の木材をすべて取り換えるように言ってくれ。ああいうのは、一部じゃなくて全部に影響する。一つ丸ごと作り替えだな」
ちらりと倉庫の方を見たベルントは、大きな身体を小さくするようにしながら言った。
声も心なしか小さい。
「ああ、カビとはまた違うかもしれませんが、可能性があるってことですね」
「そうだ。そこでケチったら一桶分のワインがダメになるかもしれん」
ベルントは、小さく首を横に振った。
「わかりました。ベルントさんの助言なら、ファイトさんも納得してくれると思います」
カイがそう言うと、ベルントは慌てたように両手を前に出した。
「待て。オレが言ったってことは黙っていてくれ。ファイトの邪魔はしたくないんだ」
助言が邪魔とはどういうことだろうか。
きょとんとしたカイに向かって、ベルントは頼み込むようにして言った。
「すまんが、あいつが自分で考えて動いた方が、工房のためになるはずなんだ。オレとは違って、ワイン造りに生かせるスキルを使えるようになってきた。ワインの味だってオレよりわかるんだからな」
後半は息子自慢に聞こえるが、ともかくベルントはファイトに直接助言をしたくないらしい。
一見すると考えさせる訓練のようにも受け取れなくはないが、ベルントのどこか後ろ向きな態度がそうは思わせない。
とはいえ、家族間のことならカイが首を突っ込むのも違うだろう。
「わかりました。では、『スキルで見たところ作り直した方が良さそうだ』とお伝えしますね」
空気を読んでしまうのは、前世の日本人としての性である。
そしてベルントは、そんなカイの言葉にほっとした表情を見せた。
「ありがとう。頼む」
「ベルントさんのお考えは、ファイトさんもご存じなんでしょうか」
ふと思ったことを口に出してしまった。
うっかりしたが、出ていった言葉は戻ってこない。
カイに問いかけられたベルントは、一瞬目を見開いてから肩をすくめた。
「そりゃあそうだろう。あいつはスキルを生かしてオレを超えた。もう教わることもないはずだ。今はまぁ、まだ引退するわけにもいかずに工房長という地位にしがみついているオレを立ててくれてるんだろうさ」
「直接伝えてはいないんですね」
カイが一応確かめると、ベルントは目を閉じた。
「それはさすがに、オレにもちっぽけだが自尊心ってもんがあるからな」
やはり、ベルントも言葉にしてはいないらしい。
どうにも、すれ違っている親子である。




