第58話 「はあ、ビールがほしいな」
結局、ソファの土台となる長椅子が完成したのは、夏の陽が落ちた直後であった。
「よし、できた!あとは、とりあえず部屋に入れよう」
ぐい、と額の汗を腕で拭ったカイは、座面を慎重に持って立とうとした。
立とうとした。
「……。無理」
なんとか持ちあげられるのだが、大きすぎてバランスを取りにくい。
どこかにぶつける前に、カイは慎重に長椅子を地面におろした。
「どうしよう。確か、重いものを運ぶときには下にタオルとかを敷いて引っ張るとか聞いた気がするけど」
床ならともかく、土の上でそれはどうなのだろうか。
長椅子を持ってほんの少し赤くなった手を見て、ふと思いついた。
「そうだ、魔法を使おう」
こんなときのための生活魔法である。
「火魔法はあり得ない。水魔法は運べるけど家が水浸しになる。ということは、土魔法で地面を固めて引きずる?風魔法で浮かせてバランスを取る?うーん……」
土魔法か風魔法あたりが現実的である。
後で片付けることを考えるなら、風魔法の方が良さそうだ。
「風で……うん、ドローンのイメージでいいかな」
魔法の素養は魔力の取り扱いの器用さによるが、具現化の部分は想像が大事である。
前世の記憶はこういうときにとてもありがたい。
長椅子の両端部分に、ドローンの羽が着いたイメージで風を吹かせる。
ドローンを想像したせいか、羽もないのに『ブゥゥウウン』というプロペラの音がする。
「いけるかな。よ、いしょっ!」
少し腰に乗せるようにして持ち上げると、なんとか立つことができた。
そのままゆっくりと歩いて行き、開け放した玄関からぶつけないようにそうっと家の中へと進む。
部屋の窓際にゆっくりと下ろせば、ぽたりと汗が座面に落ちた。
「よっし!はあ、疲れた」
ソファのクッションはないが、まずは座ってみた。
「……うん、いい。部屋が見渡せるし、入ってすぐだからお客さんが来てもこっちに呼べる。でもこうなると、ローテーブルが欲しいな」
くてり、と背もたれに体を預けたカイは、ふと足元のあたりを見た。
長椅子を置いただけで、空きスペースがリビングに早変わりした。
でもリビングというなら、やはり机が欲しい。
「また次の休みに作るか」
一息ついたカイは立ち上がり、シャワーへと向かった。
夏のシャワーは水で充分なので、使う魔法も簡単である。
タンクに水を入れ、コックをひねればいいだけだ。
汗を流せば、少しはすっきりした。
このあたりは国の中でも北に位置するためか、真夏でも陽が落ちてからは涼しい。
「はあ、ビールがほしいな」
残念ながら、カイはこの世界でラガービールには出会えていない。
エールはもちろん美味しいが、あれはエールであってビールではないのだ。
「それに、お酒って贅沢品だからな」
ふう、とため息を吐いて、カイは今朝沸かしておいたお茶をカップに入れて一気に飲み干した。
「ぬるい」
地下食糧庫に置いておくというひと手間をかければ冷たいものを飲めるが、水分補給のためにいちいち下りるのはめんどくさい。
「水分は何回もとるからキッチンでいいけど、食料品は置いとくと傷むからなぁ」
本当のことを言えば、キッチンに冷蔵庫を置きたい。
魔道具にはそれに近いものがあるらしいが、貴族のごく一部しか使っていない、特権階級の証のような扱いになっているそうだ。
地下室があるだけマシである。
「でも暑いから、さすがにドゥンを焼く気にはなれないな」
ドゥンとは、この世界のクレープのようなご当地お手軽料理だが、お手軽とはいえ焼かないといけない。
竈を使うと、夕方でも室内がサウナになる。
そのため、村の家はキッチンを独立した部屋にしているところが多い。
「LDKだからなぁ。外に夏用の竈でも作った方がいいか?」
肉や魚を生で食べるわけにはいかないので、加熱調理は必須である。
「庭は広いんだし。うーん、ローテーブルよりも先に竈だな。そんなに上等なものじゃなくてもいいから、土魔法で作ろう」
でも、今日は暑かったし料理は面倒なので、パンに野菜とハムを乗せただけのオープンサンドにした。
こうして、カイの休日はゆったりと過ぎていったのである。
◆◇◆◇◆◇
次の日は、ワイン工房から依頼された修理に向かった。
まだ葡萄の収穫が始まっていないので、ワインの加工もしていない。
今年のワイン製造に向けて確認していたら、絞り機の調子が悪いとわかったそうだ。
収穫が始まる前に修理してくれればいい、と言われたが、こういうのは後回しにすると大変なのだ。
「おはようございます!修理屋のカイです」
工房の裏口から声をかけると、カイよりも年上の青年が出てきた。
どことなく、果樹園で働くクルトに似ている気がする。
こげ茶色で丸っこい三角の耳はほぼ同じなので、親戚なのかもしれない。
「やあ、いらっしゃい。絞り機の修理だよね。父さんもすぐに来るから、こっちにどうぞ」
広くドアを開けてくれた腕はとてもたくましい。
葡萄を絞ったりワインを運んだりするからだろうか。
カイは、自分の筋肉がつきにくい腕を見下ろした。
「工房長は父さんで、僕は副工房長。ほかの職員は、季節ごとに臨時で来てもらうから今は僕と父さんだけなんだ」
ファイトと名乗った青年は、ふっさりとした尻尾を揺らしながら教えてくれた。
「忙しいときだけ人が増えるんですね」
「増えるというか、村中の手の空いた人が来てくれる。僕らが管轄してる工房だけど、村の大事な収入源だから」
ファイトは、少し嬉しそうに微笑んだ。
「ファイトさんたちの工房というだけじゃなくて、村の工房でもあるんですね」
「うん、そうなんだ。ジュース工場もだけど、村の大きな産業って感じかな」
工房の奥へと進むと地下に向かう階段があり、いくつもの大きな機械が置かれている地下室に着いた。
大人二人が手を広げても回りきらないほどの大きさの円筒状の機械には、上部に回すタイプの大きなハンドル、円筒の下の方には蛇口のようなものがついていた。
高さは二メートルを超えているだろう。
その機械が、全部で五つある。
「これが絞り機だ。あっちの三つは赤ワイン用で、こっちの二つが白ワイン用。赤ワイン用の方は、この中で発酵させてから絞るんだ。白ワインは先に絞ってから、あっちの樽に入れて発酵させる」
ファイトが示した方には、十数個の大きな樽が並べられていた。
「なるほど。それで、どの絞り機が壊れていたんですか?」
カイの家の食糧庫と同じく、ここもひんやりと涼しい。
地下の方が温度が一定なので、ワインの製造に向いているのだろう。
「それが、少なくともこれとそっちの二つ。でも、同じ時期に作ったから」
そう言って、ファイトはすまなそうに耳を下げ、カイを見た。
「同じように壊れているかもしれないってことですね。大丈夫です、まずはすべて確認してみます」
消耗品の部分が摩耗しているなら、同じように取り換えればいいだけだ。
「頼むよ。ちょっと父さんを呼んでくるから、先に始めていてもらっていいかな?」
「わかりました。とりあえず、全部の機械を見てみます」
「ありがとう」
柔らかく微笑んで、ファイトは階段を上っていった。
彼を見送ってから、カイは巨大な木製の絞り機に向き合った。
その表面は、古くなってはいるものの、よく磨きこまれていた。




