第4話 「『名匠』ですか。それはすごい」
「それで、あなたはカイを探しに来たんじゃないの?」
「ああ、そうだったそうだった。まだきちんと村を案内していなかっただろう?おれの仕事が一区切りついたから、あちこち紹介しようと思ってな」
デニスは、カイを迎えに来てくれたらしい。
朝食後に少し荷物の整理をしてから竈の修理に取り掛かったので、まだお昼までには時間がある。
「今日なら食堂も開いてるはずだから、ちょうどいいわね」
「そうか、水の日だったな。なら、ついでに食べに行くか」
この村にも、食堂があるらしい。
「あたしは留守番するからね。お義母さんも竈を気にしてたから、一緒に確認して何か作るわ」
エルゼは楽しそうに言いながら、竈を上から覗いている。
そういえば、エルゼと姑のイーリスは、とても仲が良さそうだった。
デニスの母でもあるイーリスは、ずっとニコニコしている可愛いおばあちゃんだ。
今は出かけている。
「母さんは、いつものとこか?」
「ええ。でもお昼前には戻って来るって言ってたわ」
「まさか、あの年でハマるとは思ってもいなかったな」
苦笑するデニスは、しかし困っているわけではなさそうだ。
「あたしは助かるから嬉しいわよ」
「そりゃあおれだってそうだがな。ほぼ毎日出かけてるからそれはそれで心配なんだ」
カイには、話が見えない。
不思議そうな表情のカイに気づいたらしいデニスが、肩をすくめた。
「母さんはな、三年くらい前から釣りにハマったんだ」
「それは、ご趣味で?」
「趣味……多分、そうよねぇ?」
「ああ。罠猟とか庭での畑とかもやってみていたが、結局釣りにおさまったな」
あの可愛いおばあちゃんからは予想もつかないが、猟をしていたらしい。
「猟は、捌いた後始末がものすごく大変だったもの。お義母さんも二度とやらないって言ってたわ」
「あのときは、庭が事件現場みたいになってたな」
「通りかかった人に、ものすごく驚かれたもの」
庭で獲物を捌いたらしい。
「動物を捌くのは、かなり大変ですからね」
カイが言うと、エルゼは大きくうなずいた。
「ほんとにそうよ。こんなサイズの猪なんて、よくまぁ捕まえられたと思うわよ。それに、お肉も多すぎて、村中に分けたんだから」
エルゼは両手を大きく広げた。
大人サイズということだろう。
あのイーリスがどうやって獲ったのか、むしろ気になる。
「その次は畑だったか」
「畑は今もしてるわよ。お義母さん曰く、『野菜は毎日手をかければ勝手に実るのはいいけど、やっぱり何か獲る方がいい』ですって。それで釣りに落ち着いたのよ」
「母さんは、昔は冒険者になりたかったらしいからなぁ」
面白い女性だ。
「冒険者になれそうなスキルをお持ちだったんですか?」
カイが聞くと、デニスは首を振った。
「いや……『針の名匠』で、針子をしてたんだ」
「『名匠』ですか。それはすごい」
スキルはカイのようにユニークなものは少なく、ある程度わかっているものが多い。
針子に向いていると言われるのははじめに『針』『仕立て』『縫製』『刺繍』『手芸』とつくものだ。
例えば『仕立て上手』なら、就職に困らない。
『名匠』はというと、他に類を見ないほどの腕前と言える。
つまり、針仕事に関してイーリス村一番どころか、町にも匹敵する人がいないレベルということだ。
「ずっと家にいたから、外でする趣味にハマったのかもしれないな」
デニスは肩をすくめて言った。
しかし、ふとカイは思い至った。
「えっと、でもその、釣りって針を使いますよね……?」
「え?」
「ん?」
そこへ、イーリスが帰ってきた。
「あら、あら。どうしたの、みんなでこんなところに立って」
駆け寄ったのはエルゼだ。
「お義母さん!お帰りなさい。今日はどうでした?」
「少ししか釣れなかったわ」
イーリスが出かけてからは、一時間ほどしか経っていない。
釣り場まで歩いて十五分ほどと聞いたので、正味三十分である。
「すごいですね。釣りやすい朝や夕方の時間帯でもないのに」
カイが褒めると、イーリスは嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうねぇ。でも、こう、釣竿を振ってぽちゃんと入ってからは、適当に動かしていれば魚はかかるでしょう?誰にでもできるけれど、年甲斐もなく楽しくなってしまってねぇ」
カイとデニスとエルゼは、思わず顔を見合わせた。
「母さん、もしかしていつもたくさん釣ってるのか?」
「そうねぇ、いつもは二時間くらいかけて数十匹釣って、大きいのだけ選んで持って帰ってるのよ。小さいのは可哀そうだもの。それって多いのかしら?」
頬に手を当てたイーリスは、それが普通だと思っているらしい。
「今日は何匹でした?」
エルゼが聞くと、イーリスは床に置いた籠の蓋を開けた。
「今日は十匹ちょっとよ。持って帰ってきたのは三匹。一匹は大きいのが釣れたけど、あとの二匹はいつもより小さいわ。急いだから、大きさも揃えられなくてねぇ」
手のひらほどの魚が二匹と、籠からはみ出そうなサイズの大きな魚が一匹。
大きな魚は、籠の丸みに添ってぎゅうぎゅうに詰め込まれている。
五キログラムを超えているだろう魚を詰めた籠を、イーリスが歩いて持って帰ってきたことも驚きである。
「いつもよりでかいな。いや、待ってくれ。ということは――」
「あら。そういえばどうしてこの時間にデニスが家にいるの?」
イーリスは、息子の言葉をぶった切って質問した。
「あ、ああ。カイに村を案内しようかと思ってな。村長の仕事は一区切りつけてきたんだ」
「まあまあ。それじゃあ引き留めちゃ悪いわねぇ。行ってらっしゃいな」
「いやでも、母さん」
「いいから行っておいでなさい。小さい方の魚はあたしとエルゼで食べておくから、食堂にでも行きなさいな」
そうして、カイとデニスはイーリスに家を追い出された。
仕方ないので、二人は連れだって歩き出した。
「デニスさん、イーリスさんのスキルのことは」
「それだなぁ。びっくりしたんだが、よく考えたら別にどうこう言うことでもないよな?」
腕を組んだデニスは、カイに同意を求めるように言った。
「まあ、針ってあちこちで使いますから。その扱いがとにかくうまいってことなんでしょうね」
「そういうことなんだろうなぁ。スキルはわからないことだらけだって聞いていたが、それにしてもまさか母さんがなぁ」
針の名匠は、釣り針をも自在に使えるということらしい。
カイのスキルは優秀だし、故障品再生としていろんなことができる。
(でも、イーリスさんみたいな、幅を広げるような使い方はできていない)
スキルは、奥が深い。
村の家は、あまり密集していない。
デニスの家も、隣までは歩いて五分程度だろうか。
しかし、村の中央付近にある通りだけは、店舗兼住居がいくつか集まっている。
ちらほらと、買い物客が歩いている。
「あっちのデカい建物が、村役場だ。おれの職場だな」
「役場は、石造りなんですね」
ほかの住宅は木造なのに、役場だけは石を積み重ねて作った屋敷のようで、遠くから見てもすぐに分かった。
「ああ、昔は貴族が使っていたらしい。今は貴族はこんな村なんて通過していくけどな」
ははは、とデニスは笑った。
けれども、カイは笑わなかった。
「僕にとっては利点ですね。ややこしいことになりにくそうです」
「まあな。通り過ぎるのに文句なんかつけもしないな」
肩をすくめたデニスは、通りの別の建物を指さした。
「あっちが肉屋で、隣が八百屋。それでこっちが村の商店だ」
デニスが手で示した方向には、肉屋と八百屋が並び、向かい側に商店があった。
買い物が一度で済みそうだ。
「肉屋と八百屋で手に入らないものは、だいたい商店で買えると思うぞ」
「小麦粉なんかも商店ですか?」
あの村はずれの家から買いに来るには少し遠いが、手押し車か何かがあれば運べるだろうか。
カイがそう目算を立てていると、デニスがうなずいた。
「ああ、食料品も一通り売ってる。あとは、最近は娘のヒルダがパンを焼いているから、作らなくても良いかもしれないぞ」
「なぁに?あ、デニスおじさん。呼んだ?」
店からは、薄茶色の髪を後ろで結び、エプロンを着けた若い女性が出てきた。
「あっ」
「え?」
女性の頭には、犬の耳が生えていた。




