第28話 「そこにいるのか、カイ!!」
何度か土の壁にぶつかってくる音が聞こえたものの、しばらくすると壊すのは諦めたようだ。
しかし近くにはいるらしく、上の方にあけた空気穴から唸り声が聞こえる。
震えるオスカーを抱きしめていたカイは、ゆっくりと腕を解いてからポケットをまさぐった。
「あ、あった。助けが来るまでにもう少しかかるから、その間にこれを食べようか」
持っていたのは、休憩中に食べようと思っていたドゥン巻きである。焼いた肉を薄いクレープもどきのドゥンで巻いたものだ。
比較的簡単に作れるので、家庭料理では一般的である。
「うん……。お腹、空いた」
多分、昼食もとらずにいたのだろう。
この村の子どもたちは、友だちの家で食事をもらうことがよくある。
だから、オスカーが昼に家に帰ってこなくても誰も心配しなかったようだ。
みんなで子育てをしているからこその弊害だろう。
ドゥン巻きを一つ渡すと、背中から薪を下ろしたオスカーはそれにかぶりついた。
カイも一つを口に運ぶ。
外からは、唸り声が聞こえなくなった。
葉擦れの音だけが、うっすらと届いていた。
カイが持っていたドゥン巻き四つのうち三つを平らげたオスカーは、ちらりと空気穴の方を見た。
「ねえ、怖い声聞こえなくなったよ。もういなくなったんじゃない?」
しかしカイは首を横に振った。
「いや、まだだめだ。唸り声は聞こえなくなったけど、鳥の声も聞こえないだろう?まだ、近くにいるんだと思う」
「そうなの?まだ、帰れない?」
不思議そうに言ったオスカーは、困ったように眉を下げた。
「ああ。ブラックウォルフは、獲物を追い詰める猟もするが、待ち伏せも得意なんだ」
「隠れるとこ、見られちゃったから?」
「そうだ」
カイがうなずくと、オスカーは下を向いた。
「ぼくが一人で森に来ちゃったから、修理屋さんも狙われてるの?」
肩を震わせるオスカーを、カイは座ったまま抱き寄せた。
「ここは安全だから、大丈夫。それに僕は冒険者もしているんだ。いつものことだよ」
カイの言葉を聞いたオスカーは、ぎゅっとしがみついてきた。
小さな背中をさすってやっていると、鼻をすする音が聞こえなくなった。
やがて、穏やかな呼吸が聞こえてきた。
「……そりゃ、疲れてるよな」
カイが両手で抱き上げられるくらいの子どもだ。
朝から森に入って薪を拾っていたなら、当然疲れ切っているだろう。
そこにきてブラックウォルフだ。
安全な場所で腹が満たされれば、緊張も切れる。
カイは、オスカーが眠りやすいように抱え直した。
体感で一時間ほど経った頃、何かが土を蹴る音が聞こえた。
次いで、肉を切り裂く音。
獣の悲鳴。
「そこにいるのか、カイ!!」
そして、アウレリアの声。
「ああ!オスカーもいる!」
起こしてしまうかもしれないが、まずは状況説明が重要だ。
大声を出してからオスカーを見たが、どうやらぐっすり眠りこんでいて、この程度の声では起きなかった。
「よし!このあたりを一掃するから、そのまま待っていてくれ!」
「気をつけて!」
「任せろ!!」
アウレリアが言ったと同時に、唸り声と剣を振る音が聞こえる。
土の家に閉じこもっているのでどうなっているのか見えないが、それでもカイは安心した。
そしてすぐ、別の声が聞こえた。
「加勢する!こっちは俺がやるぞ!」
「ライナー、頼む!」
どうやらライナーが合流したらしい。
空気穴から、うっすらと鉄臭い血の匂いが入ってきた。
きっと、外は衝撃的な光景になっている。
ザシュ、と肉を切る音もかなり近い。
オスカーが寝ていてよかった。
さすがに、彼の年でこういう生々しい経験はトラウマになりそうだ。
カイは、風魔法でそっと匂いを外に逃がした。
しばらくすると、音が聞こえなくなった。
アウレリアたちは遠ざかっていったようなので、多分ブラックウォルフを追っているのだろう。
子ども特有の熱を抱え込んでいると、外から声がかかった。
「カイ、もういいと思う。一通りは討伐したから、一度村に帰ろう」
「おれとアウレリアがいるから、万が一襲ってきても返り討ちにできるしな」
アウレリアとライナーが声をかけてきたので、カイは魔法でシェルターを崩して地面に戻した。
「ありがとう、アウレリアさん、ライナーさん。来てくれるとは思っていましたが、ものすごく早く対処してもらえてほっとしました」
安心して笑顔でそういうカイを前にして、アウレリアとライナーはぽかんとしていた。
「あ、ああ。無事でよかった。その子が、いなくなった子だな?」
「はい。怪我もありません。今は、お腹がいっぱいになって安心して眠ったようです」
縦抱きにして、自分にもたれかかるように体勢を変えたが、やはりオスカーは寝息を立てている。
「その薪は?」
ライナーが、カイの足元に目を止めた。
「オスカーが集めていたものです」
「なら、おれが持って行こう」
「助かります」
さすがに、オスカーを抱えたまま薪を背負うのは厳しい。
薪を背負ったライナーが歩き出したので、カイもそれに続いた。
やはり、あの周りにはブラックウォルフが集まって待っていたらしい。
「十体以上はいたな。待っていて正解だ」
ごく自然体に見えるが、しっかりと索敵しながら歩いているらしいライナーが言った。
「ウォルフ系は頭が良いですからね。本当にライナーさんとアウレリアさんが来てくれてよかったです」
カイがそう言うと、ここまで黙って歩いていたアウレリアが口を開いた。
「カイは、ああいう建築系のスキルも持っていたのか?」
土シェルターのことだろう。
気になったのか、ライナーもカイの方をちらりと見た。
「ややこしそうだから、おれが黙っていたっていうのにアウレリアは」
「ブラックウォルフから身を守り切れる魔法だぞ、気になるだろう」
アウレリアは、カイを見て答えを促した。
「あれは、ただの生活魔法の土魔法ですよ」
少し練習はしたが、それだけだ。
「私の知っている土魔法と違うのだが」
「あれで普通の土魔法とは思えないぞ」
アウレリアだけではなく、ライナーまでもがそう言った。
しかし、カイは首をひねった。
「そうですか?最初にギルドで講習を受けたときに、生活魔法も冒険の補助になると聞きました」
「それはその通りだ」
アウレリアがうなずいた。
「土魔法で、穴を掘って足止めしたり」
「魔物の数が多いと、それなりに有効だな」
ライナーも、これは知っているらしい。
「あとは、土魔法で障害物を作って躓かせたり」
カイが言うと、アウレリアとライナーが同意した。
「突進してくるような魔物の討伐には役立つな」
「畑以外にもまあ使える生活魔法だよな」
一般的な認識については齟齬がないようだ。
「だからその延長で、壁を作って練習していたらシェルターも作れるようになっただけです」
「なぜそうなったんだ」
アウレリアが呆れたようにそう言い、ライナーは首をひねった。
「なぜと言われても……。できるとしか言いようがありません」
カイにとっては普通にできたことなので、何が不思議なのかわからない。
アウレリアはため息をつき、ライナーは頭を左右に振った。
「だめだ、気になって集中が切れる。その話はあとにしよう」
「わかった」
どうやら、ライナーの気が散ってしまうらしい。
邪魔になりたくないカイは、オスカーを抱き上げたまま口を閉じて歩いた。
その背中を、後ろから守るアウレリアがじいっと見ていた。
疑惑を含んだ視線に、カイは気づかなかった。




