第11話 「いってきます」
夕方になってきたことだし、誰も来ることはない。
だから、カイはパンツ一枚になって玄関から外に出た。
井戸の横には壊れた木の桶があり、紐が結びつけられていた。
紐の先は、地面の杭に引っかかっている。
これをスキルで直す程度なら、大した魔力は使わない。
「使う薪もほんの少しだな……。よし」
紐がほどけないことも確認してから、桶を井戸に放り込んだ。
少し遠くで、ちゃっぽん、という音が響く。
「よ、っと。さすがに、重っ。……はぁ。ポンプ!か、せめて、滑車が、欲しい、な」
休憩しながらぐい、ぐい、と引っ張ると、水をたたえた桶が上がってくる。
「よっ。あ、水も透明だ。かなり良い井戸だな」
どうにか、井戸の石の上に桶を乗せることができた。
薄暗くなってきたので色まではわからないが、少なくとも水は濁っていない。
ふう、と一息ついたカイは、桶を持ち上げてゆっくりと傾けた。
「つっ……めたぁああ!!!」
頭からかぶった井戸の水は、それはもう冷たかった。
そういえば、前世で井戸水は冷たいと聞いたような気がしないでもない。
「うわあ冷たかった。あ、でも汗が引いたな」
濡れた頭を振ったカイは、もう一度井戸に桶を投げ込んだ。
次は、タオルを濡らして体をこする。
「石鹸は、シャワーを直してから、村に買いに行くか」
どうせなら石鹸で綺麗にしたいところだが、水浴びができれば良しとしよう。
一通り体をこすってから、残った桶の水をもう一度浴びた。
「くあーっ!冷たい!あーでもさっぱりした!」
井戸の蓋を戻してから玄関先まで歩き、ポーチに立ったときに気がついた。
「あ。体を拭く用のタオル、寝室に置いてきた」
手に持っているのは、体をこすったタオルだけ。
当然、濡れている。
「むうぅ……。何もしないよりはマシか」
カイは、濡れたタオルを思い切り絞った。
湿ったままのタオルで、頭からガシガシと拭いていく。
完全には拭えないが、水が垂れるほどではなくなる。
何度か水を絞りながら拭き終わり、家の中に入るともう真っ暗だった。
「えっと、オイルランプ……。も、寝室だな。はあ、うっかりした」
ぺたぺたと大股でリビングダイニングを通り抜け、寝室へ入る。
まだ家具がほとんどなくて助かった。
寝室は鎧戸を閉めたままで何も見えないので、リュックを持って玄関まで戻った。
扉を開ければ、まだ外はほんのり明るいのでかろうじて見える。
薄明りの中でなんとかオイルランプを取り出し、芯に向かって火魔法を放つ。
すると、暖かい光が広がった。
「ふう、これで一安心。あとで、キッチンの薪にも火をつけておくか」
玄関の扉を閉め、ランプの明かりを頼りにしながらすべての鎧戸を閉めた。
大きなタオルを頭から被れば、やっと一息つけた。
実は、火魔法を空中で灯すのは推奨されていない。
ずっと火を灯し続けるのは、魔力を消費し続けてしまって非効率だというのも理由の一つだ。
しかし一番の理由は危険だからだ。
「生活魔法も、案外難しいからなぁ」
ふとした拍子に集中が切れると、魔法のコントロールが効かなくなることがある。
火魔法をランプの代わりに使うなら、人のすぐ近くで灯すことになる。
つまり、日常生活で火傷を負う人が多いのだ。
肌ならともかく、髪はとても燃えやすい。
子どもの事故も少なくないと聞く。
「このへんは、地震なんてめったに起こらないらしいから、石積みの家が多いから火事は少ないけど」
それでも、建物の一部には木を使うことが多いので、大怪我をする恐れはある。
異世界でも、やはり火の扱いには気をつけないといけないのだ。
服を着替えたカイは、ランプを持ってキッチンへ移動した。
竈に薪を入れ、その中に火魔法で種火を出す。
着火剤代わりに入れてあった枯葉に火がつき、息を吹きかけていると薪にも火が移った。
旅でも使っていた鍋に水魔法で水を入れ、竈の上部に置く。
お湯が沸くまでの間に、夕飯の準備だ。
「まあ、今日はちゃんとした料理はお預けだな。疲れたし」
取り出したのは、旅でもお世話になった干し肉と、買っておいた野菜だ。
「野菜入りのスープなんて、久しぶりに作るなぁ」
旅の道中では、あまり火を使えなかった。
野宿する場合は、魔物に見つからないよう火を使わないのが常道なのである。
ランプもごく小さくして、眠る準備をしたらすぐに消していた。
野宿で焚火ができるのは、護衛として冒険者を雇えるような人だけなのだ。
カイには、当然そんな余裕はなかった。
「お、沸いてきたな」
ナイフで切った干し肉と野菜を放り込んだら、ダイニングから椅子を一脚持ってきてキッチンの端に置いた。
そこに座れば、炎を見ながら鍋を確認できる。
椅子に座ったカイは、竈の火を見てからゆっくりと室内を見渡した。
「……。ランプも、いくつか必要だな」
竈だけでもそれなりに室内を照らしてくれるが、ダイニングの方は普通に暗い。
それに、何本かランプを吊下げられる鎖も下がっているので、ここに設置したらいいだろう。
スープができ上がったので、鍋ごとダイニングテーブルへ持って行く。
「熱い、っと。なにか敷いておかないと。あ、これでいいか」
さっき使ったタオルを鍋敷き代わりにして鍋を置き、それからもう一度キッチンに戻ってサンドイッチの入った籠を持って来た。
まだパンもあるが、あれは明日の朝食にする。
明日は、お礼がてら商店に行っていくつかいるものを買おう。
ダイニングの席に着いたカイは、そっと手を合わせた。
「いただきます。……あ、薄い」
少し干し肉が足りなかったらしい。
しかしこれも手作りの醍醐味である。
カイは、安心して灯りをともせる場所で、ゆっくりと食事を堪能した。
起きると、背中が痛かった。
「あー……。布団は欲しい。早急に」
ぐい、と伸びをすると、背骨が伸びてパキパキと鳴った。
洗面室で顔を洗ってから着替えると、外はもうすっかり明るかった。
鳥の声も聞こえるし、天気は良さそうだ。
鎧戸を開けて回り、家の中に風を通す。
それから、昨日と同じスープを作って、買ってきたパンと一緒に食べた。
「あ、今日のは美味しい」
同じ材料なのに、同じ味を再現できないことだけが難点である。
朝食を終えてから、カイは必要な物を羅列した。
「布団と、ランプと、調理器具と、食器。……食器は、とりあえず自分のだけでいいか。それから、くず鉄があったら貰いたいな。釘とかないところもあるし」
食材も追加したいので、結構な量になりそうだ。
「……手押し車みたいなの、借りれるかな」
さすがに手で持って帰るのは厳しいだろう。
買い物に行く準備を終えたカイは、ヒルダに返す籠を持って玄関の扉を開けた。
「いってきます」
誰からの返事も帰ってこないが、それでも言うべきだと思った。




