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金沢ひがし茶屋街 雨天様のお茶屋敷  作者: 河野美姫
お品書き 一 【あんみつ】
5/68

銀の光に導かれて④

 ひがし茶屋街に来たことは、何度もあった。

 時代劇で目にするような情緒溢れる古い街並みは、道行く人たちとはアンバランスで、その景観だけが切り取られたように〝古き良き美しさ〟を醸し出している。



 おばあちゃんは、ここが好きだと言っていた。

 おじいちゃんも好きだった場所のようで、おばあちゃんとここに来ると、決まっておじいちゃんとふたりで来たときのことを話してくれた。



 なんてことはない他愛のない話だったけれど、お茶屋街の中にいながら聞く昔話から想像を膨らませるのは、なんだか胸が弾むような気がした。

 独特の古い街並みを眺め、お茶やスイーツを楽しみ、昔話に耳を傾けることは、金沢に来る楽しみのひとつでもあった。



(でも、夜ってこんなに雰囲気が違うんだ……)



 何度も見たことがある格子戸の連なる景色は、夜の帳が下りているというだけでまったく違うものに見える。

 いっそ、初めて来たような気さえして、また心細さが蘇ってきた。



 雨に濡れる石畳は街灯に照らされて光り、花街の名残を色濃く残していることを語る代わりにどこからか三味線の音が聞こえてくる。

 あてもなく歩きながら、その音色をぼんやりと聞いていた。



 お店の前にいる芸子さんやお客さんたちは笑っていて、まるで私とは住む世界が違うみたい。笑い合う姿はとても幸せそうで、ひとりぼっちで歩いている私だけが孤独を抱えているように見えた。

 楽しそうな姿を視界から消すように、人通りの少ない方へと足が向く。

 気がつけば、知らない路地に入ってしまっていた。



 オレンジ色の街灯が一気に減り、人通りもほとんどない。心細さは膨らんでいくばかりなのに、足は止まらない。

 なにを目的にしているのかも、どこに向かっているのかも……。自分自身でもよくわからなかったけれど、なぜか引き返す気にはなれなかった。



「たぁた、きまっし」


「え?」



 不意に聞こえてきたのは、子どものような高い声。

 思わず小さな声を上げて辺りをキョロキョロと見回したけれど、子どもどころか人の姿もない。



(空耳……だよね?)



 それにしては、やけに鮮明だった。そのことに気づいたとき、心細さを押し退けるようにして芽生えたのは恐怖心。

 さっきまでは怖くなんてなかったのに、まったく人通りのない狭い路地にひとりでいるのだと自覚した途端、途方もないほどの不安が押し寄せてきた。



 慌てて踵を返そうとしたけれど、そもそも今来た道をよく覚えていない。

 暗い路地をやみくもに戻るのは不安を煽ってしまいそうで、スマホでマップを確認しようとしたとき。

 少し先に明るい光があることに気づき、そこで視線が止まった。



 悩んだのは、恐らく数秒だけ。

 デニムのポケットから出したばかりのスマホの画面よりも、数十メートル先にある白い光を頼ることにした。



 足早に歩くと、肌にじっとりと纏わりついていた空気が落ちていく感覚を覚え、同時にその分だけ体が軽くなったような錯覚を抱き、ますます足が速くなった。

 暗く狭い路地裏の道に煽られていく不安も一緒に落としたくて、気づいたときには走っていた。



 ゆらり、光が揺れる。

 待って! と口にできないほど必死に走っていたことを自覚した直後、目指していた光まで十メートルを切り、三秒後にはその正体が明らかになった。



 風に揺れているのは、まるで銀糸。

 闇に浮かぶ銀は束になったような髪だと確信したときには、私の目の前には着物姿の男性が立っていた。



 彼までの距離は、わずか二メートル。

 夜風に揺れる銀髪に目を奪われていると、形の綺麗な唇がおもむろに開かれた。



「娘、ここでなにをしている」



 疑問形のようでいて、どこか違う。

 不思議な気持ちを抱きながらどう答えようかと悩みつつ、射るように私を捕らえている双眸に見入ってしまいそうになっていた。



 灰色の着物に、深い灰色をした瞳。

 男性は、どこか中性的な顔立ちをしているように見え、暗闇の中にいるはずなのにその相貌はやけに鮮明だった。



「……たぁた、きまっし」


「え?」



 考えるよりも先に口にしていたのは、聞いたばかりの不思議な言葉。

 耳慣れない声に呼ばれたような気がしたなんて言えば、きっと白い目を向けられるに決まっている。そう思うのに、唇は勝手に開いていた。



「そう、言われて……。なんだか、気になってしまって……」



 もとはと言えば、花街の名残を残したような茶屋街の賑やかな声から逃げたくて路地に入ったら迷った、というだけ。

 だけど、それとは違う理由を口にしたのは、そう答えるのが正解だ、と直感したからなのかもしれない。



「……コンか。いや、それよりも娘。お前はその声が聞こえたのだな」



 コクリ、と小さく頷く。

 それだけですべてを悟ったように、男性はため息をついた。



「まったく……。あのいたずら狐め、なにも人間まで呼ばなくてもよかろう」



 変な話し方の男性は、まるで中二病をこじらせた大人みたい。

 そう思うのに不思議と不安や恐怖心はなくて、むしろさっきまでよりも心は落ち着いている。

 もっと言えば、金沢に来てから初めて安堵感を持てたような気がしていた。



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