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金沢ひがし茶屋街 雨天様のお茶屋敷  作者: 河野美姫
お品書き 五 【上生菓子】
47/68

神様からの贈り物➁

「今日はよい天気だな」


「そうだね」



 庭に出て五分ほど歩いたところで足を止めた雨天様は、穏やかな顔つきで空を仰いだ。

 高い空には、絵に描いたような青色に、真っ白な入道雲。



 どうして今日に限って、こんなにいい天気なんだろう。

 雨さえ降っていれば傘を差す口実ができて、現実に追いつかない心と表情を隠せたかもしれないのに……。



 眩しそうに細められた瞳は、今なにを考えているのかわからないけれど、私がこんな風になってもいつもと同じように見える。

 寂しいのも不安なのも私だけなんだ、と気づかされてしまった。



 雨天様たちにとっては、私はお客様のうちのひとり。

 他のお客様たちよりも長く過ごしたからといって、別れを特別惜しむような気持ちになったりはしないのかもしれない。



 それが普通で、これでいいはず。

 自分自身に言い聞かせている言葉とは裏腹に、心はちっともそんな風に思えなかった。



「ひかりは、ここを去るのが不安か?」



 不意に、雨天様が私を見つめた。

 素直に答えるべきなのかわからなくて、グッと詰まる。



 真っ直ぐな双眸は、きっと私の本心なんてお見通しなんだろうけれど……。正直な気持ちを口にしてしまったら、今よりももっと心が置いてきぼりになるような気がしたから。



「……そうか」



 たぶん、雨天様は心を読んだわけじゃないと思う。

 なんとなくだけれどそう感じていると、少しして困り顔で微笑まれた。



「私たちと長く一緒にいた分、ひかりにとっては後ろ髪引かれるような気持ちもあるだろう」



 〝ひかりにとっては〟と強調されたような気がして、笑みを繕おうとした口元が歪みそうになった。

 私だけなんだ、という現実がますます寂しさを増幅させる。



「布団やちょうどよい湯加減の風呂は、気持ちがよいと思うだろう?」


「え?」



(突然なんの話?)



 私がそう訊く前に、雨天様が再びゆっくりと歩き出した。



「自分自身にとって心地好いものというのは、心と体を慰め、癒してくれる。それは、とても大切なことだ」



 話の意図が見えないなりに控えめに頷くと、その曖昧な気持ちを見透かしたように苦笑されてしまった。

 なんとなくいたたまれなくなった私に、雨天様は足を止めずにさらに奥に向かっていく。



「だがな、どんなに心地好くても、そこにずっといるわけにはいかないのだ」



 そのあとを追いながら、雨天様がなにを言おうとしているのかを悟る。

 同時に、胸の奥がキュッと締めつけられた。



「朝が来たら布団から出て、学校や仕事に行ったり、家事をしたり……。そうして一日が始まってゆく。ときには朝寝坊をして、一日中布団の中で過ごす日もあるだろうが、それをずっと続けるわけにはいかない」


「そうだね……」


「ずっと布団の中にいてはなにもできないし、気持ちがよい湯舟に浸かり続けていてもいつかはのぼせてしまう。そこがいくら心地好くて、快適であったとしてもな」



 苦笑気味の表情は、私の背中を優しく押そうとしてくれている。

 それに応える自信はないけれど、せめて視線を逸らさないでいようと思った。



「ひかりがここで過ごした日々は、ひかりの記憶の中からは消えてしまう。だが、心の中のずっとずっと奥では、きっとここでの日々で得たものが残っているはずだ」



 忘れてしまうのに、残っているなんて……。随分とご都合主義なドラマみたいだけれど、不思議とそうなのかもしれないと感じた。



「思い出すことはなくとも、ひかりはここでの日々で心を癒やし、少しだけ成長できたはずだ」



 雨天様の言葉なら信頼できるような気がするのは、雨天様はこういうときに嘘をつかないから。

 それに、気休めで安易なことを言ったりもしない。



「だから、なにも心配することはない。ここを去ってあるべき場所に帰ったら、また今までと同じように頑張ればよい」



 優しい言葉に、私はどう返せばいいんだろう。

 すぐにはわからなかったから、少しだけ自嘲混じりに笑った。



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