別れるその日まで⑦
「あぁっ……!」
嗚咽混じりに泣き出したお客様は、天井を仰ぎながら声を押し殺すようにしていた。
抱え切れないほどの悲しみが涙になるのを見ているだけで、私の瞳からも同じように大粒の雫が零れていく。
「……っ! どうして気づかなかったんだろう……」
しばらく経ってから、お客様は掠れた声を絞り出すようにごちた。
そっと雨天様に向き直ったお客様が、涙で濡れた表情を和らげていった。
「あいつも、彼女も……そういう優しい人でした……」
微かに笑みを浮かべたお客様に、雨天様もそっと笑みを零したあと、ゆっくりと頷いた。
「ありがとうございます。あなたが教えてくださらなかったら、私は大切なことを忘れたままだったかもしれません……」
「いいえ。私はなにもしておりません」
なんでもないと言うように返した雨天様に、お客様が小さく笑う。
それから、おはぎの存在を思い出したかのように視線を落とし、おずおずと開口した。
「……これ、いただいてもいいですか?」
「もちろんでございます。お客様のためにご用意させていただいたものですから」
お客様は「いただきます」と言ってから、おはぎを口に運んだ。
「おいしい……」
色々な感情を噛みしめるように、静かな客間に小さな声が響く。
「ああ……。でも……できることなら、私が彼女を幸せにしたかったなぁ……」
そして、消えた言葉を追うように、切ない想いが溶けていった。
悲しみも寂しさも、恋人への愛も幸せだった日々の思い出も、そこにはすべてが込められているような気がした。
「お客様、ご縁というのは不思議なもので、来世でもまた巡り合う愛もあるものです。ですから、どうかそんなお顔をなさらないでください」
まるで、心に寄り添うように紡がれた言葉。
私は来世なんてわからないけれど、その言葉通りになることを願わずにはいられない。
「じゃあ、また彼女と……それから、あいつとも会えたらいいなぁ」
お客様がそっと瞳を細めたとき、全身が光り始めた。
もう何度も見た光景だけれど、こうして見るといつもホッとする。
このお客様もあるべき場所に帰ることができるんだ、と。
そして同時に、自身のこれからのことを考えて、ひとり密かに不安になってしまう。
そうこうしているうちに、「ありがとうございました」という言葉を残し、お客様は姿を消してしまった。
「来世もあなたに幸福の縁がありますように」
決まって紡がれる、幸せを願う言葉。
いつか私にも、雨天様は同じセリフをくれるのだろうか。
「ひかり、大丈夫か?」
そんなことを思っていると、雨天様が私の顔を覗き込むようにしていた。
慌てて涙塗れの顔を手の甲で拭い、なんとか笑って見せる。
「うん、平気」
「そうか。だが、今夜は少し疲れただろう。早く布団に入るとよい」
頷いて「ありがとう」と言いながら、私はあとどのくらいここにいられるのだろうと考えた。
明日か明後日か、もしかしたら今夜には帰ってしまうこともあるのかもしれない。
この場所を、雨天様を。コンくんと、ギンくんを。
忘れてしまう日が来るのはとても寂しいけれど、だからこそ今は一秒でもたくさん笑っていたい。
だって、私の記憶が消えてしまっても、みんなは私のことを覚えていてくれるはずだから。
一秒でもたくさん笑って、笑顔をたくさん残して、とびきりの感謝を込めて『ありがとう』という言葉を残したい。
だから、いつか訪れる別離のときを思ってどんなに深い寂しさを抱いたとしても、できるだけ笑っていよう。
優しい神様たちとの別れが来る、その日まで――。




