別れるその日まで⑥
** *
お盆真っ只中の、ある日。
日が暮れてからやって来たお客様は、三十代くらいの男性だった。
一瞬、人間のお客様かと思ったけれど、どうやらそうじゃないということにすぐに気づいた。
「私は三年ほど前に病気で亡くなりましたが、今日までずっと恋人の傍にいました」
しばらくの間はひと言も話さず、出されたおはぎにただ視線を落とすだけだった。
全身に悲しみを纏っているようなそのお客様は、お茶をひと口飲んだあとで、ようやくそう切り出した。
「生前、恋人には、私がいなくなったあとに新しい恋をするように伝えていました。私の病気を知っても離れずにいてくれた恋人に私がしてあげられるのは、きっとそんなことを言うことくらいしかありませんでしたから」
悲しみの色が強い瞳が、いっそう苦しそうになる。
その姿を見ているのは、とてもつらかったけれど……。
「恋人には、誰よりも幸せになってほしかったんです。だから、私の代わりに彼女を守ってくれる人が現れてくれることを願っていたはずでした……」
この場にいる以上はしっかりとおもてなしをしないといけない、と自分自身に言い聞かせていた。
「でも……ずっと泣いてばかりいた彼女が次第に笑顔を取り戻し、ようやく新しい恋をして、また幸せそうに笑うようになった姿を見て……僕は涙が止まりませんでした」
だけど、お客様とともに私の瞳にも涙が込み上げてくる。
「彼女の幸せを願わなかった日は一日だってないはずなのに、自分以外の男性の隣で幸せそうに笑う彼女を見て、僕は傷ついてしまったのかもしれません……」
俯いたお客様の口から、絞り出すような声音で「なんて身勝手な奴なんでしょうね」と落とされた。
「今日がふたりの結婚式なんです……。彼女はもう覚えてないんでしょうが、皮肉にも今日は僕らが出会った日なんですよ……」
お客様は、「しかも、このひがし茶屋街で出会ったんです」と付け足した。
お互いにひとり旅をしていて、たまたま入ったお茶屋さんのカウンター席で隣同士に座ったのだとか。
「一目惚れでした。お互いに東京から来ていて、意気投合して……。翌日も一緒に観光地を回って、連絡先を交換したんです。たまたま住んでいる場所も近くて、東京に戻ってから勇気を出して告白して付き合えるようになったときは、天にも昇るような気持ちでした」
涙混じりの声で、幸せだった日々のことが語られていく。
幸福に満ちた思い出のはずなのに、私は涙が止まらなかった。
「それなのに、僕はもう彼女の傍にいることができない……」
「その女性の夫となる方は、どんな人なのですか?」
悲痛な面持ちのお客様に、雨天様がそんなことを尋ねた。
さすがに傷口をえぐる行為なんじゃないかとギョッとしたけれど、雨天様の表情はとても優しくて、すぐにハッとした。
だって、雨天様はそういうことをしないから。
「僕の親友です……。とってもいい奴で、かっこよくて……。自慢の幼馴染です……」
誇らしさと悲しみが混じったような表情が、涙とともに雨天様を見た。
すると、雨天様がそっと微笑んだ。
「でしたら、その女性は今日があなたとの思い出の日であることを覚えているのではないですか?」
「え……?」
「相手の男性があなたの幼馴染なら、その男性もあなたの恋人も同じように大切な人を失くし、同じ傷を負ったはずです。だからこそ、もう大丈夫だとあなたに伝えたくて、今日を晴れの日の舞台に選んだのではないかと」
「まさか……そんな……」
「ええ。すべては私の憶測です」
戸惑いを浮かべるお客様に、雨天様が素直に頷く。
あっけらかんと肯定されたことに、お客様はますます困惑していたようだけれど……。
「ですが、どうせ真実がわからないのなら、幸せな解釈をした方がよいと思うのです。それに、私がもしあなたの幼馴染や恋人だったとしたら、どちらの立場になったとしてもきっとこう思うでしょう」
口を挟んだりすることはなく、雨天様の話にじっと耳を傾けていた。
「私たちはあなたを忘れたりはしません。そして、ふたりで必ず幸せになります。だから、心配しないでください……と」
そして、雨天様が真っ直ぐにお客様を見つめたままそう言った直後、お客様の瞳からは大粒の涙が零れ落ちた。




