別れるその日まで③
「ひかりは今日、これまでに知らなかったことを知り、反省している。だから、私から学んだことを次に活かしてくれればよいのだ」
間違いを叱ることなく教え、そっと導いてくれる。
ここに来る人たちは、雨天様のこういう優しさにも救われているに違いない。
最初に紡いだ疑問は、あくまで本題への布石のつもりだったけれど……。雨天様はやっぱり神様なんだと、改めて感じた。
「私の言っていることがわかるか?」
「うん」
「それなら、ひかりはもう同じ間違い繰り返すことはないだろう」
ふわりと破顔されて、ふとおばあちゃんの笑顔が脳裏に過った。
前にも、確かこんなことがあったような気がすると感じ、記憶の糸を辿る。
「あ、そっか……。あのときだ」
「どうかしたのか?」
思わず零れたひとり言に、雨天様が首を傾げている。
私は、そろそろ雨粒を落とし切りそうな空を見上げ、ニッコリと笑った。
「あのね、おばあちゃんが雨の日が好きだった理由を聞いたときのことを思い出したの」
「その話は私も聞いてみたい。詳しく教えてくれないか?」
少し悩んだけれど、きっとおばあちゃんなら雨天様には話してもいいと思うような気がする。根拠はないのに、不思議とそう感じた。
「おばあちゃんは若い頃、お見合いをするためにひいおじいちゃんたちに金沢まで連れて来られたんだけど、そのときに雨が降ってたんだって。それでね、おばあちゃんはお見合いに向かう途中でやっぱり嫌になって逃げ出したんだけど、必死に走ったせいで着物がビショビショに濡れて、泥だらけになって……」
帰ることもできず、かと言ってお見合いをする料亭にも行けない。
途方に暮れながらも歩いて辿り着いたのは、ひがし茶屋街だった。
今のような観光地じゃなかった当時、おばあちゃんはとても心細かったと言っていた。
そんなおばあちゃんを見兼ねるようにたまたま声を掛けたのが、おじいちゃんだった。
あまり口数の多くないおじいちゃんは、『これを』とだけ言って持っていた手拭いを差し出した。おばあちゃんは戸惑ったけれど、優しく傘に入れてくれたおじいちゃんに言われるがまま着物を拭いた。
それから、おじいちゃんに促されてゆっくりと歩き出し、お茶屋街を抜けた頃。
沈黙が続くことに耐えられなくなったおばあちゃんが、ぽつりぽつりとお見合いから逃げてきたことを話すと、偶然にもおじいちゃんも知らない女性とのお見合いが嫌で逃げてきたと言った。
『自分は口下手なので、きっと相手の女性を幸せにはしてやれない』
『私にこんなに優しくしてくださったのに、そんなことありません! あなたはとてもお優しい方です!』
自嘲気味に言ったおじいちゃんに、おばあちゃんは本心からそう返した。
だけど、ふたりの別れはあっという間にやって来る。
おばあちゃんは両親に見つかり、おじいちゃんにロクにお礼も言えないまま強引に連れ戻されてしまった。
悲しいけれど、これが自身に与えられた運命で、受け入れるしかない。
そんな風に諦めるしかないと悟ったとき、おじいちゃんと再会した。
さっき別れてから、一時間もしないうちに。
「おばあちゃんのお見合い相手は、おじいちゃんだったの」
運命だと思った、と、おばあちゃんはこのときのことを話すたびに幸せそうに零していた。
おじいちゃんはもちろん、どうにかして断ろうと画策していたお見合いを受けた。
「おじいちゃんの気持ちは一度も聞いたことがなかったけど、おばあちゃんと同じようにあのときに出会えて幸せだと思ってたのかな」
今となってはもう答えを知る術はないけれど、私の記憶の中のおばあちゃんの姿を思い出せば、答えなんて訊かなくても構わないと思えた。
だって、この話を運命だと言えず、あのふたりが幸せじゃなかったのなら、『この世のどこにも運命や幸せなんてない』と言っても過言じゃないと感じたから。
第二次世界大戦の空爆を受けなかったことによって、古い街並みが残るひがし茶屋街。
ここを訪れるたび、おばあちゃんはいつも懐かしそうに『変わったけど変わってないわ』と微笑んでいた。




