銀の光に導かれて③
* * *
「ん……」
いつの間にか眠っていたようで、居間の片隅で瞼を開いた私は、目尻に違和感を覚える。
半身を起こしながら目元に触れると、乾いた涙のザラザラとした感触が指の腹に伝わってきた。
洗面台で顔を洗い、冷蔵庫を開ける。
「あ、そっか……」
ライトに照らされたそこは、当たり前のように空っぽだった。
私が来るときはいつも、冷蔵庫がパンパンになるほどの料理が用意されていたことが、もう随分と昔のことのように思える。
私の好物ばかり並べてくれることが嬉しくて、お腹がはちきれそうになっても欲張って食べた。
そんな私を見て嬉しそうにするおばあちゃんにまた喜びを感じて、さらに無理をしてしまって……。帰宅後はいつも必死にダイエットをしていたけれど、そんなことも幸せだったのだと気づく。
再び滲み始めた視界が、見慣れた居間の風景を歪めていく。
自ら望んで足を踏み入れる前からこうなることはわかっていたのに、それでもここに来なくてはいけないような気持ちになったのはどうしてだろう。
その答えを見つけられないまま、心細さを振り払うようにおばあちゃんの家を出て、大通りに向かった。
悲しくても心細くても、なにもない家に泊まるためには数日分の生活用品を調達しなければいけないから。
大通りには、コンビニやドラッグストアが並んでいる。
ほとんどのスーパーが閉まり始めるような午後九時前、Tシャツにデニムという軽装の私が持っているのは、差している傘と財布とスマホだけ。
観光客とは明らかに違う格好は浮いているようにも思えたけれど、青く光る看板を目指す。
目的地は、もうすぐそこ。というとき、バスから降りてくる人たちの会話が耳に飛び込んできた。
「明日は、金沢城やね! 楽しみやわー!」
「二十一世紀美術館もやろ?」
「ホテルに戻ったら行き方調べなあかんね」
ゾロゾロとバスから降りてくる乗客は何人もいるのに、ひと際声が響いていたのは二十代後半くらいのふたり組の関西弁の女性。
弾けるような笑顔は、今の私の心の中とは正反対で、思わず目を逸らしたくなってしまう。
「やっぱり、ひがし茶屋街にも行かへん? ここまで来たら、行くべきやと思うねん」
「うーん、帰りの新幹線の時間もあるから……」
「金箔ソフトは食べておきたいやん!」
「そういえば、食べたいって言ってたもんね。ほんなら、行こうか!」
力説する女性に、友人らしいもうひとりの女性が賛成している。
その楽しそうな姿を見て、ふと思い出したのは、おばあちゃんと最後に遊びに行ったのがひがし茶屋街だったこと。
今年の春休みにも金沢に来た私は、おばあちゃんのリクエストで新しくできたという和カフェに行こうということになって、ひがし茶屋街に繰り出した。
なんでも、ぜんざいとシフォンケーキが絶品らしくて、食べてみたいと誘われた。
だけど、お店の名前も曖昧で、場所もきちんとわからない。
そんな情報しかなかったせいで、SNSで検索してもよくわからず、そんなに広くはない茶屋街の中にあるはずのお店を見つけられないまま時間だけが過ぎていき、結局は以前に立ち寄った古民家カフェで抹茶のロールケーキを食べることになったのだ。
おばあちゃんは、あの和カフェに行けたのだろうか。
もう会えなくなるのなら、なんとしてでも連れて行ってあげればよかった。
雨が降りそうだったとか、散々歩き回っていたからとか……。断念した理由は色々あったけれど、ひとりで歩き回ってでも探してあげればよかった。
そうすればもっと、おばあちゃんは嬉しそうに笑ってくれたはずなのに……。
あのとき、どうして諦めてしまったのだろう……。
抹茶のロールケーキを食べながら『おいしいわね』と笑っていたはずのおばあちゃんの笑顔を、上手く思い出せない。
おばあちゃんは、本当にちゃんと笑っていたのだろうか……。
『扉が閉まります』
不意に車内から聞こえてきた、アナウンス。それを耳にした途端、抱え切れない後悔とともにバスに飛び乗っていた――。