銀の光に導かれて➁
おばあちゃんの家は古い日本家屋で、いつからか建てつけが悪くなっている玄関の引き戸は開閉にコツがいる。
私はいつも最初の一日だけ手こずってしまって、門の前で出迎えてくれるおばあちゃんはそんな私に手を貸すことはなく、どこか楽しそうに『頑張って』なんて言いながら笑っていた。
今日は、隣で見守ってくれるおばあちゃんは、どこにもいなくて。私がどれだけ時間を掛けてしまっても、それでももしこの気まぐれな引き戸を開けられなかったとしても、助けてくれる人もいない。
ガタガタギシギシと不規則な音を立てる引き戸に、ときどき苛立ちを感じながらも、なんとか開けられたときにはわずかに安堵していた。
折り畳み傘からは雨粒が落ち続けていたせいで、引き戸の前の石畳の一部分だけが色濃くなっている。
ガラガラとドアを滑らせると、しん、と静まり返った玄関と廊下が視界に入ってきた。
いつも家の中は明るかったけれど、電気もおばあちゃんの笑顔もないと昼間でもこんなにも暗いのかと気づかされてしまう。
少し前に二十歳になったというのに、まるでどこか知らない場所にひとりできてしまった幼い子どものように心細くなって……。慣れた場所にようやく辿り着いたはずなのに、一瞬だけ足が竦んだみたいなためらいを覚えた。
ハッとして、息をゆっくりと吐く。
「……お邪魔します」
そして、少し悩んだあと、遊びに来た初日のときと同じセリフを紡いでから靴を脱いだ。
薄暗い廊下は、二ヶ所だけ大きな音が鳴る。
ギシギシと軋む古びた音を、幼い頃は少しだけ怖く感じた。
小学生になると、兄や姉、いとこたちとわざと踏み合いっこをして、よく両親や叔父たちに叱られた。
そんなときでも、おばあちゃんはいつも笑っていた。皺を刻んだ笑顔で『元気でいいわね』と口癖のように言い、私たちを見守るように見つめていた。
みんながそれぞれに成長していくにつれて、おもしろ半分で廊下の床板を踏んで音を鳴らすことはなくなっていったけれど……。ここに来たときには、なんとなくなにかを確かめるように一度だけ踏むことが癖になっていた。
ギシッ、と大人ひとり分には少し控えめな音が響く。
『そんな音が鳴っても現役なの』と、おばあちゃんが笑う。
訪問時のルーティーンは、もう叶わない。
ギシギシミシミシとわざと大きな音を立ててみても、優しい笑顔も楽しげな声も返ってこない。
(ああ、そうか……。ここにはもう、私を迎えてくれる人はいないんだ……)
わかっていたはずの現実が荒波のように押し寄せてきて、途端に熱いものがせり上がってくる。
鼻の奥がツンと痛んで、喉に感じた熱に息が詰まりそうになった。
滲む視界を手の甲で拭い、キャリーバッグとトートバッグを持って廊下を進む。
台所も居間も水を打ったように静かで、電気を点けても障子を開けても、どんよりと濁った曇り空のせいで部屋は薄暗いままだった。
仏壇の前に腰を下ろし、手を合わせる。
口うるさいことはなにも言わなかったおばあちゃんに唯一言われていたのは、『ご先祖様へのご挨拶はきちんとしなさい』という言葉だった。
『どうして?』
『今日も無事に過ごせるように見守ってください、ってお願いするの』
『そうすれば、元気に過ごせるの?』
『おばあちゃんは、そう思っているのよ』
子どもの頃、投げかけた疑問に答える笑顔は、いつだって真っ直ぐにおじいちゃんの写真を見ていた。その横顔を綺麗だ、と感じたことは今でも鮮明に覚えている。
おじいちゃんは、私が幼い頃に病気で亡くなった。
それからも、おばあちゃんはずっとおじいちゃんのことを想っていたのかもしれない。
私にはおじいちゃんの記憶があまりなくて、思い出といえば縁側に座っている後ろ姿か、金魚鉢を眺めている横顔くらい。
あまり笑わない人で、いつも笑っているおばあちゃんとは正反対だった。
孫である私たちどころか、おばあちゃんとすら話しているところをあまり見なかったくらい寡黙だったけれど、おじいちゃんの話をするおばあちゃんは不思議なくらい幸せそうだった。
まるで、今でも恋をしているかのように。
そんなおばちゃんの笑顔を見ていると、私まで嬉しいような気持ちになって、瞳が緩んでいた。
今頃、ふたりでお茶でも飲んでいるのだろうか。