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金沢ひがし茶屋街 雨天様のお茶屋敷  作者: 河野美姫
お品書き 一 【あんみつ】
2/68

銀の光に導かれて①

『まもなく終点、金沢(かなざわ)です。お忘れ物の――』



 車内にアナウンスが流れ、乗客たちが降車の準備を始める。

 隣で眠っていた六十代前半くらいの女性は、ゆっくりと瞼を開けると、欠伸をひとつした。



「やっと着いたのねー。長かったわぁ」



 独り言のようにひとり言のようにため息混じりに呟いた女性が、荷台からボストンバッグを下ろした。その言葉に、小さく苦笑してしまう。

 私が知る限り、この女性は東京(とうきょう)駅を出てから十分もしないうちに夢の中に旅立っていた。



 たまたま乗り合わせただけの赤の他人の私に、『どこに行くの?』『今、高校生?』なんていう他愛のないことをいくつか訊いてきたかと思うと、自身は金沢にいる息子さんに会いに行くのだと嬉しそうに話していた。

 その数分後、気づけば隣で女性が瞼を閉じていたときは、今の今まで話していたのに……と少しだけ感心したような気持ちになった。



 眠気が吹き飛んだ顔で窓や前方を覗き込むようにしているところを見ると、女性はせっかちな性格なのかもしれない。

 もしくは、久しぶりに息子さんと会えるのを心待ちにしているのか……。



「あなたは、ひとり旅なのよね。せっかくの大学の夏休みなんだから、気をつけて楽しんでね!」



 新幹線が金沢駅に滑り込む直前、笑顔でそんな風に言い残してドアの方へと急ぐ女性の後ろ姿を見ながら、きっと後者だろうなと考えて、そっと微笑んだ。





 東京駅から、新幹線かがやきでおよそ二時間半。

 金沢駅前の有名な『鼓門(つづみもん)』は、アメリカの旅行雑誌のweb版で『世界で最も美しい駅』のひとつに選ばれたのだとか。

『おもてなしドーム』とともに旅行客を出迎えてくれるそれらを前にすると、いつも美術館の一部でも見ているような気分になる。



 前回ここを訪れたのは、まだ一ヶ月ほど前のこと。

 毎年、夏休みや冬休みには、ひとり暮らしをしているおばあちゃんの家に遊びに来ることが恒例になっていた。

 今年のゴールデンウィークの頃にも、『夏休みに行くからね!』なんて電話で話し、おばあちゃんはいつもと同じように『いつでもいらっしゃい』と優しく返してくれた。



 だから……まだ夏休み前の六月下旬、金沢に住んでいる大好きなおばあちゃんの元に来る理由が、おばあちゃんのお葬式に参列するため――なんて、あの頃の私は想像もしていなかった。



 私は生まれたときから関東に住んでいたから、金沢に住んでいたことはないし、友人だっていない。

 思い出と言えば、おばあちゃんと過ごした日々のことばかり。

 だけど、もうおばあちゃんはいなくて、目的地であるおばあちゃんの家にも誰もいない。



『四十九日が過ぎたら、あの家は引き払うことにしたから』



 それでも、私はどうしてもここに来たくなって……。いないはずのおばあちゃんに会いに来るような気持ちを抱え、そう言った父が貸してくれた鍵を握りしめてこの地に降り立った。





 金沢駅の東口から乗ったバスを降りると、目の前に広がる風景に、懐かしさが混じったような寂しさを抱いた。

 同時に、涙が込み上げてきそうになり、それを抑えるように唇を噛みしめて息を吐く。



 空から落ちてくる無数の雫が、アスファルトを叩いている。

 舗装された道はそれをはじき返し、互いが自分自身の居場所を譲るまいとしているようにも見えた。



 頭上で広がる傘は、白い生地に淡いカラーのカラフルなスイートピーがちりばめられていて、どんよりとした空を隠してくれる。

 ついでに、泣きそうな顔も隠すように、少しだけ低い位置で傘を差して視界を狭めた。



 ザーザーともボタボタとも違う、形容しがたい音。

 雨と傘が奏でるいたずらでうるさいリズムを、今日は不快に感じていた。



『あら、ひかりちゃん。こんな雨だって、なんだか賑やかでいいじゃない』



 おばあちゃんなら、きっとニコニコ笑ってそんな風に言うのだろう。

 予想は当たっている自信があるのに、おばあちゃんの優しい笑顔が脳裏に浮かんだのに……。とても虚しい。

 その理由はひとつしかなくて、それを解決する術はない。



 心に負った傷が治る日が来ることはまだ想像もできなくて、幼い頃から何度も訪れた地の景観が胸を痛くする。

 青空よりも明るい傘に隠れているのをいいことに、頬を伝う雫を拭わなかった。

 雨粒と涙が混じったそれは、唇に触れるたびにしょっぱさを感じさせた――。



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