居場所を失くした者⑧
「こちらでございます」
しばらくすると、襖の向こう側からコンくんの声が聞こえてきて、すぐにコンくんが現れたけれど……。その後ろから姿を現した〝お客様〟を目にした瞬間、自然と呼吸をするのを忘れてしまっていた。
「どうぞ、こちらにおかけくださいませ」
私のときと同じように愛想よく振る舞うコンくんを見ながら、口をパクパクとしてしまう。
振り返って私を見たコンくんは、『大丈夫です』と唇の動きだけで伝えてくれたけれど、私は頷くこともできない。
目の前でゆったりと腰を下ろしたのは、人の形からは程遠い姿をした生き物。
明らかに人には見えないお客様は、狛犬が大きくなったような姿をしていて、その身体は座っていても天井までの空間を半分は埋めていた。
緑のたてがみに、全身を覆う新雪のような美しい被毛。尻尾は金色で、瞳は鋭く光っている。
「失礼いたします。お客様、ようこそお越しくださいました。加賀の棒ほうじ茶でございます」
体を硬直させていた私は、部屋に入ってきたギンくんの声でハッとする。
私の強張った表情に気づいたギンくんは、コンくんと同じように『大丈夫です』と唇を動かして笑ったけれど、なにが大丈夫なのかはわからない。
ただ、コンくんとギンくんがいてくれるのは心強くて、不安に包まれながらもふたりの存在に救われているような気持ちでいた。
ギンくんはすぐに部屋から出ていき、またコンくんとお客様と私だけになった室内は静けさに包まれてしまう。
コンくんはただニコニコ笑っているだけで、特になにも話そうとはしない。
お客様は私を一瞥したものの、ぷっくりとした肉球がついた前足のような手で器用に湯呑みを持ってお茶を飲んでいた。
「失礼いたします。本日の甘味の、どら焼きでございます」
「ふむ、これがそなたのおすすめの甘味とやらか」
「はい。私の大好物でございます」
再びやって来たギンくんがどら焼きをテーブルに置くと、それをまじまじと見たお客様がコンくんに尋ね、コンくんはどこか得意げに答えた。
普通に話しているコンくんとギンくんを見ていると、本当に大丈夫なのかもしれないと思うようになり、少しだけ不安が和らぎ始める。
程なくして、どら焼きに手を伸ばしたお客様がたったのひと口でそれを飲み込んだから、つい目を大きく見開いてしまったけれど……。直後に鋭い瞳が和らいだことに気づいて、思わずその表情の変化に見入っていた。
「これは、うまい……。おかわりはないのか?」
「こちらにございます」
「……そなたがここの主か」
タイミングよく姿を現した雨天様に、お客様は品定めをするような瞳を向けたあとで確信めいた口調で言った。
雨天様が笑顔で頷き、部屋の中に入ってくる。
「はい、雨天と申します。我がお茶屋敷へようこそお越しくださいました。どら焼きはまだまだございますので、お好きなだけお召し上がりくださいませ」
そして、雨天様はお客様の傍で膝をついてどら焼きがたくさん載ったお皿をテーブルに置くと、私の隣に腰を下ろした。
右側に座った雨天様の横顔を見て、ようやく深く息をすることができたような気がした。




