終章~【パチンコ】~
その日は、バイトも休みであり、早朝から遠出して良い気分に浸っていた。
お出かけといっても、特別お金はかけない。
いつも通り、古書を巡るくらいか。
いや、どころか――。
パチンコを始めてから、そう、大金を得ているにも関わらず……どうしてか、金の使い方は、節制の方向に向いていた。
そういえば、最近、お腹がなかなか減らない。
食費も浮いているくらいだ。
さて、しかし本日は、お散歩や古書巡りの他にも用事があった。
一度、朝のパチンコ屋さんというのを見てみたかったのだ。
私がパチンコを本格的に始めてから、まだ一月と経っていない。
だが、たった計四回の出陣で、それでも相応の日が経っているのはなぜか?
それは、私がパチンコ店における『イベント日』と呼ばれる日を狙って足を運んでいるからだ。
イベント日。
取材があったり、なんだったり。
他には『旧イベント日』という、昔はこの日にイベントやってたよねという、公にされていない日がそうだ。7のつく日とか、月と日がゾロ目の日とか、色々バリエーションがある。
近年では、主に風営法と警察庁の方針強化により、パチ屋は大々的に『お客様への還元』を謳う宣伝をしてはいけないそうだ……。
だから今日はここに来たということもある。
どれどれ……おお、並んでる、並んでる。
開店前だけど、あれが整列かぁ。
………並んでみたいな。
並んでみよう。
一般入場枠?で列に並ぶ。
ふふ、景観汚してる感覚が堪らない。
時間が来て、入場。
中に入ると……人がすし詰めで並んでいたときと違って、混んでいる感じはしないな。
ふーん、朝のパチ屋はこんな感じか。
では、さて、なんか良い台ないかなぁ。良い台があれば打ってみたい――……。
――――なんじゃァ、こりゃア!!!!!!!!???!?
なんッ……なんだ、この筐体――……。
それは奇しくも、【リゼロ2】の台だった。
釘による導線は……完璧に、近い。
それに――ポケットを囲う釘、これどうなっとんじゃ!??!?
完全に”受け止める形”じゃん、こんなの見たことねえ!
コクリと息を呑む。
現在の【回転数】を見る。当然、――零回転。
朝から約1/349.9、正気じゃない。
という私の中の声は、とても小さくて、私の意識には届かなかった。
筐体前の椅子に腰掛けて。
私は、一万円札を筐体に入れた。
◇
なんという回転率!!!!
信じられない、アベレージで500円10回転!!
台は良好、フフ、回転する台さえ選んでしまえば、こちらの価値は濃厚。
いいねー、いいねー。…………ただ……。
赤バレが全然、来ないな……。
金、または赤の抽選くじが無いと、当然、大当たりはキツい……。
突発で特徴のないクジが【赤】に変わることもあるが、あまり信用できるものじゃない。
――まあ、大丈夫だろう、回転数自体がこんなに良いなら、どうとでもなろう。
最初の一万円が消えた。
まあこんなもんかと、次の一万円札を投入した。
◇
次第に状況が、不吉を孕んでもつれ始めた。
400回転を越えた。しかしその中、未だ赤バレ以上の演出は……ゼロ。
本当はここらへんから何かを感じ始めていたのだろうが、理性の耳には何も届かなかった。
2万円を使い切ってしまった。
仕方がない。
私はキープ台であることを示す離席札を筐体に置いて、コンビニATMへと走った。
◇
おかしい。
いやおかしくはない。
800回転を越えた。だがまだ大当たりは、気配すらない。
過去データを見るに、この筐体は1週間のうち、最長でも1100回転で出ている。
まだ新しくおろしてきた2万円は使い切っていない。
しかしこのぶんであると……いや大丈夫だ! 大当たり演出は、何の予兆もなく来るのだ、今までだってそうだったではないか。
絶対に当たる、私はそれを知っている。
釘が玉を適切に弾く様子を、魅入って見つめている。
スマホなどを弄くりながらプレイしている者もあるが、言わせればナンセンスだ。適切な打ち上げ、適切な打ち出しの停止タイミングは存在している。この回転数がその証明だ。
だが……虚しいかな、大当たりは来ない、そして900回転を迎えた頃……4万円が、溶けて消えた。
筐体に私の顔が映った。
顔真っ赤な私の顔。
私は再び走った。
外は雨だった。にわか雨のようだ。
しまった、傘を持って来なかった。…………。
雨の中、コンビニATMへひた走る私の姿は、パチンカスの姿そのものであった。
虚しい姿だ、敗北者の姿だ。
だが、もう今日は勝てないにしても、投資額の一部は必ず回収させてもらう。
あと1万円だけATMから降ろした。
大丈夫、これで1100回転まではいける。
大丈夫、大丈夫……。
◇
1000回転を越えたあたりから、私の様子は明らかにおかしくなっていた。
時折筐体に映る私の表情は仁王のようだ。
実は……800回転時に、金バレの演出が来ていた。
期待率はたしか、68%だと予告していた。
それも外していた。理性が生きていたなら、撤退するならここだったろう……。
先バレの高期待値演出はそれだけ。赤バレすらも、一度も来ない。
尋常ではない。
私の脳は焼け付いていた。
1000回転……どうなっとるんだ。
だが……1100回転を越えると、途端に冷静も、心の中で、頭を持ち上げてきた。
残りの金はもう僅か。これ以上は……出ない。
お前も見たことがあるだろう? 1700回転詰まっていた、【リゼロ2】を、過去に……。
そして、最後の期待演出が来た。
激アツ演出、――【赤】だ!!
「やっとか……」私は呟いていた。
画面が、演出ストップと共に、真っ赤に光る!!
ボタンを押していく、そして――。
「――運命に、抗え!!!!」
――――はい。
筐体画面に見えた、ガラスがひび割れたような演出。両脇と違う数字が中央にヌッと現れる。
私の心もひび割れた。
――――終了。
しばし呆然の後、私は席を立った。
――そして、別の人が筐体を取った。
そりゃそうだ、1100回転以上とか、もうどっかで当たる回転率なのだから。誰だってそうする、たぶん、私だってそうする。
プレイ時間僅か10分足らず、1000円分の投資で、1200回転を越えた瞬間だった。
「うおぉおおおおおお――――!!」
「――――押すのかい?」
強欲の魔女演出。
ほぼ当選が確実となる、激アツ中の激アツ演出。
そして――――。
テェィロテェィロテェイロテ゛ィンテ゛ィンテ゛ィンハ゜ッハ゜ッハ゜ーーーーーwwwww
――――私は筐体に背を向けて、小雨になった雨模様の中、敗北者の姿で道を歩き、退いたのだった。
◇
さて、最高の醜態を晒した漢の姿があったわけだが。
話はまだ終わりではない。
というか、ここからが本筋だ。
この世で最も惨めな敗北者の姿で、さて、私は次に、どこへ向かったか。
パチ屋である。
パチ屋のはしご。
もう1万円降ろしたお金は、べつにパチンコに使うつもりで降ろしたものではなかったのに。
何を考えていたのか……。
――明白だ。「脳が完全に焼きついていて、何をも考えられていなかった」
時間はもう、4時を回っていた。
朝食べたきり、何も食していないのに、まったくお腹は減っていない。
昨晩はあまり寝ていないのに眠気も感じない。トイレも、一回いったきりだ。
肉体感覚にさえ、異常をきたしていた。
良い台があれば。
そんな夢みたいなことを考えながら店に入り、しかし私がその観察眼で選んだのは、決して状態が特別いいとは言えない筐体だった。そんなこと、せっかくの観察力で、明白だったのに……。
わたしは【エヴァ台】を打っていた。
ミサトさんが色々なことを言っている。アスカが主役級で、シンジくんはあまり目立つ場面がない。
大当たり確率は1/199.2。チンケな投資金では、当たるわけがないのに……。
金銭を消費することに、もうなんの抵抗も抱いていないことに気付いた。
玉購入のボタンを、悪寒も抱かず「ポチ」と押していた。
そして……。
いつだって女神は、敗北者の姿を象る者の元には訪れない。
7000円消費したところで、ストップ。
大敗。だが……茫然感は、皆無だった。
そりゃそうだ、だって。
最初から「負ける」って、脳の端に打ち捨てられた理性の冷静なところでは、真実、本当に、理解して、確信していたのだから。
それは常人の思考回路ではなかった。
強がりとは次元の違う、脳の焼き付いた、独特の思考回路。
勝利が第一ではない。
私は今、「玉を回すことを目的に、パチンコを打っていた」のだ。
その時の私の、脳の状況が、どれだけ極限状態だったのか、その話をしよう。
実は【リゼロ2】に大敗した前店舗では、私の代わりに席に座った人のプレイ風景を、ただじっと観戦していたわけではない。それはパチンコ店において、ご法度的な雰囲気にあるような行為である。
では何をしていたかというと、【リゼロ2】で最後の赤演出を外し、手元に残った1000円で……べつのゲーム筐体に着いて、パチ回していたのだ。
【海物語シリーズ】打っていた。しかも大当たり確率約1/349.9の台。
何も考えられない頭で、何を考えていたのか。
私自身にも分からない。
そしてあっという間に金が尽き、店を退店しようとする際、くだんの大当たりを目撃したのだ。
わたしはもう……立派な、パチンカスだった。
しかも底辺パチンカス。
1日で……6万円、負けた。
私は臓腑が弄られるような感覚に苛まれながら、帰宅した。
……今日、私はまるで、”一つの娯楽のように”、パチンコを打っていた。
私にとってパチンコは、そういう認識ではなく、そのような認識を持った瞬間、負けると最初は考えていたはずなのに。
そんな内省を思いながら、最悪な気分に、心が犯され、せっ突かれていた。
――私がそのとき感じていた最悪の気分を言葉にして表せば、次のようになる。
負けた。パチンコというもので、人生に決定的なマイナスをもたらしてしまった。
人生に、決定的敗北と不利益が、刻まれてしまった。
吐き気の気分の中、そのように強く苛まれ、そして私は思っていた。
この負け分を、必ずや、取り戻さなくてはいけない――。
必ずや、一刻も早くに。
それは脳を焼くほどの情動であった。
もし今、奇跡が起こり、瞬きの間に突然朝になり、次の日が来れば、私はパチ屋に突撃していっただろう。
しかし神は、私に別の奇跡をもたらした。
雨である。
帰り道、薄暗くなった藍色の空を見上げれば、雲などもう、まばらにしかないのに。
小雨に頭を冷やされて。
そして、僅かの冷静を経て――その時始めて、気付く。
――あれ?
いや、確かに今日1日で、6万円分、大敗したけれど。
けれどパチンコの収支トータルで見れば、まだ――2万円という大金、勝ってねえ?
上手く認識できない中、それでも愕然を思い、それを考えた。
――この心理状態における重要性が何であるのか、どこに重大を患っているのか、読者の皆様には、分かるだろうか?
計算ができなくなったこと? 違う、8-6=2という単純な計算自体は、焼け付く脳髄でも簡単に、導き出せていた。
私の脳髄が患っていた病は――。
2万円という大金の価値を、正常に、認識できなくなっていたことだ。
端金としか認識できなくなっていた、というわけではない。
私はそのとき金銭自体に、価値を感じなくなっていたのだ。
簡単に大金を投資し、意味不明のまま膨れ上がった利益を懐仕舞い、そしてトドメに、一般的な日常を送るにおいては理解不能な大金消失を経験したことで、――金銭が【価値】ではなく、ただの【数字】に変容していた。
以前までの私であれば、例えば道端に1万円札が落ちていたら、咆哮を上げて喜び勇んでいたことだろう。
だがその時の私であれば――「あ、1万円だ」と、きっと、淡泊に思うだけだった。
1万円が、【価値】から、ただの【数字】に変容していたから。
金を拾って喜ぶ者はあっても、道端に落ちている数字を拾って喜ぶ者はいない。
2万円は大金である。
だがその時の私は、その金銭に、微塵の価値も感じていなかった。
なぜなら。
ただ強烈な『負け』という概念に打ちひしがれるばかりで、トータルで勝っているだなんて、到底、感覚として思えなかったからだ。
報復せよ、取り返せ、リベンジだ次の勝負だ、と。
意識は、そればかりを叫んでいる。
まるでパチンコ台のような、耳を劈く大音量で。
家に帰ってきた。
明かりをつける。照らされた四畳半、そして真っ先に私の視界に入ったのは、小説執筆用の持ち歩き用ノートパソコンだった。
そういえば、今日は珍しく――近年ではおそらく初めて――これを、持ち歩いていかなかったのだったな。
今日は休みの日、と割り切って。
「…………」
――私は。
そうだ、私は――……。
あぶく銭として得た金で、何をしようとしていたのだっけな。
新しいPCが欲しい? スマホを変えたい?
いや、それは重要なことではない。最低限、必要なものは、ここに揃っているじゃないか。
日用雑貨をそれで買いたいな、と思ったのなら。2万円は、それで足りる、十分な大金だ。
それを認識した途端、脳髄の焼け付きに、僅か、冷静の水がかけられた。
少量ずつながらも、それはまるで雨のように、座椅子へ力なく腰掛けた私の脳に、尽きることなく降り注いだ。
私は、小説執筆用の持ち歩き用ノートパソコンを手に取り、――胸に抱いた。
そうだ、私はもう、決めたんじゃないか。
名が売れずとも、人生において、時間と、そして金銭さえもを、小説執筆を第一とするために使うのだと。
いつかの、自分の小説を心から愛しく思えた、あの日に――。
不思議なことに、パチンコを始めた最初の頃は、むしろ執筆活動が捗った。余計な邪念が消えたような感じがあった、だからパチンコをやり続けたというのもある。
だが、最近の自分は、どうだ?
ついに休日に、相棒であるコイツを手放して野に繰り出す始末。たとえ、それをいいとしても、最近、私は……小説のことを、ふとした時に、考えていたか?
いつの間にか、パチンコの事だけを考えていなかったか?
目を瞑る。すると瞼の裏に見えたのは、想像世界ではなく、――パチンコの刺激的な発光色だった。
筐体の光が瞼の裏に焼き付いて、――他の何もが、見えない。
価値が分からなくなっていた。
私はそれを認めた。
明日、パチンコに行かない決心がついたのは、その時。
絶叫するくらいの衝動は、それで、一応の収まりを見せた。
パチンコは、お終い。
それを思ったその途端、私は、急に空腹感を覚えた……。その時、パチンコのことだけではなく、たとえば美味しいお肉などの、私が元々に価値を覚えていたモノのことを考えられるようになったのだった。
大切なことを思い出して。私は地に足を降ろし、日常に戻って来た。
そして、自分がどれだけ闇の沼に嵌り込んでいたのかという、その景色を目にしたのだった。
私は部屋を綺麗にすることを心掛けている。そのほうが執筆が捗るからだ。その日も、部屋には乱雑に放置されたゴミ袋などはなかった、だが――……。
私はそのときになって、始めて気付いたのだ。
部屋の隅に、まるでゴミ山のように積まれた、洗濯待ちの、衣類の山々という、異様な光景に。
うず高く積まれている。
綺麗に掃除された部屋に、異様な景観で、その山は存在していた。
私は、まったく……その景色に、今のいままで、気付けずにいたのだ。
茫然と衣類棚を見れば、そこにあったのは、バイトの制服一式と下着のみが仕舞われている。
そこはちゃんとしている……。
真実、本当に、ほとんどパチンコのことしか考えられなくなっていたのだ。
自分で自覚する以上に。遥かに。ある意味の自然体として、変容して。取り返しのつかない一歩手前まで。
恐ろしかった。
自分がどれだけ闇の沼地に足を突っ込んでいたかを知って――愕然を覚えて、身の毛のよだつ戦慄に身を冷たくして……――、そうして私は、「これで廃れたギャンブラーの心情を緻密に描写することができるぞ!」と喜んだのだった。
私のギャンブル譚は、これでお終い。
あるいは、これは束の間の平穏なのかもしれない。
またパチンコに手を出すかもしれない。それくらいの誘因力が、あの娯楽にはあった。
ともかくとして――「パチンコは適度に楽しむ遊びです。」
この文句が、あらゆる意味での、真実なのだろう。
私には才能が無かったのだ。フフ、楽しんでしまったのだ。――いや、楽しんではいなかったか、熱中して、灼熱に呑まれてしまったのだろう。
皆様はどうかな?
では今日も、眩しい光にあまり惑わされることのない、あなたの日常、素晴らしい人生を。
体験談・パチンコやべえよ ~4日で8万勝って、1日で6万溶かした漢の物語~・了
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