「お前、プロだろ?」「バイトです」
ニュースに首相が載る。目の細いハゲ。彼も国民と同じくアルバイト。
ボロボロのジャンパーを貫く冷気。口に含むは熱いラーメン。安臭い醤油味。熱いだけで旨くはない。間違いなくインスタントだ。百円だから文句はない。
今いるのは屋台。ラーメンの器から目を上げる。冬。東京。早朝。学校の壁みたいな雪が積もる。息は半透明の白。ビルの軍団が、ネオンで照らす街。浮浪者達は練り歩く。オレもその一人。
スマホを取り、見る。今日のシフトは如何に。冬の朝六時といえど、東京は不眠。夜勤をしている担当者からメールが一つ。社への呼び出しだ。
珍しい。暗殺のバイトをしてしばらくだが、社に行ったのは面接以来ない。だいたいメールでやりとりしていた。立派なテロリストだが取り締まりはない。日本人は皆、最低賃金で働くバイトだ。やる気なんて枯れ果てて久しい。
ラーメンを食い終わり、発つ。
正規雇用が失われた現代。最低賃金たる時給一〇七〇円で毎日こき使われる。上司でさえ一〇七〇円。首相でさえ一〇七〇円。医者、警官、自衛官やパイロットも一〇七〇円。ある意味共産主義じゃないか。
しかし税は変わらず高い。だからオレの目の前のように、ホームレスがたむろする。道で寝ているのは、果たして凍死体か睡眠か。
会社のあるビルに着く。修繕などされず、掃除も適当。手すりの折れている階段を上がり、オフィスへ。扉を開ける。
中は物が転がる無法地帯。オレの担当は女性。メイクを買う金がないのですっぴん。目の下のクマを隠せていない。
「プアさんですか。少々お待ちください」
プアとはオレの通称だ。暗殺者とは名を隠すもの。本名で呼ばれなくなって長い。オフィスのカレンダーは七月のまま。
面談のため個別の部屋へ。手持ち無沙汰にしていると、扉が開けられた。入ってきたのは社長だった。
「いや、座っていてくれ」
反射的に立とうとするのを止められる。擦り切れたスーツ、円いハゲ、白髪。彼も最低賃金の奴隷だ。
「君には、特別な仕事を頼みたくてね」
金の話はしない。一〇七〇円以上はないからだ。
「その・・・・・・」言い淀むこと数十秒。「首相を、暗殺してもらいたいんだ」
驚きはした。だが人生の岐路ではない。首相もあの賃金で働いているのだ。つまり警護のSPでさえも。その程度の金でやりがいはない。オレが殺すのは政治の長ではない。ただの労働者だ。
「やりますよ」
社長は、オレの答えに満足げ。
説明を受ける。大した情報はない。下請けの下請けの下請けなので、依頼人は不明。成績のいいオレに任せるということだ。どうせ、正規雇用の復活で揉めたのだろう。暗殺仕事がハロワに乗るのに大胆なことだ。
期限は一週間。昔ならできない仕事だ。SPや警官に使命感があった時代では。今は自分のことでみんな精一杯。オレもやる気はない。生活のため、内閣総理大臣を殺す。やり方は雑でいい。
支給のチャカを受け取り外へ。歩きながらスマホをタップ。首相官邸のホームページへ。首相の予定が丸見えだ。彼が官邸にいるのは夕方。待ちになる。オレの横をヤクの売人が通過。シフトの少なさを愚痴にしている。となりのヤクザもそう言った。
視察も兼ねて霞ヶ関へ。政治の中枢も今は昔。貧者の飯が立ち並ぶ。
ボロボロの牛丼屋へ入店。暖房なし。人は多い。一番安いセットを頼む。出てくるのは、ボロ布みたいな肉の牛丼。わかめの比率がゼロと等価の味噌汁。黄身の小さい卵。
化学調味料のおかげで味はいい。肉が少ないのはいつものこと。急ぐ理由もない。ダラダラ食べる。だが、寒い。
話し声が耳に届く。目を向ける。役人らしい背広の女。布が破れたパーカーを着る男。二人が声を潜めて喋る。
「俺、投資を始めたんだ」男はそう言う。「金を借りてな。これで億万長者だ」
「借金取りは大丈夫なの?」
女の心配をよそに男は笑う。「あいつらは日雇いさ。怖かねぇ。催促してくる奴らを催促する奴も、またどっかから催促されている。誰から始めたか誰も知らねえ」
飯を食い終わり、店の外へ。中も寒いが、外はより冷える。暖を求めて歩き回る。銭湯はどこだろう。暖かくなりたい。
霞ヶ関から一旦離れる。思えば視察にならなかった。飯を食っただけ。まだ十二時。
目的の銭湯を見つけ中へ。見事な汚れ。衛生の心配が湧く。タオルなどを借りた。黄ばみあり。脱いで、湯気の中へ。誰もいない。水垢がタイルの色を成す。
体を洗い流す。シャンプーやリンスは残り少なく何度もプッシュ。湯に浸かれどバカにぬるい。誰も気にする余裕がないのか。貸切でも喜べない。
銭湯から出る。無駄金を使っただけに終わった。夕方までは時間がある。これ以上金を使いたくない。どこかの店に逃げよう。
雪景色を乗り越えた先のコンビニ。溶けた雪が店内を黒くしている。雑誌を手に取り、立ち読み。ら抜き、い抜き、読点過多、絵文字の乱打。乱れすぎた日本語は、ここまでくると乱れていない。内閣の顔写真を流し見した。「意外な好み」の特集に載っている。
そうやって時間を潰し、夕方。店の者は誰も邪魔しなかった。愛社精神を持つためには、余裕も給金も足りない。
霞ヶ関、官邸へ。国の脳とは思えない廃れ具合。警備はいる。二人。真面目でなく、おでんの話をしている。片方は牛すじが好きらしい。
策は練っていない。こんな社会だ。頭使っても仕方ない。死刑になったらそれで。真正面から打って出る。
当然、警備の睨みが来る。
「ここは許可がなければ立ち入り禁止です」
脅しているつもりか。恐怖心は一滴も現れない。懐からチャカを取り、向ける。引き金に指をかけず。
警備は情けなく腰を抜かし、オレと官邸から逃げる。嘲りではなく、哀れみを抱いた。
官邸内に入る。掃除が行き届いていない。ホコリが自己主張をやめない。電灯がパチパチと死にかけ。
内部構造は知らないので観光がてら歩く。すると使い古したスーツを着た老人達を発見。ソファや調度品の整った場所。彼らは確か、内閣の人間だ。雑誌の顔と一致する。
「誰だ、君は」
シワの多い男が聞いてきた。オレの右手に視線が行く。拳銃一丁。
悲鳴。走り慣れぬ者は転ぶ。老人特有のぎっくり腰。固まる奴。全力で逃げる奴。色々いる中に見覚えのある顔。目の細いハゲ。首相だ。今回のターゲット。
目標は外に出た。追うと、彼は原付に乗って走り出した。律儀にヘルメットまで被っている。都会住みのオレに免許はない。大臣か誰かの自転車をパクり、追う。
首相は雪道に慄いて安全運転。オレは滑らないよう必死。逃走劇と追跡劇、この二つにしては気が抜ける。
首相は雪で汚れながら建物に入る。警視庁だ。今時警官に助けてもらおうなんて考えが甘い。彼らもまた最低賃金。時給一〇七〇円で命は張れない。
中まで追う。床には無数の足跡。逃がしたか。
だが、
「助けてくれ!」
という声。この状況でそれを言うのは一人だけ。声を追う。つまらない無色の床。事務的な色の壁。死んだ顔の職員。これらをかき分けて進む。
進むうち、人だかりを見つける。「首相」「逃げてきた」「暗殺」「首相」という言葉。彼らの目は室内に向けられている。野次馬を突き飛ばし踏み越える。中は、会社でも役所でも見る事務机の整列。この下に首相がいるのか。
探し始める。手前から順に調べ、退路を塞ぐ。そうしていると、警官が一人乗り込んできた。骨のある奴か。
「あんた、テロリストか?」
違うらしい。暇な警官を見ずにオレは言う。
「非正規の暗殺者ですよ」みんな非正規だろうに。
「首相を?」
「えぇ。仕事です」
「重罪だぞ?」
「死刑になったら楽ですね」これは本心だ。「でも、裁判官もバイトだ。安月給な法の番人で・・・・・・」
生ぬるい殺気。目だけ向ける。かの警官が銃を向けてきた。ヘラヘラと笑っている。
「テロでも暗殺でも、撃っても構わない奴ってことだ」
「撃つつもりで?」
「警官だからな」
机に隠れる。枯れた発砲音。上を弾丸が通過。机の影を進む。足音。接近しているようだ。音の方向へ体を出して銃を向ける。警官をオレを見失っていた。オレに左半身を向けている。三発撃つ。左肩、左腕、頭。無味乾燥な血を吹き、骨を失ったように倒れた。机が揺れる。入口で喚き声。
他の職員がパニックになっている中、揺れた机に向かう。荒い息遣いが耳に届く。着いた。
机の下に首相がいた。恐怖に沈んだ上目遣いでオレを見てくる。しかし毅然と言ってきた。
「ここまで追って、冷静でいられるなんて。そんなのバイトじゃない。お前、プロだな?」
「バイトです」
こめかみを撃ち抜く。電気が切れたように力尽きた。お仕事終了だ。願わくば捕まえて欲しい。独房の中はさぞ快適だろう。
しかし、人々が手に持つのは手錠ではなくスマホ。射殺した警官と首相を撮っている。パニックから回復してするのがこれか。一応、救急車は呼ばれているらしい。警察は? いや、ここは警視庁だ。忘れていた。
バカバカしいことに、オレは捕まらなかった。会社帰りみたいに外へ出られた。捕まえても仕方ない。どうせ代わりはいくらでも。それは解るが味気ない。
そして、次の日。今更、首相暗殺の報道。曰くシフトが噛み合わず遅れたとのこと。内容もお粗末だ。暗殺に見せかけた自殺、警視庁の反乱、ただの病死。天下の大新聞でさえこの有様。
成功報酬の仕事ではない。いつもの業務と同じ扱い。時給分の給料が支払われた。あの徘徊のどこに業務時間があったのかは知らない。判るのはしけた金だけだ。
朝。家は狭すぎるので外に出る。新品のノートみたいな雪。パチスロにでも行くか、酒場に籠るかで悩む。前方は霧。
オンボロの屋台とビルの林立を巡る。東京を、浮浪男女が猫背で行く。
狭い道に入った。しばらく雪を踏む。何者かが、小道から現れた。男。布の破れたパーカー。オレを狙っている。今、オレはチャカなしだ。
相手は暗殺者。どこかで見たか? 霞ヶ関の牛丼屋だ。投資の話をしていた。大方、首相の家族にオレの殺害を依頼されたのだろう。ハゲの言葉がリフレイン。自嘲気味に聞く。
「プロか?」
「バイトだ」
相手はそれ以上言わず拳銃を抜き、引き金を引いた。
銃が爆発。暴発だ。相手は手を抱えて唸る。オレは銃がないので反撃できない。するつもりもない。
「大丈夫か?」見かねて近付く。
「やっぱり安物はダメだな」
「支給品じゃないのか」
「自腹だよ。上も貧しい」
手を貸し、立たせる。手から血が出ている。
無駄とは解るが病院に連れて行く。受付の女は困り顔。百年先まで予約あり。残念だが知っている。今時、専門職に就くのは狂った変人だけだ。一〇七〇円でやる仕事じゃない。だから医師も希少なのだ。
血を拭いてやりながら街を歩く。オレは人知れず呟いた。
「神なんていないな・・・・・・」
「シフトじゃないんだろ」
「神までバイトかよ」
冬の風が吹く。
実は現実の暗殺事件より数ヶ月も前に書き終えていた作品。いざ投稿しようとしたその日にニュースが駆け巡った。
なんか闇バイトとかも出てきたし、事実ってすごいですね。




