勇者の黒い衝動
王の膝から崩れ落ちた姫の背中にはナイフが刺さっていた。
床に転がる姫から赤い海が広がっていく。
そこでセーヤは部屋に飛び込んだ。
ゆっくりと振り向いた王は、セーヤの登場に驚きもぜす一瞥したあと、冷酷な表情で姫を見下ろした。
それは娘を見る目ではなかった。酷く憎しみをもった目だった。
どうして、と尋ねたセーヤに、王は淡々と返す。
彼は娘のことも煩わしく思っていた。
何故か父親を異常なまでに執着し、実の母親を手に掛けた娘のことを。
繰り返し繰り返し異世界からの召喚を続けてきたのは、姫を殺したかったから。
姫の狂愛に王は恐怖もしたし、姫自身を酷く憎んでいた。
他でもない最愛の妻を殺した張本人を。
これが最愛から産まれた存在なのかと信じたくなかった。
自分の血縁だと思いたくなかった。
だから殺そうとしたのだ。
しかし、身近な存在だからこそいつでも殺すことは出来たが、こんなもののために自分の手を汚したくはなかった。
だから魔王を利用した。
娘に『勇者をうまく誘導して魔王討伐を果たせたなら、そのときはお前を──』と約束して、危険な旅に出させた。
あわよくば、モンスターや魔王の手先との戦いで惨たらしく死んでくれるようにと願いながら。
それでも何度も旅が失敗しようと、彼女は生きて還ってきた。
その度に憎々しく思った。
そうしてようやく魔王は討伐されたのに、姫だけは消えていない。
姫との約束を最初から守る気などない。
だから結局自分の手で殺すしかなかったのだと、王は淡々と語り終えた。
セーヤは姫の亡骸にそっと目を向けた。
その表情が語る絶望を。なぜ──と大きく見開いた眼差しを。
それらは全く似てなどないのに、どうしてかミコトと重なって見えた。
彼女も、もしかしたらこんな風に絶望して死んでいったのかもしれない。
沸々とした怒りに変化を感じた。
腹のあたりに感じていたものが、どろどろと体中に広がっていく。
どくんどくんと心臓が強く鼓動を鳴らし始め、体温が上昇していく。
────少しの間だったとしても、セーヤは姫のことを確かに大事に想っていた。
だからこそ裏切られて辛かった。真実を知り、許せなかった。
異常だったとしても、姫は父親が大好きだっただけ。
もっともっと前に、それこそ実の母親を手に掛けるまでに止められなかったのか。その片鱗を僅かでも感じていた筈だろう。
自分たちが喚び出された理由が、自分勝手な復讐のためだったなんて。
そんなことのために、ミコトを死なせたなんて。
許せない。
ゆるせない。
ユルセナイ。
どろどろとした何かが意思を持ったようにセーヤの中をぐるぐると巡る。
頭の中を黒いモノが支配し始めて、心から憎しみが溢れ出すのを感じる。
不意に、右手に違和感を覚えた。
見るとセーヤの手はいつの間にか真っ黒な剣を握っていた。
艶々と妖しい光を帯びた黒刃。その刀身に怯えた表情の王が映る。
それをどうするつもりだ、と王がセーヤに問う。
答えなど決まっていた。
────コロセ。
剣がそう囁いているから。
それが答えに違いなかった。
◆
気づけばセーヤは砂埃の中に立っていた。
びゅうびゅうと吹き荒ぶ風に乗ってやってきた砂粒がセーヤの頬を叩く。
周囲に砂塵が舞っているせいで何も見えず、ここがどこだか分からない。
だが、大きな白い石の残骸になんとなく見覚えがあるような気がする。
あれは旅立つ前。彼女と再会を約束したとき。その背景にあった、美しい白い壁の────。
白い残骸や、地面のあちこちに赤黒いものが落ちていた。
この模様は何だろうか。初めて見る模様だった。
妖しい光を携えた黒い剣を引き摺り、セーヤは静かに歩き出した。
何かを探すように、あたりを見回しながら。
その道中に、人が、人だったものが、たくさん、たくさん倒れていた。
一体何が起きたというのだろう。セーヤにその記憶は無かった。
ある思いだけがセーヤを動かし、それ以外は全てセーヤの中から抜け出て行ってしまったらしい。
セーヤは虚ろな身体で、剣を引き摺りただただ歩いた。
ひぃ、っと息を呑むような悲鳴が聞こえる。
セーヤは反射的にそれを壊した。
────違う。
セーヤの頭の中で、たくさんの声が混じる。
────コロセコロセ求めるものコロセ
コワセ以外コロセどこコワセ会い
コにコワたコワセコロセみこと
しかいトコロセ全部、い壊しセ
たとるコワセあいコロセぜんぶ
いらないコロセおもったロコワセ
スベミコトコロセたコワセあいテイ
ハコロセいカるコワセのに。してツクセ…………
ぐわんぐわんと響く声が、セーヤを狂わせる。
何も考えられなくする。
すべてを真っ黒に塗りつぶす。
ぎらぎらと妖しく光る刀身のように。
目に入ったモノ、すべてを壊しながら、セーヤは止まらない。
勇者ではなく、今度は破壊者として、世界を歩いた。
────やがて、セーヤの前にひとりの人間が降り立つまで。