6 だがキャラはぶれなかった
村井という男は、昔から隣に住む方丈凪に想いを寄せていた。
「はじめまして、隣に引っ越して来た村井です」
「方丈凪です。それでこっちは妹のりっちゃんです! すごく可愛いでしょう?」
十年前に親が離婚したことで村井は母親の実家のあるこの村へやって来た。そして初めて母親と共に方丈姉妹と出会ったその時、彼は一瞬にして凪から目を離せなくなった。
両親が死んだばかりで幼い妹と二人きりだという凪はそれでも暗さを見せずに笑っていた。村井の母親はそんな凪の気丈さに胸を打たれて困ったことがあれば頼るようにと話していたが、彼自身はそんな会話は一切耳に入って来ることなく、ただただ凪の顔――その笑顔に隠された底なし沼のような真っ暗な瞳にばかり気を取られていた。
この子はやばい。どうしようもない狂気を感じる。その目に宿る闇はどす黒く、あっという間にこちらが飲み込まれそうになる。
村井はどうして周りの人間がそのことに気付いていないのか不思議で仕方が無かった。だって彼女は、いつ壊れてもまったくおかしくないような状態だというのに。
両親が亡くなったからか、それとも別の理由なのか。方丈凪は狂いかけの壊れかけ、ぼろぼろの状態だ。そしてそれを一目で理解した村井が次に考えたのは、放っておけないという使命感にも似た強い感情だった。
そして隣人として彼女に接していくうちにその気持ちは更に強くなり、そして次第に愛情へと変わっていった。会う度に妹である律のことばかりを息も吐かぬ勢いでしゃべり続ける。まるでそうしていなければ精神を保って居られないとばかりで、律の存在に縋って何とか立っているという状態に見えた。
守ってあげたい。何がきっかけで崩れてしまってもおかしくない彼女がそうならないように見守っていたい。愛情と庇護欲を強く抱いた彼はやがて――。
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『あの人だけは駄目! 一番やばい人!!』
『ん?』
『このゲームで一番厄介なヤンデレストーカーだから!』
「……へえ、俺がヤンデレストーカーねえ」
村井家の自室。そこで椅子の背もたれに寄り掛かった彼は、耳に刺したイヤホンに触れながら「それは心外だなあ」と呟いた。
イヤホンから聞こえてくるのはお隣である方丈家のリビングの会話だった。自分の気付かないうちに凪に何かあっては困ると考えた彼は……最終的に盗聴するという結論に至ってしまったのである。しかしプライバシーには彼なりに気を遣って仕掛けたのはリビングの一室のみだ。そしてある日聞こえて来た姉妹の突拍子もない会話に、村井は腕を組みながら静かにそれを聞き続けた。
村の呪いの噂、というのは引っ越して来て十年になる村井も微かに耳にしたことがある。しかしそれもほんの冗談のような雰囲気で聞いただけで、都市伝説や学校の七不思議のような「まあ現実にはないだろう」ということを前提にしたようなものだった。
しかし聞けば聞くほど、律の言うゲームの中の自分は酷い人物のようだ。
「確かに俺はなっちゃんのこと好きだけど、なっちゃんは勿論りっちゃんのことも殺す訳ないのになー」
昔からどれだけ律の話を聞かされて、そして一緒に成長を見てきたと思っているのだ。律がいなければ凪が成り立たないのは当然としても、村井にとっても律は大事な妹のように思っているというのに。
それに心中だってもってのほかだ。凪を殺すくらいなら邪魔者の方をどうにかする方を選ぶし、無論今にも壊れそうな凪にショックを与える訳にはいかないので相手を殺すなんてことはしない。少しばかり“お話”はさせてもらうかもしれないが。
「けど、前世ねえ……」
凪は律の言うことをあっさりと信じているようだが、村井は正直懐疑的だ。しかし仮に二人の命が狙われるということが現実となるのなら、ぜひともその犯人達は一切合切根絶やしにしたい。
ぶっちゃけ村が呪われようがなんだろうが、村井にとっては凪と律とは比較にならないくらいどうでもいい。二人が死ななければ滅びるような村ならどうぞ勝手に滅びろと笑顔で言える。というか今の時点で彼女達の両親を殺しているような村だ、即座に無くなってしまえばいい。……村井はそこまで考えたところで、案外信じてるのかも、と呟いた。
まあしかし、日頃から精神の危うい凪に更に負担を掛ける所業など村井は許す訳にはいかない。ならば自分が出来ることはなんだろうかと考えながら、彼はひとまず彼女達の様子を窺いに方丈家へと向かった。
『お姉ちゃんが危ない!!』
「……は?」
と、その直後イヤホンが律の酷く焦った声を拾い上げた。慌てて方丈家へと急ぐと、すぐに近所に住むおばさんが凪に向けて包丁を突き出したのが見えた。
まずい、と思ったのは一瞬だった。その一瞬のうちに凪が即座に包丁を叩き折ってしまい、村井が「なっちゃんすげー」と感心している間に怯えたおばさんはあっという間に居なくなってしまっていた。
強い。無事でよかった。律の言っていたことは本当だった。……あのおばさんは何が何でも許さない。
様々なことが頭を過ぎりながら、村井は凪や律に見つからないように身を潜め――殺しに来たと勘違いされたら困る――これからどうするべきかと思考した。
律の言うことが正しいということは、つまりこれから一ヶ月間彼女達は他の村人に殺されそうになるということだ。ほんの一瞬律が言っていたゲームの通りに村人全員葬り去ってやろうかという考えが浮かびかけたが即座に却下する。現実的に可能かはともかく、そんなことをしたら凪に嫌われてしまう。それだけは村井が絶対に回避しなければならないことだ。
「あ、そうだ」
何をするのが一番凪達の為になるか。そう考えた村井が思いついたのは、彼の得意分野を生かすことだった。
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「ひゃー、なっちゃんホントにかっけー。可愛いし強いしでも守ってあげたくなるし最強だな」
猟銃を折り曲げた凪をカメラ越しに見ていた村井は人知れず笑みを浮かべながらも逃げていく宮間に殺気を放っていた。
村井が思いついたのは、密かに凪達を尾行して他の村人の犯行の瞬間を動画で撮影することだった。
悔しいが村井は包丁を叩き折ったり猟銃を折り曲げたりするような力はない。だからこそ、普段から頻繁に行っている得意分野を生かしてこっそり村人達の所業を証拠として残そうと思ったのだ。
村井だっていつも彼女達を見守れる訳ではないので決定的な瞬間が撮れるかは運だが、この証拠があれば外の警察も流石にいたずらだと思わずに動いてくれるだろう。両親の残したという証拠だけでは駄目だ、今この瞬間に凪達を狙うやつらを社会的に抹殺しなければ。
凪達が狙われる度に密かに殺意を増幅させながら、村井は虎視眈々と証拠集めを続けた。
「それじゃあ先生、ありがとうございました」
「ああ……気を付けるんだよ」
「……チッ」
最初に律の説明時に耳にした通り、方丈姉妹は積極的に主治医と関わるようになった。二人が生き残る上で仕方が無いのだから邪魔はしないが、それにしたって村井が苛つくのはどうしようもなかった。怖がられるからと自分は彼女達の前に姿を現さないようにしているというのに楽しそうにしやがって、と。
「あーあ、こうなるって分かってたら車の免許取っといたんだけどなあ」
村井が持っているのはバイクの免許だけだ。流石に二人は乗せられないし、特に体の弱い律は長時間道の悪い山中をバイクで下るのは難しいだろう。
「……さっさと終わらせてなっちゃんとりっちゃんに会いに行こ」
早く二人が幸せそうに戯れている所を近くで眺めたい。その光景を想像して、村井は御倉への苛立ちを押さえて彼女達の尾行を続行した。
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「あのおばさん、やっとやりやがった!」
村井は今し方撮ったばかりの動画に、ようやくかとため息を吐いた。
各々の村人の決定的瞬間を撮影してきた村井だが、一番最初に凪を狙ったおばさんだけは中々もう一度犯行に及ぶことがなく、今までその証拠を撮ることができなかったのだ。
凪達を殺そうとするなど許せない。だが狙ってくれないと証拠が撮れない。そんなジレンマに焦れていた村井の前で、ようやくおばさんは凪によって再び凶器をぶっとばされていた。
これで証拠は十分だ。村井はすぐにバイクに跨がると山を下り、村の隠蔽工作に荷担していないであろう県警まで向かって村を告発した。
「早くしないとこの子達が危ないんです!」
「いや、そうは言ってもねえ……」
しかし担当してくれた警官は村井の提出した証拠を見て難しい顔をした。
「君、いたずらは困るんだよ」
「ホントの事なんですってば!」
「ホントの事って……こんな女の子が、いや女の子じゃなくても普通に考えて猟銃を折り曲げられる訳ないじゃないか」
呆れたように告げられた言葉に村井は一瞬反論に困って真顔になった。そう言われてしまえば確かに凪でなければこんなことは無理だ。
「違うんです、この子はちょっと強かったりしますけど妹が大好きな普通の可愛い子なんですよ! そんな子が毎日村ぐるみで命を狙われてるんです!」
「確かに映像はそんな感じだが」
「今この瞬間にだって殺され掛けてるかもしれないんですよ!? お願いします、すぐにあいつらを捕まえて下さい!」
「うーん、私の一存ではね。この話は報告しておくから、また後日ちゃんと本人を連れて来てくれるかな」
実際にこの警官は村ぐるみで、それも医者も警察も巻き込んで人を殺そうとしているなどと欠片も信じていないのだろう。
「……そうですか」
どこか適当に村井をあしらおうとする警官。そんな彼の様子を見て必死に頼み込んでいた村井は、カチリと頭の中で何かのスイッチが入るような感覚がした。
「……警察がそういう態度なら」
「ん?」
「いいですよ。警察が助けてくれないのなら、俺だけで何とかします。俺一人で……村を全部、終わらせて来ますから」
たとえ凪や律から嫌われようが、あの子達が死ぬくらいなら全部自分であの村をぶち壊す。二度とあの子達の命が狙われることのないように、既に犯行に及んだ村人は元より二人を狙う可能性がある全ての村人を徹底的に、全部全部全部ぐちゃぐちゃに。
言葉とは裏腹に、村井は無意識に笑みを浮かべていた。
「それじゃあ俺はこれで――」
「ちょ、ちょっと待ったああっ!!」
それを間近で見てしまった警官はぞわりと背筋に寒気が走るのと同時に、このままこの男を野放しにするのはまずいと本能的に悟った。こいつは本気でやると、何人も犯罪者を見て来た警察としての勘が告げたのだ。
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「急いで下さい!」
そうして彼に強い危機感を覚えた警官によってすぐに複数のパトカーを連れて村に戻ることになった村井は、バイクで先導しながらも酷く焦りを滲ませていた。
先ほど方丈家にある盗聴器から微かに二人が何かを言い争うような声が聞こえたのだ。リビングには居ないらしく何を言っているのかは分からなかったが、それでもあの姉妹が喧嘩をするなどただ事ではない。ましてこの状況だ、二人がばらばらになったらあっという間に危険度が跳ね上がる。
そうして後でスピード違反で捕まってもおかしくない勢いで村に戻ると、暗い空に黒煙が上がり、遠目に見えた方丈家は火の海に呑まれていた。
「なっちゃん、りっちゃん!」
そして家の前で今にも殺されそうになっている二人を見た村井が「よし全員消し去る」と決意しかけるのと同時に、そうはさせるかとばかりにすぐさま警官達が村人達を取り押さえた。現行犯で疑いの余地も無い村人が次々と拘束される中、村井は我に返るとまっすぐに凪と律の元へと急いだ。
ぼろぼろの姿で呆然としている二人。そんな彼女達に近付くと律は怯えたように小さく悲鳴を上げたが、村井は気にせずに微笑んだ。
「遅くなってごめん、助けに来たよ」
そう言った瞬間、凪の目が大きく見開かれた。
「助け……に」
「うん、なっちゃんがこんなになるまで遅くなって、本当にごめん」
凪はぎこちない動きで辺りを見回す。自分達を害そうとしていた村長や神主は警察に手錠を掛けられている。他の村人も警察に囲まれており、凪の怪我を見た警官が急いでこちらへ駆け寄ってくるのが見えた。
「大丈夫ですか!?」
「……」
警官の言葉に答えずに、凪は震える腕で律をそっと抱きしめる。
「私達……助かった、んですか」
「そうだ」
「もう大丈夫なんですか。……もう、頑張らなくても、いいんですか」
「そうだよ。もう、なっちゃんとりっちゃんが怯えることは何もない」
「……律」
「お、ねえちゃん」
ぼろぼろと涙を零す妹の頭を撫でながら、凪は力が抜けたように笑った。
「もう、終わったんだって……もう、頑張らなくても……いいん、だって、っ」
何とかそれだけを口にして……凪は繰り返す度にいつしか枯れていた涙を、まるで小さな子供のように大声を上げながら流した。