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5 シナリオはそう簡単に崩れない


「……な、んで」



 凪が目を開けると、その目に映ったのは両親の写真でも喪服の人々でも、小さな律でもなかった。



「お姉ちゃん……っ!」

「律」



 凪に縋り付いて啜り泣く律は、車に轢かれる前に見た十一歳の姿だ。

 まだ、時間は続いている。まだ死んではいなかったのだ。ベッドに寝かされていた凪が上半身を起こして自分の体を見下ろすと、至る所に包帯やギプスが巻かれていた。全身が痛みを訴えて来る。それが自分がまだ生きているのだと教えてくれた。



「……りっちゃん」

「っお、ね」

「そんなに泣くと、目が痛くなっちゃうよ」



 凪がぼろぼろ泣き続けている妹の顔を袖で拭ってやると、顔を上げた律は一瞬だけ泣き止みかけ……そしてすぐに、今よりも更に大きな声で泣き始めてしまった。



「う、うわあああっ、お姉ちゃんの馬鹿、馬鹿馬鹿っ! わた、私、死んじゃったって、思って……!」

「うん……私もそうかと思ったよ」

「馬鹿、ばか……」

「心配掛けてごめんね。お姉ちゃん、まだ生きてたよ」



 凪が律の頭を優しく撫でると、律は泣きながら凪に縋り付いて来る。そんな妹の背中をぽんぽんと叩きながら、凪はさっと周囲に視線をやった。

 白い病室……此処は御倉医院の一室だろう。手当もされていることから、凪を助けたのは恐らく彼だ。律の言う好感度というやつが功を奏したのかもしれない。

 今まで何度も殺されるのを見て見ぬ振りをされて、きっと凪が死ぬ時も毎回死因を誤魔化していただろうということを考えると心からの感謝はできないが。



「……お姉ちゃん」

「何?」

「次ってなに、今度こそってどういう意味なの」

「……」

「答えて、もう隠し事しないでよ!!」



 そういえばあの時に死に際だと思って口にしてしまっていたと凪は思い出す。話すべきか黙っているべきか。そう悩んでいたものの、律のこの様子では言わなければ納得しないだろう。



「お姉ちゃん!」

「……りっちゃん、私ね。実は――」



 凪はゆっくりゆっくり、一番最初の記憶から思い返して口を開いた。


 殺されたこと、殺されたこと殺されたこと殺されたこと……律が傷付かないように出来るだけオブラートに包んで淡々と話すと、最初は唖然としていた律は次第に止まり掛けていた涙をまたぼろぼろと流し始めてしまう。



「りっちゃん、泣かないで」

「ば、ばっかじゃないの! 泣くに決まってるじゃん! だってそんな、何度も何度も殺されて、なんでそんなの平然としてるの!? どうして、何も言ってくれなかったの……私が、信用できなかったから?」

「違う、違うよ。りっちゃんが気にすると思ったし、こんなに失敗してるって知ったら不安になると思って――」

「そうやって一人でずっと背負い込んで来たの!? 私は何にも知らないでお姉ちゃんに甘えてたのに、勝手に疑って、酷いこと言ったのに……!」

「りっちゃんはそれでいいの」

「言い訳ないでしょ!?」

「いいの。……だってりっちゃんは、いつだって何よりも私の心を支えてくれたから」



 ぽん、と凪は律の頭に手を乗せた。いつものように撫で回すのではなく、そっと優しく手を動かす。その表情は、酷く凪いでいて穏やかなものだった。



「なんで平然としてるのかってりっちゃん言ったけど、不思議だよね。私、壊れかけてるけど壊れ切ってないよ。まだ頑張れる。りっちゃんがいるだけで、そう思えるよ」

「……お姉ちゃんの、ばか」

「うん、馬鹿だね。よく妹馬鹿って言われるよ」



 へらっといつものように笑った凪に律も泣きながらくしゃりと笑った。今度は髪の毛がぐしゃぐしゃになるまで遠慮無く頭を撫でた凪は、ようやく満足したように律の頭から手を離して少し冷静になった頭で窓の外を見る。

 外は真っ暗だ。倒れてからまだそんなに時間は経っていないように見える。



「りっちゃん、今はまだ私が轢かれたのと同じ日、だよね?」

「うん……お姉ちゃんが死んじゃうと思って、咄嗟に先生を呼んで助けてもらったの」

「そっか。りっちゃん、ありがとう」



 色々あったが何とか律と和解することが出来た。凪はそのことに心底ほっとしながら、これからどうするべきかと思考する。

 証拠が入った金庫は無事に開いた。つまりクリア条件の一つは達成したのだ。ならば後は、この村からどうにか脱出しなければならない。



「……凪さん! 目が覚めたのか」

「あ」



 その時不意に部屋の引き戸が開かれ、凪は咄嗟に警戒するように律を抱きしめた。入ってきたのは御倉先生一人で、凪は一瞬だけ迷った後に腕を緩めて彼に向き合った。



「無事……とは言えないが、本当によかった」

「先生、助けて下さってありがとうございます」

「いや、君達が頭を下げる必要はない。……全て、私達が悪いんだ」



 御倉は酷く苦々しい表情になると、二人に向かって大きく頭を下げる。



「私はずっと、君達の状況を知りながら見て見ぬ振りをしてきた。それだけじゃない、君達の両親の死亡診断書を誤魔化したのも、全て私がしたことだ」

「……どうして、今回は助けてくれたんですか」

「咄嗟だった。……律さんに呼ばれて、目の前で凪さんが血塗れで倒れていて、無我夢中だったんだ。だた、助けなくてはとしか考えられなかった」

「……」

「それに……君達と話していると、私は何て恥ずかしいことをしているんだと思えた。医者だというのに人が死ぬのに見て見ぬ振りをして、まして隠蔽工作に協力した。呪いなんて馬鹿馬鹿しいと思いながらも、それでも心のどこかで信じていた。……今更何を言っているんだと思うだろう。本当に、すまない」



 律が窺うように凪を見上げる。そして凪もそんな妹の背に触れながら目の前で頭を下げ続ける老人をじっと見ていた。



「御倉先生」



 彼の言葉を受け入れるべきか、拒絶するべきか。選択肢は、勿論存在しない。



「私は……私は、私と律が無事ならそれでいいんです。勿論先生や他の人達に思う所がない訳ではないけれど、でもそれよりもこの子が大事です。だから、あなたが今までのことを悔いて下さっているのなら……どうか私達を村の外へ連れて行ってくれませんか」

「ああ、分かっている。……すぐに車の準備をしよう」



 御倉は大きく頷いて部屋を出て行く。二人はそんな彼の後ろ姿を見送って、そしてお互いに目を合わせた。



「りっちゃん、これでいいんだよね」

「うん……きっと」



 死を迎えるはずだった凪は、何とか生き残った。デッドエンドの先など用意されていたはずもなく、ここから先はどうなるのか律にも分からない。

 だが証拠や村への脱出方法、クリア条件は揃っているのだ。だから今はとにかく一刻も早く村から出なければならない。



「あと少し……お姉ちゃん、頑張るから」



 凪は決意を改めるように強い声でそう言って、そして痛む体を押して立ち上がった。







 □ □ □ □ □







「あの、先生。家に寄りたいんですけど」

「いいのかい、急がなくて」

「どうしても必要なものがあるんです」



 暗い夜道を走る車、沈黙が続いていた車内でおずおずと声を上げたのは律だった。

 金庫は開けたが、証拠はまだ家の中に残っている。あれを持って行かなければ警察だって信じてくれない。

 律は言い終えると不安げな表情のまま窓の外に視線をやる。


 これで本当に大丈夫だろうか。何か間違ったことはしていないだろうか。それだけが何度も何度も頭の中を回る。これで上手く行くなんてあっさりと楽観的な思考にはなれない。


「ねえ、りっちゃん」

「何?」

「此処を出たら、何かりっちゃんの好きなものでも食べようか。ゆで卵のグラタン、りっちゃん大好きだよね?」

「……お姉ちゃんそれフラグっぽいから止めて」



 今までさんざん死亡フラグをぶち壊して来た姉に言うのも何だが、こうむやみにフラグを立てられるのは御免である。

 律がため息交じりに言うと、凪は小さく笑いながらいつも通り律の頭をぐりぐりと撫で回した。



「二人とも、着いたよ」

「ありがとうございます、すぐに戻ります」



 玄関近くに車が停められると、二人は急いで家の中に入って地下室の金庫の中から証拠を手に取る。

 これで大丈夫だ。頷き合った凪と律は車に戻ろうと地上への階段を上がろうとした。――その時だった。


 不意に、焦げ臭い匂いが鼻につく。



「え……」

「お姉ちゃん! 家が!」



 慌てて階段を駆け上がった二人が見たのは、真っ黒な煙とあちこちに広がる赤い炎だった。

 今にも焼かれてしまいそうな熱気に、凪はすぐさま律を守るように抱えて玄関へと走り出した。

 火の粉が掛かろうが構わずに進む。満身創痍で今にも倒れそうになっていても、それでも凪はとにかく律を守りながら足を動かした。



「お姉ちゃん!」

「大、丈夫!」



 律の悲痛な声に凪はこんな時でも安心させるように笑う。そしてとうとう、転がるようにして燃えさかる家の中から外へと逃げ出した。



「……は、あ……り、ちゃん、車に」


「まだ生きているのか。本当に化け物のような娘だ」



 腕の中から律を解放した瞬間、酷く冷え切った声が二人の耳に届いた。



「あ……」



 直後、凪と律の体が地面に押さえつけられた。必死に顔を上げれば、彼女たちを押さえているのは村長と神主。そして、凪達を取り囲むように何人もの村人がじっと彼女たちを見ている。

 その中には、酷く苦しげな表情を浮かべた御倉もいた。



「先、生」







 □ □ □ □ □







 御倉の元に村長から電話が掛かって来たのは、ちょうど凪の治療を終えてすぐだった。



「先生、方丈の娘を保護したらしいですね」

「……な」

「先ほど他の村人が血塗れの方丈凪が病院に運ばれた所を見たと聞きました。彼自身は数年前に引っ越して来たばかりで村の仕来りなど知らなかったようですがね」



 村長に知られた。

 御倉は言葉を失い、受話器を耳に当てながらその老体を震わせていた。村の意向に背いたと思われれば次に殺されるのは自分だ。



「いえ、いいんですよ別に」



 しかし怯える御倉に反して、電話の向こうの村長は酷く穏やかだった。



「先生はお優しいですから怪我をした人間を放っておけなかったんでしょう。分かりますよ」

「……」

「けれど分かるでしょう、もし彼女達二人を優先すれば、呪いを信じるもっと多くの村人がパニックに陥る。それに……もしあの子達を助けたとしても、あなたが今まで何人もの村人の死亡診断書を偽装してきたのは変わらない」



 穏やかな声のまま続けられる言葉に、彼はごくりと息を呑む。そうだ、自分がやって来たことは、その罪は消せない。



「もう十年後には今医大で学んでいる村の子にあなたの役目は移る。今回が最後なんです。今回さえ目を瞑れば、あなたは何も咎められることなく安心して老後を迎えることができる」

「……」

「別に強制はしませんよ。あなたがあの子達を助けたいのならそれで構いません。それでは」



 そのまま電話は切られ、御倉は大量の冷や汗を流しながら頭を抱えた。






「すまない……すまない、二人とも」



 最初は、あの電話の後は、必死に生き残ろうと足掻いている姉妹を見て御倉も本気で助けようと決意したのだ。しかしいざ車に乗り村から逃げようとすると「本当にそれでいいのか」「多くの村人よりもたった二人を優先するのか」と何度も頭の中に疑問が過ぎった。


 そして律が家に寄ると言った瞬間、急いで逃げなければならない二人がどうしても必要なものと聞いて、彼はそれが何なのか理解してしまったのだ。ただ二人を逃がすだけではない、それがあればきっと、自分の罪は知られてしまうと。


 この二人さえ目を瞑れば。村長のその言葉が頭を過ぎった瞬間、御倉の揺らいでいた心は逆方向に振り切れてしまった。







 □ □ □ □ □







 裏切られた。今まで何度も何度も何度も裏切られて誰も信じていなかった凪も、僅かに見えた光に縋ってしまった。最後の選択を誤った。その結果がこの様だ。



「やはり証拠を残していたか」

「だ、だめ!」



 律が抱えていた証拠が村長に奪われ、そして燃える家の方へと放り投げられる。あっという間に火が移って燃えていくそれを見て、凪も律もその表情をじわじわと絶望に染めていった。



「父さん」

「幸多、村長を継ぐ者としてよく見ておくがいい」

「……」



 眉を潜めて父親を呼んだ幸多も結局その場から動かずに口を閉じ、二人を見ないように俯いた。



「いや……やだっ、殺さないで!」

「村の為に死んでくれ」



 村長の手に大ぶりの刃物が握られたのを見て、律が必死に抵抗して声を上げる。だが元々体の弱い子供の彼女に拘束から逃げ出せる力はなく、そして今まで妹を守って来た凪は全身の怪我と火傷でもうろくに体が動かない。


 証拠が無くなった。味方になってくれたかと思った人には裏切られた。体はもうぼろぼろだ。……そして、勿論助けなど来るはずもない。



「まずは厄介なお前からだ。殺しても殺しても死なない化け物め」



 村長の持つ凶器が凪に振り上げられる。彼女は全く抵抗など出来ないまま、感情の死んだ顔でただそれを見ていた。


 結局また繰り返すのか。あと少しなのに、ようやく終わると思ったのに、またこの地獄を繰り返し続けるのか。



「……にたくない」



 何度も何度も何度も何度も殺されたって、それでも。




「死に、たくないよ」













「――取り押さえろ!」



 その声が響いた瞬間、今まで静まり返っていた村の中があっという間に騒がしくなった。


 カッ、と白いライトの光が村人達を照らし、沢山の足音が地面を伝って凪達の耳に響いてくる。そして視界を覆っていた村長と凶器はすぐさま複数の人間によって取り押さえられた。



「警、察……?」



 凪が顔だけを何とか横に向けると、村人がどんどん警察らしき男達に拘束されていた。



「お姉ちゃん!」

「律……」



 そして同じように神主が取り押さえられて自由になった律が泣きながら凪の傍へとやって来た。


 何がなんだか分からない。助かったというのに二人して訳が分からずに身を寄せ合っていると、不意に警察官や村人達の間を縫うように彼女たちの目の前に一人の男がやって来て膝をついた。



「なっちゃん、りっちゃん」

「ひっ……」



 その男を目にした途端、律が引きつったような悲鳴を上げる。しかし彼はそれを気にした様子もなく、凪の怪我を見て眉を顰めた後にそっと微笑んで二人に手を差し伸べた。



「遅くなってごめん、助けに来たよ」



 二人の目の前に来たのは、ずっと姿を現さなかった隣人、律にヤンデレストーカーと呼ばれた村井だった。



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