表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/7

4 選択肢なんてありはしなかった


 方丈凪の最初の人生は、何もかも分からないまま唐突に終わりを迎えた。



 凪が六歳の時、妹の律が生まれた。しかし生まれてすぐに他の子供よりも体が弱いことが分かり、律が生まれてからまもなくして方丈家は空気の悪い都会から山間部にある田舎に引っ越すことになった。

 凪は小学校に入ってせっかく出来た友達ともすぐに別れることとなり、更にすぐに体調を崩す妹に掛かり切りの両親に不満を抱き、律のこともあまり好きではなかった。お姉ちゃんなんだから我慢して、という言葉を一体何度聞いただろうか。それは当時の凪にとって一番嫌いな言葉だった。



 しかし凪が本格的に反抗期になるよりもずっと早く、引っ越して一年ほどで両親は突然この世を去ってしまった。山の上から落ちてきた岩が頭に当たって死んだのだと、第一発見者だというお向かいのおばさんはハンカチ片手に語った。

 当時七歳だった凪はその言葉を疑問に思わなかった。成長してから不意に思い出して疑問を抱いても、もうその時にはその疑問を解消する術などない。


 七歳と一歳の子供が残された方丈家。元々親戚もおらず引き取り手もなかった二人は村ぐるみで育てられるようになり、凪も律も村の住人を家族だと慕うようになった。






「おねーちゃん、まって」



 小さな律がとてとてと覚束ない足取りで凪の後を追いかける。しかし凪は一度律を振り返った後、また待つことなく歩みを進めていく。

 両親が居なくなってから、律は両親の代わりだというように以前よりも凪に懐くようになった。そして、凪も凪で唯一の血縁となったことで妹を大事にしようとして来た。

 だがそれでも、凪の中にはずっと妹へのしこりが残り続けた。「この村に引っ越して来なければ……律の体が弱くなければ、両親は死ななかったのではないか」と。


 それでも表面上は仲の良い姉妹として、良きお姉ちゃんとして彼女は生きてきた。妹を責めるのはお門違いだと、そう何度も自分に言い聞かせて律への悪意をしまい込んだ。

 そうして凪は同年代の子供よりも遙かに早く大人にならざるを得なかった。本当はまだ甘えたい子供だったとしても、病弱な妹を背負う凪にそれは許されなかった。




 そんな日々が終わったのは、凪が十七歳――ちょうど、両親の死から十年後の十月一日だった。








「……え?」



 呆然として自分の体を見下ろす。その胸に突き立てられた包丁に、何が起こったのかも分からないうちに激痛に呑まれて何も考えられなくなった。


 凪を包丁で刺したのは、よくお裾分けをくれて二人を気に掛けてくれていたお向かいのおばさんだった。どうして刺されたのか、気が付かないうちに恨みを買っていたのか。何もかも理解できないまま、妹の悲鳴が微かに聞こえたのを最後に方丈凪の短い一生は終わりを迎えた。







ーーーーーーーーーーーーーーーーーー







 終わったはずのそれがまた始まりを迎えたのは、彼女の意識にとってはほんの一瞬のことだった。



「……は?」



 目を開くと、凪の目の前には両親の遺影が花に囲まれるようにして飾られていた。

 咄嗟に辺りを見回してみると、周りには黒い服……喪服を来た村人がぼそぼそと話をしており、そして彼らは何故か凪の記憶よりも随分と若かった。

 そして極めつけに刺されたはずの胸を見下ろすと、そこには小さな小さな律が静かに寝息を立てている。



 ここは十年前だと凪が悟るのに、そう時間は掛からなかった。記憶よりも幼い自分と律、十年前の日付、そして刺されたはずなのに傷一つない体。何を取っても十年前に両親を亡くしたあの頃だと理解せざるを得なかった。



「……夢、だったのかな」



 これまでの十年は単なる夢に過ぎず、両親を失ったショックでおかしくなっていたのかもしれない。いや、きっとそうに違いない。そうでなければどうして突然殺されなければならないのか。

 そう結論付けた凪は、もう一度七歳からの十年間を始めることになった。










「おねーちゃん、まって」



 小さな律がとてとてと覚束ない足取りで凪の後を追いかける。そんな妹を振り返った凪は立ち止まり、追いついてきた律と手を繋いで歩き出した。

 前よりも精神的に大人になっていた彼女は律に対しても随分と寛容になり、甘えてくる妹にも素直に優しく接するようになった。


 そのままどこか既視感を覚える十年を過ごした凪は前と同じように毎日を繰り返した。家事をして、学校へ行って、妹の世話を焼いて……そして、同じようにおばさんに包丁で胸を刺された。



「……あ」



 十七歳の十月一日。前に殺されたのもこの日だったと思い出したのは、既に激痛の中で倒れてからだった。

 律の悲鳴が聞こえる。だんだん、何も聞こえなくなる。そして――何も分からなくなった。







ーーーーーーーーーーーーーーーーーー







 目を開けると、凪の目に映ったのは両親の遺影だった。

 それを見た瞬間、凪はぞわりと背筋が凍り付くような感覚を覚えた。まただ。また、この瞬間に戻っている。自分の体は小さくなっていて、腕の中にはもっと小さな律がいる。

 今度は夢だなんて言えなかった。二度も繰り返した十年の記憶は、凪の体の中にしっかりと残っている。


 放心しながら葬儀を終え、家で律と二人になった凪は何も考えたくなくて目を閉じた。しかし考えずにはいられない。瞼の裏に二度も自分を殺した向かいのおばさんの顔が過ぎった。

 きっと、また同じように十年後に凪は殺される。そうしたらきっと、またここに戻ってくる。



「どうすればいいの……」



 殺されないように生き延びなければ、恐らくずっとこの繰り返しだ。ゲームでもそうじゃないか。敵に負けて全滅したらセーブポイントに戻される。ここは現実だが、この不可解な現象は同じように起こっている。

 生き残る為にはどうするべきか。考えた凪は出来るだけ向かいのおばさんの恨みを買わないように生きるしかなかった。何が原因で二度も殺されたのかは分からないが、殺そうとするということは少なからず憎まれているということだ。今度は殺されない為に、繰り返す度にどんどん慣れていく料理をお裾分けしたり、できるだけ家の前を綺麗にしたり、手伝いを買って出たりと思いつくことはなんでもやった。




 そして三度目の十七歳の十月一日の朝、インターホンの音が鳴った。


 玄関の扉を開けるのが怖くて堪らなかった。また次の瞬間には振り出しに戻るかもしれない。この十年どれだけ頑張ってきても不安は少したりとも消えはしなかった。



「お姉ちゃんどうしたの? 私出るよ?」

「っ、律! 待って!!」



 しかしそうして凪が躊躇っていると、不思議そうな表情を浮かべた律がさっさと扉を開けて外に出て行ってしまった。凪もすぐさま後を追いかけると、いつものようににこにこと笑っているおばさんがタッパーと共に忍ばせていた包丁を律に突き出している所だったのだ。

 そして、凪が止めるよりも早く――律の体にその包丁が突き立てられた。



「律!」



 目を見開いたまま崩れ落ちる妹に再び振り上げられた包丁を見て、凪は律を強く抱きしめるようにして庇った。

 何度も、何度も、背中を刺された。痛みなどとっくに感じなくなった頃、目を開くと……両親の顔があった。







ーーーーーーーーーーーーーーーーーー







「……やった……?」



 凪の意識にして五回目の十七歳。その十月一日の朝、凪はとうとう生き残った。

 向かってきた包丁を持つ腕を捻り上げ、凶器を手放した所で落ちた包丁を遠くへ蹴った。するとおばさんは凪の剣幕に怯えたのかすぐさま逃げていったのだ。


 四回目、そして五回目の凪は、とにかくこの十年間身を守る術を身に着けるべく必死になった。道場などこの村にはなかった為、走り込みをして体力を付け、腕力を鍛え、とにかくおばさんに負けなければいいのだと必死になった。

 鍛えている間だけは、近付いてくる死に怯えなくなった。少しずつ強くなるのを実感して、それと比例して安心感が生まれていった。

 四回目はおばさんともみ合いになった末に家の中から出て来た律が刺され、それに絶望している間に殺されたが、今回――五回目にして、とうとう凪はこの繰り返しから解放されたのだ。



「律、今日はご馳走にしようか」

「え、本当!? 私ね、グラタンが食べたい。ゆで卵が乗ってるやつ!」

「うん! とびっきり美味しいグラタン作ってあげるね」



 嬉しそうに飛び跳ねる妹を凪は酷く優しい目で見つめた。最初の繰り返しから何十年と経ち、彼女にとって律は妹であり、そして娘のようにもなっていた。


 「楽しみだなー」と繋いだ手をぶんぶん前後に振って喜びを表す律。そして全てから解放された気分になっていた凪は、何にも警戒することなく学校への道を歩き――。



 そして、背後からやって来た車に二人一緒に跳ね飛ばされた。










「……あ」



 両親の写真、喪服、幼い律。









「――うあああああああっ!!」



 それらを全て目にした凪は、数秒後狂ったように泣き出した。







ーーーーーーーーーーーーーーーーーー







 そこからが、凪にとって本当に本当の地獄の始まりだった。


 包丁で刺される、車に轢かれる、猟銃で撃たれる、金属バットで殴られる。様々な方法で殺されながら、凪は何度十七歳の十月までの十年間をやり直しただろうか。

 運良く一日目を越えても二日目以降もまた、頻度は下がっても同じように何人もの村人に命を狙われる。


 殺され掛けたと交番のお巡りさんに訴えても、なあなあで片付けられる。一度だけ運良く十五日を越えても、今まで密かに恋心を抱いていた幸多に「許してくれ」と謝られながら首を絞められる。その時に、凪の心は完全に凍り付いた。


 どうしてこんなことになってしまったのか。なんで殺されなければならないのか。

 実際に殺そうとした人は勿論、そうじゃない村人もいずれ殺しに来るかもしれない。そう思えば、凪は誰も彼も信じることはできなくなった。


 たった一人を除いて。








「おねーちゃん、まって」



 小さな律がとてとてと覚束ない足取りで凪の後を追いかける。そんな妹を振り返った凪は踵を返し、律を腕に抱き上げて歩き出した。

 腕の中で「たかーい!」と嬉しそうにはしゃぐ律に目を細め、凪は優しく妹の背を撫でる。



「ねえりっちゃん」

「なあに?」

「お姉ちゃん頑張るよ……頑張るからね」



 律だけは、どんな時も凪の傍に居てくれた。記憶は無くても唯一彼女と同じ立場で、そして記憶が無いからこそいつも無邪気な笑顔をくれた。

 律が居たからこそ、この子を守らなければと強く思ったからこそ、凪の心はぎりぎりの所で完全に壊れずになんとか保たれていた。



「りっちゃん、大好きだよ」

「りっちゃんもおねーちゃんだいすき」

「……うん、ありがとう」



 この子だけは、絶対に守る。――何度やり直したって。








「うちの妹、本当に可愛くて良い子なんですよ!」



 そしていつの間にか、凪は他の村人からシスコンの行き過ぎたおかしな人間だと認識されるようになった。まともな思考で将来自分達を殺しに来る村人との交流など出来るはずもなく、だからこそ彼女はいつも変人の仮面を被ってその狂気を覆い隠した。へらへらと呑気に笑って「りっちゃん可愛い」と妹を溺愛して、表面上を必死に取り繕った。

 本当は叫びたくて、このまま狂ってしまいたくなるのを隠しながら。


 終わることのない繰り返し。もしこれがゲームだったら、正解があったのかもしれない。三択だったら三度やり直せば答えに辿り着ける。……だけど現実は、選択肢など存在しない。正しい答えなどなく、そして終わりがあるのかさえ分からない。



「いつ、終わることが出来るんだろう……」



 そんな日は、果たして来るんだろうか。







ーーーーーーーーーーーーーーーーーー







「ぎゃああああっ!」



 もう何度目か数えるのを止めてからどれだけ経ったか……その時の十月一日は、いつもとは違っていた。



「り、りっちゃーん!! どうしたの何があったの!?」



 朝早く聞こえてきた律の悲鳴に、凪はさっと血の気が引く感覚を覚えた。もしかしてもうおばさんがやって来たのかと真っ青になりながら妹の元に駆けつけると、頭を抱えていた律は衝撃的な言葉を口にした。



「私……前世思い出しちゃった……!」




 凪は一瞬、今までの繰り返しを全て思い出したのかと勘違いしかけた。が、そうではない。律曰く、この世界は彼女の前世でゲームだったというのだ。

 最初は意味が飲み込めなかった。だが話を聞いていくうちに、いくつも思い当たることが凪の頭の中に過ぎった。その中には凪が知らなかった事実もあり、村人のことも両親のことも、ようやく全てに理解がいったのだ。


 ゲームならば筋書きがある。正解がある。そして……終わりがある。終わりが見えたというだけで、凪の心は随分と救われたように思えた。



 そして凪は律の言葉に従って十月を進めていくことになった。半ば機械的に殺そうとしてくる村人を追い払い、金庫のヒントを探して、先生と親しくするように心がけて。

 いつもならば今にも発狂してしまいそうな十月も今回ばかりは違った。道筋が見える、律が助けてくれる。そのおかげで随分と心が軽くなり、順調に十月の半ばまで来ることができた。


 そう、あまりにも順調過ぎた。











「また、もう一度か」



 凪は真っ暗な闇の中で一人小さく呟いた。また死んでしまった。今度ばかりは上手く行くと思ったのに、あまりにも凪が順調に事を進めた所為で律から疑いの目を向けられてしまったのだ。


 金庫だってそうだ。凪は何度か繰り返すうちにとっくにあの金庫を見つけていた。そして何が入っているのか分からないそれを、いつかは開けられるだろうかと一つ一つ番号を試していたのだ。

 今回は開けられなかった、だけど次は開けられるかもしれない。そうやって期待して、少しでもその繰り返しに意味があったのだと思いたかった。そうしてダイヤルを回し続け、そして今回のヒントで一つの番号が判明した。だから後は今まで試していないパターンで、かつその番号を含むようにダイヤルを回し……そして、扉は開かれた。

 だが結局それが余計に律の不信感を煽り、そして飛び出して行った律を庇って凪は死んだ。



「……次こそ、絶対に上手くやらないと」



 また同じように律に記憶があったら、今度は凪のことを伝えてみた方がいいだろうか。それだけ失敗しても上手く行かないのだと余計に絶望させるだけだろうか。


 結論はまだ出ないが、考える時間は十年間もある。今度こそ絶対に、二人で生き残ってみせる為に、凪はまたやり直す。



「りっちゃん……お姉ちゃん、頑張るよ。まだ頑張れる」







ーーーーーーーーーーーーーーーーーー







 凪が目を開けると、目の前には両親の写真が――無かった。



「……え?」

「お姉ちゃん!!」



 すぐ傍で大粒の涙を流していた妹は……十一歳の姿のままだったのだ。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ