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1 選択肢なんていらなかった


「ぎゃああああっ!」



 十月一日、午前六時。方丈凪ほうじょうなぎの朝は妹の叫び声で始まった。








「り、りっちゃーん!! どうしたの何があったの!?」



 隣の部屋から聞こえてきた大切な、大切な、大切な! 妹のただならぬ声に飛び起きた凪は、慌てて隣の部屋に向かう。

 すぐさま彼女が妹の部屋に飛び込むと、そこには十一歳になる妹、方丈律ほうじょうりつが頭を抱えたままベッドに蹲っていた。日頃から体の弱い年の離れた妹に何があったのかと凪が駆け寄ると、律は涙目になって顔を上げ声を震わせて姉を呼んだ。



「お、お姉ちゃん……」

「どうしたの!? ゴキブリでも出た!? 悪い夢でも見た!? りっちゃんが怖いものは全部お姉ちゃんがやっつけてあげるからね!」

「……え、っと……その」

「りっちゃん?」

「……お姉ちゃんの名前って……方丈、凪だよね?」

「うん? そうだよ」

「それで私は……方丈、律」

「可愛い可愛いりっちゃんだよ? ……はっ、もしかしてりっちゃん記憶喪失になっちゃったとか!?」

「違う! 違うけど……」



 何か言いにくそうにしている律はもじもじしながら視線をあちこちにやっていたが、やがて縋るように凪の服の裾を掴んだ。

 大きく息を吸い込んだ後、彼女は意を決したようにその口を開く。



「私……前世思い出しちゃった……!」







 □ □ □ □ □







 『厄災の村人』というノベルゲームがあった。

 山奥にひっそりと存在するある村では、十年に一度村人の誰かに呪いが掛かる。

 全ての厄を背負ったその人を一か月の間に殺さなければ、村中にその厄災が降りかかることになるだろう。

 村には、そのような言い伝えが密かに伝わっていた。


 主人公とその年の離れた妹は突如その呪いに掛かることになり、十月一日を境に村人から命を狙われるようになる。 

 時に包丁を向けられ、猟銃で狙われ、車に轢かれそうになりながらも、姉妹は呪いの真実を探り、生き残る為に抗っていく――







「……っていうことなんだけどね。そのゲームが昔、というか私の前世にあったの」

「うんうん」

「……お姉ちゃん話聞いてる?」



 二人には少し広いリビングのテーブル越しに向き合うと、律は真剣な表情で突如頭の中に降ってきた過去の自分の記憶を話し出す。……が、目の前の姉はというと、うんうんと相槌は打っているものの終始にっこにこと微笑んで律を見ていた。



「聞いてるよ。聞いてるけどりっちゃんの寝癖がぴょこってなってるの可愛いなあって」

「……ああもう真面目に聞いてよ!! 前世とかおかしなこと言ってるのは分かってるけど、ほんっとに大事な話なんだから!」

「りっちゃん、あんまり大声出すとまた体に響いちゃうよ」



 怒鳴り出す妹にも凪の態度がぶれることはなく、少々心配そうに妹の体を気にし始める。

 凪と律はたった二人の姉妹だ。両親が十年前に亡くなってから、まだ当時一歳だった妹と七歳だった凪は近所の人々の手も借りながら頑張って生きてきた。

 そのため唯一の家族である律は、凪にとって目に入れても痛くないほど可愛い可愛い大切な存在だ。体は弱く儚げな見た目とは裏腹にしっかり者の律は凪の自慢の妹で、そんな妹をひたすら周囲に自慢すること十年……今では周りがどん引きする程のシスコンと化していた。



「とにかく! その主人公っていうのが方丈凪、つまりお姉ちゃんなの!」

「私が主人公?」



 跳ねる前髪を押さえながら叫んだ妹の言葉に、凪はきょとんと目を瞬かせて首を傾げる。



「こんなに可愛いりっちゃんを差し置いて?」

「私も登場するけど、ともかくお姉ちゃんがそのノベルゲームの主人公なの! だからっ、お姉ちゃんと私はこれから一ヶ月間、他の人達に命を狙われることになるの!!」



 感情を爆発させるようにそう言った律は、そこまで口にした所で耐えきれなくなったかのように両目からぼろぼろと涙を流し始めた。それを見た凪は血相を変えて律に駆け寄り、おろおろしながら妹の頭を撫でる。



「り、りっちゃん泣かないで」

「っ、泣くよ! だってあのゲーム難易度おかしいもん! 一つ選択肢間違えただけですぐに死ぬもん! ほぼほぼクリアできる見込みないもん!」

「……うん、分かったから。落ち着いて深呼吸しよう? 苦しいでしょ」

「……っ」



 何度もしゃくり上げる妹を抱きしめた凪は落ち着かせるようにぽんぽんと優しく背中を叩く。苦しげに嗚咽を上げる律は昔からいつも抱きしめてくれた姉のぬくもりに、やがて少しずつ落ち着きを取り戻していった。



「お姉ちゃん……」

「大丈夫、大丈夫だからね」



 律が顔を上げると、そこには安心させるように微笑む姉の顔がある。いつもいつも頭のネジが外れたようにおかしな姉だが、それでも律にとっては姉であり母でもある唯一の家族だ。そんな彼女の顔を見ていると、いつの間にか律の涙も止まっていた。



「……あのゲームのエンディングの殆どはデッドエンドで、二人とも生き残れるルートはひとつしかないの」

「ひとつはあるのね?」

「うん。でもすっごく難しい……と、思う。私だってそんなに細かく覚えてる訳じゃないし」



 涙を拭った律は一度気持ちを切り替えるように深呼吸をすると、「まず、そもそも村の呪いっていうのは嘘なの」と話し出した。



「嘘?」

「嘘っていうか、えっとね……村長が勝手に呪われているって人っていうのを決めて、それを信じた人達が殺しに来るだけなの」

「……なんでそんなことを?」

「うーん……確か、村にとって都合の悪い人を合法的に……いや合法でもなんでもないんだけど、とにかく呪いって名目で村人に邪魔な人間を排除させようとっていう魂胆だったと思う」



 律が言うには、それはこの村で大昔から行われていたことだという。だが真実を知るのは代々伝えられる村長だけで、昔からこの地に住む村人達は本気で呪いを信じている。特に老人や信仰心が強い人々は、呪いが掛かった人間を殺さなければこの村が危ないと、本気で殺しに来るのだ。

 仮に今の村長が良心の呵責を覚えてこれを止めようとしても、呪いを信じた人間はそれに納得しない。しかし呪いなどないと告げれば今まで代々の罪が全て露見してしまう。止めるに止められず、この呪いはずっと村を蝕んでいるのだ。


 普段は優しい人間も十月になればころりと態度を変えて殺しに来る。むしろ呪われているのはそっちの人間だ、と律はため息を吐いた。



「そっか、じゃあそのゲームではどうやって生き残ったの?」

「……お姉ちゃん、信じてくれるの」

「もっちろん。りっちゃんが言うことだもん、当たり前だよ」



 へらっ、と深刻な話とは裏腹にいつも通りの笑顔で笑いかけて来る凪に、律はこの姉が自分に甘いことに今までの人生の中で一番感謝した。この姉でなければ普通はこんな話、妄想や作り話と片付けられたことだろう。



「えっとね……とりあえず一番大事なのは、殺そうとしてくる人達から逃げたり選択肢を間違えないようにして生き残ることなんだけど」

「うん、選択肢とかはよく分かんないけど、殺されないように頑張ればいいんだよね?」

「軽く言ってるけど、これが一番難しいんだけど……」

「後は?」

「後はこの呪いの正体を知ること……これはもう分かってるからいいとして、それで今までの殺人の証拠を見つけることと……あ」

「どうしたの?」

「……あのさ、お姉ちゃん。落ち着いて聞いて欲しいんだけど……十年前、お父さん達が事故で死んじゃったよね」

「うん、りっちゃんはまだ一歳だったから覚えてないと……ん? 十年前、って」

「お父さん達が死んだのは、事故じゃなかったの。今の私達と同じように、他の村人に殺された」



 今までの話を聞いても終始微笑んでいた凪の表情が、その時ばかりは驚愕に変わった。



「……そう、だったんだ」

「お父さん達は偶然村の人達の話を聞いてしまって、今までの殺人の証拠を集める為に動いていた所を呪いと称して殺された。……その証拠が、まだうちの中に残ってるの」

「え?」

「私達を呪いに選んだのも、もしお父さんが話していたら困るから口封じの為だったはず。

それでその証拠は、地下室の……どこだっけ、探せば見つかると思うけど、とにかく金庫の中に入ってる。……けど、流石に番号までは覚えてないの。ごめん」



 家や村のどこかに隠されているらしいが、そこまでは覚えていない。律がそう言って謝ると、凪はいつの間にか笑顔を取り戻して律の頭をぐりぐりと撫で回した。



「もう、りっちゃんが謝ることなんてないの。証拠は探せばいいし、適当に回してたら案外さらっと開くかもしれないよ?」

「そんな楽観的な」

「暗い表情してたら可愛い顔が台無しだよ? ほら、笑って笑って」

「……はあ、もういいよ。お姉ちゃんに何言っても無駄な気がして来た。それで、後は……御倉みくら先生に味方になってもらうことかな」

「御倉先生に?」



 御倉先生とは、体の弱い律の主治医でありこの村唯一の医者だ。いつも穏やかに微笑んでいる初老の彼は見た目通りの優しい人間である。



「私達だけじゃ村からも出られないし、車がいるの」

「ああ成程ね。先生は大丈夫なの? 殺そうとしない?」

「先生は事情は知ってるけど、殺そうとはしないはず。あんまり仲良くないと告げ口される可能性はあるけど、ゲームでは一定の好感度があれば協力してくれるように……あ」

「りっちゃん!? 大丈夫!?」



 その瞬間、いつもあまり健康的とはいえない律の顔色が更に悪くなった。「一番やばいの忘れてた」とぼそりと呟いた彼女は、ぎぎぎ、と音がなりそうな動きで心配そうな顔をしている姉を見上げた。



「……お姉ちゃん、お隣の村井さんと仲良くなかった?」

「村井さん? うん、いっつもりっちゃんの話しまくってもにこにこして聞いてくれるし」

「あの人だけは駄目! 一番やばい人!!」

「ん?」

「このゲームで一番厄介なヤンデレストーカーだから!」



 目一杯力を込めて律が叫ぶ。それを聞きながら、凪はお隣の村井という名の男を思い出していた。

 凪の四つ年上の彼は高校を卒業後、自宅でプログラマーとして仕事をしている人の良さそうな顔立ちの男だ。よく凪とも話し、他の村人が早々に逃げだそうとする妹自慢もずっと聞き続けてくれる。



「あの人はお姉ちゃんのことが好きで、他の村人の好感度が一定以上になると登場してその村人とお姉ちゃんを殺そうとするの!」

「え」

「もうどのルートでも出っ張って来ては妨害するお邪魔キャラで、更に言えばあの人のルートが一番やばい」

「やばいって?」

「お姉ちゃんの為に私も含めた村人全員皆殺しルート」

「アウト」

「うん、間違いなくアウトだよ。ちなみにそっけない選択肢を取り続けるとそれはそれでまたヤンデレが発動して心中ルートになったような……」

「……当たり障り無く?」

「そういうこと。先生の好感度は上げないといけないから上手く回避しないといけないけど……」



 そこまで言って、律は酷く疲れたように肩を落とした。

 改めて課題を口に出すとそれらを全てこなすことがどれだけ大変なことか、嫌でも思い知らされた。それもこれはゲームの中ではなく現実だ。やり直しができるものでもないのである。たった一度で、失敗は許されない。


 失敗したら、死ぬ。似たような世界だったらと考えても、二人の名前も十年前に両親が死んだことも、そして村人だって同じだ。偶然だと軽く考えてあっさり殺されたら元も子もない。


 言葉にならない程のプレッシャーと不安が小さな体にのし掛かり、律はふらりと倒れそうになった。しかしその瞬間、律は両肩を掴まれてその体を支えられた。



「りっちゃん、大丈夫!」



 倒れそうになった律を支えた凪は、大事な妹を安心させるように力強く笑いかけた。



「りっちゃんのことはお姉ちゃんが守るよ! 心配しないで、お姉ちゃんこれでも強いから!」

「強いとか、それでどうにかなるような――」



 どん、と自信満々に胸を叩いた姉に律が反論しようとした時、その声を遮るように玄関のインターホンが鳴った。「はーい、今行きまーす」と声を上げて離れていく姉の背中を見送っていると、律は不意にとんでもないことを思い出した。


 このゲームの始まりは十月一日、つまり今日からだ。そしてオープニングを終えて一番最初に起こるのは――。



「お、おばさんトラップだ!!」



 朝、方丈家を尋ねてくるお向かいのおばさん。そしてその時に三つある選択肢のうち正解を選ばなければ早速殺される。所謂初見殺しと呼ばれるものだ。



「お姉ちゃんが危ない!!」



 すぐさま律が玄関へと向かうと、姉は既に向かいのおばさんと挨拶を交わしていた。お裾分けだとタッパーを差し出して来るそれは、受け取っても断っても死亡フラグが立つ。回避するには最後の選択肢「良いお天気ですねーと空を見上げる」を選ぶ……ことによって足下の石に躓いて突き出される包丁を偶然避ける、である。


 しかし凪は律が止める間もなく、既にタッパーを受け取ろうと手を伸ばしていた。そしておばさんはその隙に、隠し持っていた包丁をすらりと取り出して凪に向けて突き出そうとしていたのだ。



「お姉ちゃん!」



 間に合わない。包丁の切っ先は姉の胸に吸い込まれるように動き――








 その数センチ手前で目に追えない速さで叩き落とされた。


 他ならぬ、にこにこと微笑んだままの姉の手によって。



「あれ? 包丁までお裾分けですか?」

「ひ……い、いやあの……」

「それはそうと今日もうちの妹が可愛くて可愛くて仕方が無くてですね、寝起きで前髪がぴょこっとなってて……」

「ああもうおばさん行かないと! それじゃあ!」



 命を奪われそうになったにも関わらず笑顔で妹自慢を始める凪に薄ら寒い恐怖を覚えたおばさんは、早口でそう言ってあっという間に目の前の家に逃げ込んで行った。凪の足下には相変わらず包丁が落ちており、落下の衝撃か彼女の手刀の所為か、刃が真っ二つに折れている。



「あ、りっちゃん。おばさんからお裾分け貰ったよー」

「……あれ、意外と何とかなる……?」



 先ほどまで感じていた絶望を最大風速でぶっ飛ばして行った姉に、律はそう呟くしかなかった。


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