海の見える坂道 02
「お父さん、明日、そっちの家に行ってもいいかな?」
「あー、良いね。一緒に、釣りでもするか?」
父は、どこまでも、マイペースな人だ!
「なんで、こっちに来るんだ?とかないの?」
「えっ?、おまえがこっちへ来るの久しぶりだから、つい。」
「何かあったのか?」
「取ってつけたみたいに、言わないで。まあ、何もないけど。」
「市場で、うまい魚でも買って、待ってるから」
「うん。」
と、昨日の夜、連絡し、今、都心から少し離れたこの海辺の町の駅にやってきた。バブル全盛期と父が言っていたことがあったが、30年ほど前、祖父が選んだマイホームの場所だ。私も一時期住んでいた10年前当時とほとんど変わりない街の風景に、ほっと、息を吐く。
「いいなあー。カモメが鳴いてる。」
「トンビも飛んでる。」
「まだ、暑いけど、夕暮れには、海風が吹いてきて、気持ちいいのよね。」
東京、豊洲の高層マンションで、私は、母と弟と3人で生活している。父だけが、この街で、やりたかった物書きとしての第二の人生を歩みながら、祖母と二人、ゆったりとした時間を送っている。と言っても、実際は、締め切りに追われ、編集さんが日参する中での生活なのだから、のんびりかどうか、あやしいものだ。でも、この街でしか、感じられないものがあるのだろう。
そして、わたしは、忘れていた。
この街が好きだった。
いや、この坂道が好きだった。
父の住む家は、都心から少し離れた、海辺の街にある。都心へと繋がる路線の駅の西口をでて、まっすぐに伸びている駅前の道を歩いていくと急に視界が開け、明るい太陽の光がさす坂道の両側には、形よく刈り込まれた金木星の街路樹があった。春と秋、一斉に咲きだすころは、甘い香りで私たちを出迎えてくれる。そして、遠くの海を見ながら坂道を下ったところに父の住む家があるのだ。
10年前に、一度この街に引っ越してきた。都心の小学校へ通っていた私は、駅を利用するようになって、初めて丘の上に駅があることを知った。いつも、車で祖父母の家にに行っていたので、駅を意識したことがなかったのだ。
初めは、母が一緒についてきてくれたが、1か月経つころには、一人で大丈夫だろうと言われ通いだしたけど、実際は、2年生だった私は心細くて、行きは、小学校のある見慣れた駅で降りるため良いのだが、都心を離れた新興住宅地の駅はどれも特徴がなく、駅の表示板を一駅一駅、確認しながら乗っていた。駅に降りて、西にまっすぐ伸びた道を歩き、坂道のところで海が見えると、ほっとしたものだ。
そのころには、太陽は傾いて、海を照らす光はオレンジ色に輝いていた。と、同時に坂道も眩しく輝いている。それは、幼い私が、必死で通っていることへのご褒美なんだと、小学生の女の子が王子様にあこがれるように、大切な一人だけの秘密と、輝く海と眩しい坂道を毎日、眺めていた。
でも、それは長く続かなかった。季節はめぐり、太陽が坂道を照らすことはなくなって、駅に着くころには、一番星が出ているようになったころ、私は、母と弟と、豊洲のマンションに戻っていった。大人の事情は、子供には解らなかったが、学校は近くなり、友達とも遊ぶ時間ができた私は、元の生活にすぐ戻り、坂道の風景を忘れていった。
「おじゃましまーす!」
「いらっしゃい。」
にっこり笑って、父が出迎えてくれた。
「今日は、締め切りに追われてないの?」
「あー、さっき最終稿をメールしたから、明日までは時間が取れる。」
「良かった。釣り、行く?」
「おじゃましまーす。いらっしゃい。なんだか、親子のあいさつじゃないけど!」
祖母が、冷やかすように言った。
「おかえり。まな。」
「美味しいものは、作れないけど、新鮮な魚がごちそうね。たくさん用意したから、どんどん食べて」
「ありがとう。おばあちゃんの料理は、みんな美味しいよ。」
「かあさんなんか、いっつも、コンビニ弁当だよ。しかたないけど。」
「和ちゃん、仕事、頑張ってるんだね。」
「まあね。ゆうすけも、わたしも、自分のことは自分でやるから、何とかなってるんじゃないかな。」。
父は、私と祖母の会話を、ただ黙って聞いていたが、「そろそろ、行くか」と磯釣りにでかけた。港の堤防から糸を垂れて、ボラやアジなどがかかるのをじっと、待つだけのことだが、釣れた時の快感はたまらない。釣り糸を垂れて、ほどなく、父が
「今日は、何か話があったんじゃないか?」
「うん、いま、進路のことで迷っていて。」
「ねえ、父さんは、母さんと離れて暮らしていても良いの?」
「うーん、家族として考えたら、良くはないんだろうけど、パートナーとして母さんのことを大切に思ったら、やりたい仕事を見つけて頑張っている母さんを応援したいからね。」
「そう。かあさんと会話してる?」
「この間の作品、読んだよ。君は仕事どうなの。とかメールでね。」
「どうしたのさ、急に?」
「わたし、大学はアメリカへ行こうと思っているの。」
「でも、ゆうすけ、中学生だし、母さんも愚痴をいえる相手がいなくなっちゃうし…」
「家族が、ばらばらで、うちって、大丈夫なのかなってさ…」
「君が、そんなことを考えてくれていることが、家族を一つにまとめることになるのさ。」
「父さんと、母さんだって、離れて暮らすこと大丈夫かなって思ったよ。でも、母さんの人生を大切に思ったから、今の気持ちを素直に伝えあうことって、離れて暮らすときに、約束したんだ。相手を思いやる気持ちがあれば、ばらばらになることはないと思うよ。」
「母さんだって、君の決断を応援するはずだから、はやく、伝えてやってくれ。」
祖母が張り切って用意したごはんは、タッパーに詰められて、紙袋の中へ。
「ゆうすけ、喜ぶね。」
夏休みに来てから2か月も来てなかった私が来ると張り切っていた祖母は、残念なことを顔に出さずに、「また、おいで」と、送り出してくれた。
帰り道、丘の上で立ち止まり振り返ったわたしに、神様がご褒美をくれた。
坂道は、眩しく光り、これからの私の冒険を祝福してくれているようだった。
海はオレンジ色に染まり、一瞬、波の音が聞こえてきたような気がした。
最後まで、お読みいただきまして ありがとうございました。
よろしければ、「海の見える坂道」の朗読をお聞きいただけませんか?
涼音色 ~言ノ葉 音ノ葉~ 第14回 海の見える坂道 と検索してください。
声優 岡部涼音が朗読しています。
よろしくお願いします。