100円ショップの店員さんとその娘
ふと感じたこの孤独感を綴ろうと思う
学校の帰り道、立ち寄った100円ショップでのことだ。
母親と思しき店員さんが、女子高生と話をしていた。
娘がお小遣いをもらいながら、遊びで遅くなるかも知れないと話をする。
これは紛れもなく一般的な母と娘の日常である。
こういったものを目にすると、ふと他人の世界。
いわば我々の日常に一見、内包されたかのような機械的、普遍的事実が、
実はちっぽけな個人の日常に隣接した特殊、日常の一コマに過ぎないと教えてくれる。
例を挙げるのであれば、夜中の電車から見える無数の灯りこそ相応しいであろう。
誰もがそれらに対して美しいとは違う感情を抱いたことがあるのではなかろうか?
悲しみや寂しさに似た水色の感情をである。
世界は決して個人のために回っていない。
自分という存在が消えても歩みを止めることは決してない。
おそらく一生理解することのないであろう。
この小さな灯りを我々は愛おしく、また名残惜しく感じるのかも知れない。