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4.イブキのメモワール➃



 4.イブキのメモワール➃




 気づけば、もう朝になっていた。

 夢の中ではほんの一瞬だったが、もう八時間も経過していた。

 一度眠ったおかげか、練の頭の中を支配していた悩みも少しは解消されたような気がした。しかし、学校にいけばイブキに出会う。一体どんな顔をしてイブキに会えばいいのか。今度もまた助けてくれよ、なんて気軽に言うのも躊躇われた。会いたくはないが、会わなければ自分の命に関わる。

 どうすればいいのかを考えながらも、空腹と習慣には勝てなかった。ご飯を食べて学校に行く。これは幼稚園の頃からずっと続く練の、または学生の習慣。ただそれも、時と場合によっては早くもなるし、遅くもなる。今日は前者だった。頭が妙に冴えて、二度寝もできないくらいだった。

「あら、今日はいつもより早いわね」

「まあな」

 食卓に座ると、すでに妹の鞠がいた。食パンに一生懸命バターを塗っているが、あまり上手くない。手に何度もバターをくっつけ、それを拭きとっては、またバターをつける。それを繰り返している。

「へったくそだなあ」

「おにいやだ! 早く学校いけ!」

「はいはい……」

 朝っぱらから鞠をからかって楽しむ。どんな些細なことでも必死になって怒る所がかわいいが、朝からからかうのは流石に可哀想だったかな、とちょっとだけ後悔した。しかし鞠のおかげで、こうして家族と一緒にいることを感じることが出来る。

 ――もし、俺が死んだら、三人はどうするのだろうか。

悲しみに暮れ、毎日のように涙を流すのか、それともまるで自分の存在などなかったかのように忘れ去られてしまうのか。

 俺がイブキのことをすっかり忘れたみたいに、何もかも、忘れて……。

「どうしたの?」と母親が手の進まない練を見て言った。

「なんでもない。ちょっと風邪っぽいだけだ」

「そう。レンがそういうなら……無理しないでね」

「おにいなんて風邪になって、いんふるえんざになって、のろういるすになればいいのに!」

「風邪引いてインフルエンザになったのは鞠だろ。アイス食べ過ぎて、風邪引いて、インフルエンザになった。普通こんな寒いのにアイスなんか食べないぞ」

「う、うるさいもん! おにいなんかもう知らない! ふん!」

 バターを塗り終えたパンを咥えて、テレビとソファのある居間に行ってしまった鞠。

 俺のことなんか知らない――か。

 練は自分だけが誰からも忘れ去られてしまった時のことを考えた。もし、イブキの記憶がなくなってしまったのが練ではなく、家族や友人だったら、イブキはどう思うだろうか。どうしようと考えるだろうか。

 もし、鞠の記憶が消えてしまったら、悲しい気持ちになるだろう。どんなにからかっても、練にとって大事な家族だからだ。そしてきっと方法があったら、どんな方法にでもすがるだろう。

「それじゃ、行ってくる」

 いつもより一時間くらい早い出発だった。それでも学校に行こうと思ったのは、なんとなく、他のことに気が紛れるかと思ったからだ。


 ちょっと時間が違うだけで、まるで世界がまるごと変わってしまったかのような感覚を味わっていた。いつもの見知った風景が、全く違う人間で構成されている。そこは自分が見慣れていないというだけでなく、向こうから見ても、自分という存在を認知されていないのではという錯覚を受けた。

 通学路にはほとんど人が居なかった。朝練を行なっている生徒達に比べれば遅すぎるが、部活動をしていないものにとっては早すぎる時間。

 自分だけが道を外れてしまったかのような孤独感。誰でもいいから知っている人間に会いたかった。

 学校の校庭、昇降口、廊下を渡って自分のクラスへと向かう。校庭には数人の生徒を見ることができたが、まだ校舎の中はシンと鎮まりかえっている。

 いざ自分のクラスについてみると、まだ誰一人として席についているものは居なかった。とりあえず自分の席に着くと、鞄を机の上に置いた。

 こんなことは初めてだった。いつも数人の集団がいるのに、今日は誰もいない。

 本でも読んで待つか。そう思った時、何かが教室に入ってきたのに気がついた。

「いつもより早いのね」

「……イブキか」

 長い髪が揺れる。銀色の光を放つそれは、朝の日差しに照らされて輝いている。

「イブキと名前で呼ばれると、周りの人達が勘違いするかもしれないわ。貝住と呼んでほしいわね」

 誰もいないのに呟くように言うイブキ。

「そう呼んでほしいならそう呼ぶよ。イブキ」

 まるで妹をからかうように言ってみた。しかしイブキは怒りを顕にするどころか、無表情のまま言った。

「私だけの時なら別いいの。でも、周りの人に勘違いされるのはよくない」

「ああそうかい。なら、そうするよ貝住」

 練がそう返しても、イブキは無反応だった。まるで練のいたずらには動じない。妹のような可愛げはイブキには全くなかった。まるで言葉も感情も伝わらない機械と話しているようだった。

「それでイブキ、どうしてこんなに早いんだ?」

「どうして、というのはこちらの台詞よ。私はいつも一番にこの教室にくるわ」

「へえ。それは知らなかった」

「でしょうね。あなたはいつも、最後から一番か二番くらいだから」

「それじゃあ俺が遅刻寸前みたいに聞こえるけど、そんなことはないぞ」

 イブキは自分の席に鞄を置くと、練の元へやってきた。

「あなたに言いたいことがいくつかあるわ。屋上まで来てくれるかしら?」

「屋上? 鍵が掛かっているはずだけど?」

「開けられるし、閉められるわ」

 イブキはそういうと、小さな鍵を練に見せた。





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