外伝16 四天王のギガース
夜の道を一路東へ走っていくと、ほどなくして雨が降りはじめた。
パラパラと降っていた雨が、すぐに叩きつけるような強い雨になっていく。
馬には俺と王子、春香とユーミが乗っており、俺と春香は自分のコートの中に王子やユーミを入れて馬を走らせる。
シエラは、自らの魔力で馬を造り、それに乗っている。全身鎧を着たままだが、不思議とバリアーのようなものに包まれていて雨を防いでいる。
雲が無ければ、そろそろ朝を迎えるはずだが、空はどんよりとした分厚い雲に覆われていて、稲光が幾度も走っている。そのたびにフラッシュライトのような強い光に目がくらみそうになる。
不意に道が渓谷に続いている。その入り口で一旦止まる。
道は、目の前の渓谷の底へと続いていて、ずっと奥に不気味な洞窟が口を開けているのが見える。
「この空気……。どうやらあそこの洞窟のようだ」
隣に来た春香と目を見合わせて、手綱を握りなおす。
その時、シエラがするどく、
「どうやらこの先は容易に進めないみたいね」
と言い、馬から下りた。
空を見上げると、そこに一人の男が浮かんでいた。
やせたオークのようだが、手に魔法使いの使う杖を持っている。
男は、
「俺はギガース。砂魔人様の四天王の一人だ。我が主、砂魔人さまの復活の邪魔はさせぬぞ」
といい、杖を振り上げた。
「フレイム・バズーカ」
その杖の先から巨大な火の玉が俺たち目がけて飛んでくる。
「散開!」
そう叫んで、バラバラの方角に逃げる。
さっきまで俺たちがいたところに落ちてきた火の玉が、巨大な爆発をする。その衝撃が大地と空気を、ビリビリと揺るがした。
「ぬははは! 逃がさぬぞ」
そういって、ギガースは杖をかかげる。
「フレイム・レイン」
天空から火の雨が降り注ぐ。……やばい!
俺は魔力を身にまとい、すぐに走って春香を抱き込んで、背中に魔力の壁を作った。
ガガガガッと衝撃が伝わってくる。
王子は? と思いながら気配感知を広げると、どうやらユーミのリュックから巨大なロボットアームが飛び出して、王子とユーミを守っているようだ。
俺の腕の中の春香が、右手の指先に魔力をこめギガースに向けた。
「サンダー・シュート」
短く詠唱をすると、その華奢な指先から稲妻がほとばしってギガースを貫いた。
「ぬご!」
変な声を出したギガースだが、効いている気配はない。火の雨は止まったが、周りの灌木に火が移ってしまい、あちこちでパチパチと燃えている。
春香が、
「さんきゅ! 夏樹!」
と言って立ち上がる。今のうちに……、春香と二人で王子の元へ駆けつけると、ユーミのロボットアームがぼろぼろになっていた。
おしりに火がついた王子とユーミが二人して、
「「あちっ。あちちっ」」
と走り回って、ぴょんっとジャンプするとおしりを地面にこすりつけた。
プスプスとおしりから煙がのぼるが火は消えたようだ。ユーミが使い物にならなくなったリュックを下におろした。「ううっ。……絶対に許さない!」とギガースをにらみつけている。
ギガースが、
「今の電撃はなかなかだったぞ? その術者から先に吹っ飛ばしてやろう」
と杖を春香の方に振り下ろした。
「させるかっ」
と剣を構えながら春香の前に飛び出した。
しかし、背後から春香の、
「きゃっ……、な、夏樹!」
と叫ぶ声がしてあわてて振り返ると、春香の足下に魔方陣が浮かんで、その姿がうっすらと消えていくところだった。
急いで手を伸ばすと、春香も手を伸ばすが、その指先から消えていく。
「は、春香ーっ!」
「な、夏樹ーっ!」
名前を叫ぶが、春香はそのままどこかへ飛ばされてしまった。
その時、空の高いところから、何かがギガースに突っ込んでいった。
「メテオ・ストライク!」
この声はシエラだ。
「ぐおおおおお」
吹っ飛ばされたギガースが、大地に激突する。
すたっと着地したシエラの身体が黄金色のオーラがまとっている。あれは竜闘気ドラゴニック・バトルオーラだ。
ガコンッと音がして、めり込んだギガースが飛び上がった。
「ふははは。まさかここに竜の眷属がいるとはな! どこまでも我らの邪魔をしてくれるな」
しかし、その声は俺の耳に入ってこない。心の中を後悔と怒りが煮えたぎっている。
頭上からギガースが、
「ふははは! さっきの女は、ランダムにどこかへ飛ばしてやったぞ? 今頃、地中とか深海じゃないといいな? ふはははは」
知らずのうちに全身から神力が漏れる。空気が、大地が振動する。
背後で王子とユーミが抱き合って、
「お、お兄ちゃん?」
と震え上がっている。
俺はきっとギガースを見上げ、
「貴様……。春香を……。どこにやりやがったぁ!」
地面を蹴り、ギガースに突きを放つ。ギガースの張ったいくつもの障壁をぶち破り、俺の剣が奴の身体を貫いた。
「ば、ばかな……」
俺はそのまま、左手でギガースののど笛をつかんだ。
「おい……。春香をどこに飛ばした?」
そういって左手に力をこめる。ギガースが苦しそうに顔をしかめる。
「ふっ。無駄だ。俺でさえ知らねえよ」
左手から神力を奴の身体に流し込む。奴の頭の情報をサーチしようとするが、それより先にギガースの身体にピシピシとヒビが入っていく。
「こ、この先に進もうと。もう砂魔人さまは復活するだろう! ……我が主よ。砂魔人さまよ! 我が身を御身に捧げます! ふははははは。この世に絶望を!」
叫び声とともに、奴の身体が崩れていく。……おい。ふざけんなよ。春香をどうしやがった!
塵となった奴を見下ろし、俺は虚空に叫んだ。
「はるかああぁぁぁ!」
――――
闇に包まれた洞窟の中で、突然、魔方陣の光が浮かび上がり、そこに春香の姿が現れる。
「な、夏樹ー!」
気がつくと、暗闇の中で、私は目の前の虚空に手を伸ばしていた。
あわてて手を引っ込める。どうやら、間に合わなかったようね。
まずは落ち着かないと……。
一人になってしまい、孤独の心細さと恐怖に体が震える。
まるで暗闇が、体のなくなった私に押し寄せてくるようだ。心臓が脈打っている音が妙に大きく聞こえる。
とりあえず、この暗闇をどうにかしないと怖くて仕方がない。
神力を目にめぐらせると、徐々に闇の中でも物が見えるようになっていく。
色を失ったグレーに染まった洞窟の中にいるようだ。……暗視ゴーグルって、こんな風に見えるのかしらね。
幅は3メートルほどでそれほど広くはない。洞窟のどん詰まりの小部屋の一つのようね。
震える声で、
「……まずは状況の確認」
とつぶやいて、周りの気配を探る。……近くに危険な生き物はいなさそう。
念のため、小部屋の入り口に結界を張ってから、部屋の中央で座禅を組んで、心の中に意識を集中するように、周りに気配感知を薄く引き延ばしていく。
私の心の中にある夏樹という神との眷属の絆が、温かい力を私に伝えてくる。暗闇の中でかじかんだように力の入らなかった指先にまで、力が蘇っていく。
その時、自然と夏樹のいる方向と距離がわかった。
思わず安堵のため息が漏れる。
「ふふ。これも私と夏樹の絆の力かな?」
意識をずっとその方向へ伸ばしていく。
む? いま何か、暗闇の中できらめいた?
あわてて杖を構えて、じっと何かが動いたところを注視する。……すごい。今の私でもうっすらとしかわからないけど、何かがいるみたい。
ふた呼吸ほどの時間をおいて出てきたのは、例の黒猫ちゃんだった。
暗視しているとはいえ、闇の中で二つの目がキランッと輝くのが見えた。
思わず脱力して、その場に座ると、そこへ猫ちゃんがトトトと駆け寄ってきた。
「もうっ。おどろかせて!」
と言いながら、猫ちゃんをすくい上げる。……でも、この猫ちゃん。どうしてここに? 私と一緒に巻き込まれたのかしら?
じいっと猫の目をのぞき込むと、ペロンッと鼻先をなめられた。
「きゃうっ」と変な声を出しながら、そっと猫を地面に降ろして立ち上がる。
そうね。こんなところで待っていても仕方ない。とにかく夏樹と合流しないと。……ふふふ。愛する夏樹のところに行こうと決意すると、不思議と勇気が心の中から湧いてくるみたい。
そう思いながら、私は猫と一緒に洞窟を歩き始めた。
――――
叫んだ俺の頬をシエラが叩いた。
「ぶほっ!」
衝撃が頬だけでなく頭に響き、一瞬、意識が飛びそうになった。
「ほらっ。そんなんじゃ。ハルカに呆れられるよ?」
膝に手をついて、頭を振る。……まだクラクラするが、一体、どんな力で叩かれたんだろう?
でも、確かにすっきりした。
シエラが、
「こういうときは冷静に、ね?」
という。そうだな。春香は俺の眷属になっているんだ。そうそう、手に負えないほどの危険に陥ることもないだろう。
俺はすっと目を閉じて春香の気配を探る。普段の気配感知より、もっともっと薄くのばしていき、かつ深く自分の心の中に潜っていく。
「……あっ」
見つけた! どうやら無事のようだ! この方向は……、ちょうど谷底に見える、あの洞窟の奥のようだ。
冷静さを取り戻した俺を見て、シエラがうなづいた。
王子とユーミもおそるおそる。
「ねえ、あ、あんた、もう大丈夫なの?」
「きっとお姉ちゃんは無事だと思うよ」
と近寄ってきた。……ははは。こんな子供まで怖がらせちゃったみたいだな。俺って、こんなに駄目な奴だったろうか。
俺は、
「王子。ユーミ。……すまん。怖がらせちゃったな」
とあやまった。王子が首を横に振って、
「ううん。大丈夫だよ」
と言うと、ユーミも明後日の方を向いて、
「ちょ、ちょっとだけ怖かったけど、ま、怒って当たり前よね」
シエラにも、
「もう大丈夫だ。ありがとう。シエラ」
というと、シエラは、
「ま、私の旦那様も同じようになるけどね。男の人の悪いクセなのかな? もっと自分の嫁さんを信じなさいって。……で、行くんでしょ?」
と笑った。
俺はうなづいて、
「ああ。春香はあの洞窟の奥だ。目的地も一緒だし、急いで行こう!」
と言って、洞窟をにらみつけた。
あの奥から春香の気配がする。どうやら少しずつ動いているようだ。
……待ってろよ。いま、すぐに行くから!