外伝13 湖畔ですごすひととき
今日は町を出て、湖のほとりにきている。
日差しは強いけれど、水面を渡ってくる風が心地よい。
テント用品のタープのように、細めの柱を組み合わせて日陰をつくり、その下にテーブルとイスを置く。
テーブルの側に鞘に入れたままの剣を立てかけ、アイテムボックスから二人分のグラスを取り出した。
今日の春香の服装は、シンプルな白のワンピースだ。美しい黒髪がつややかに輝いている。俺もそれにあわせて白のシャツにベージュのパンツにしている。
こうしてみると春香自身の素材の良さが、よく出ている。はっきり言おう。美人だ。春香と目が合うと、春香が含み笑いをした。
春香がアイテムボックスからアイスティーを入れた瓶を取り出して、グラスに注ぐ。
「はい。どうぞ」
「さんきゅ」
乾杯をしようと、グラスとグラスを軽くぶつけると、澄んだ音が響いた。
輝くような春香の笑顔を見ながら、グラスに口をつける。魔法で冷却したアイスティーが、少しほてった体に心地よい。
グラスをテーブルに戻して、二人で湖を眺める。
穏やかな一日。この湖は町の外だけれど、街道のそばで魔物もほとんどいない。見ると、街道を行く商人に混じって、数人の冒険者も憩いのひとときを過ごしているようだ。
「ようやく少し落ち着いたね」
「そうだな。戻ってきてから大変だったよな」
春香は頬杖をついて、
「でもまあ、ユーミも許してもらって、しかもお城の一角に研究室まで作ってもらったんでしょ?」
そうそう。太陽のオーブを取り返した俺たちは、ユーミもつれて城に戻ったんだ。
国王も驚いていたが、王城への襲撃で兵士に重篤な怪我もなかったし、城の修理のために二〇体もの人形を連れてきた。それに、なにより王子の強い口添えがあって、ユーミは許されたのだった。
その時の王子の必死な様子を思い出すと、口元がにやけてくる。
「……にやけてるわよ?」
春香に指摘されて、思わず口元に手をやりながら、
「春香だってにやけてるじゃん」
「うふふ。だって王子ったらすごい必死だったよ。……あれは将来楽しみよね」
「そうだな。それは否定しないよ」
なにしろ、王子がだだをこねたもんだから、お城にユーミの部屋が用意され、そしてユーミが科学者だということで研究室まで与えられたのだ。
しかも毎日、王子がユーミのところに入り浸っていて、ユーミも満更じゃなさそうだってんだから、二人がどうなるかは火を見るより明らかだろう。
将来、ルキウス王子とユーミが結婚したら、きっとこの国は魔法と科学の同居する国になるんだろうな。
ちなみにパペット・タウンにある元々のユーミの宮殿は、管理用の人形に任せ、遠隔通信で連絡をやり取りしているらしい。
そっと手を伸ばして、春香の左手を取って、なめらかな手の甲をさする。
おだやかな空気が二人の間に流れる。
「平和だな……」
「ん。でも幸せ」
そのまま顔を近づけると、春香も顔を近づけながらそっと目を閉じて……。
「あー! お兄ちゃんとお姉ちゃんだ!」
「あっ。今はダメだって!」
後ろから王子とユーミの声が聞こえたが、そのまま俺は春香に口づけをした。
背後からモガーっという王子の声がするが、きっとユーミに口をふさがれているんだろう。
唇を離してゆっくりと振り向くと、案の定、顔を真っ赤にしたユーミが王子の口を押さえていた。
笑いながら、
「ユーミ。もういいよ」
と話しかけると、ユーミは王子から手を離して、
「ちょっとは自重しなさいよ! 王子はまだわかってないんだから!」
春香がちょこんと首をかしげて、
「あら? だってユーミだって王子からしてほしいでしょ?」
ときくと、ユーミはわたわたと両手を振って、
「な、ななな。なにを言ってるの! 変なこといわないでよ!」
とますます赤くなりながら、焦っている。
一〇歳の王子に対して、ユーミは九歳。小学校4年生くらいの年だけれど、王子に恋心を抱いているのがバレバレだ。
王子がユーミの方を向いて、
「なんのことかわからないけど、ユーミ。ボクにしてほしいことがあったら、何でも言ってね! ユーミのことが大好きだし!」
と無邪気に言うと、ユーミは、
「あ、あわわ……」
と言いながら、頭からプシューと湯気をのぼらせた。
「「ははははは」」
俺と春香が笑うと、王子がきょとんとした表情で、
「あれ? なにかおもしろいことがあった?」
と不思議そうに見ている。
とりあえずイスをさらに二つ用意して、二人にもアイスティーをすすめた。
おいしそうに飲んでいる王子に、
「王子。どうしてここに?」
ときくと、王子が「え、え~と」と言いよどんでいる。
となりのユーミがぼそっと、
「勉強をさぼって抜け出してきたのよ」
と言う。……おいおい。それはダメじゃないか。
俺が何かを言う前に、春香が、
「王子。だめよ? ちゃんと勉強しないと。将来、この国を守る王様になるんでしょ?」
「う、うん。わかってるよ。……わかってるんだけど」
「それに、ユーミにも嫌われちゃうわよ?」
王子はがばっと顔を上げて、
「それは嫌! ね、ユーミ、嫌いにならないで!」
とユーミの手を握った。ユーミが突然のことで「ちょ、ちょっと」と言いながら、王子に迫られて顔を赤らめている。
俺は微笑みながら、
「王子。大丈夫。しっかり勉強すればユーミも王子のことを好きでいてくれるよ?」
というと、王子は、
「本当? ……うん。ユーミ。ボクがんばるよ」
といって、ようやくユーミの手をはなした。
落ち着いたところで、ユーミが、
「そういえば、寝ているルキウスのお母さんに会ったんだけどさ。ちょっと不思議な状態よね?」
おや? 俺たちはまだお会いしていないんだが。
春香が、
「そう? 私たちはまだ会ってないから……。で、どんな風に?」
とききかえす。ユーミは少し考え込んで、
「なんかね。そこにいるんだけど、いないっていうか。息はしてるんだけど、中身がないというか……」
とよくわからない説明をする。
春香も要領を得ないようで、
「そう……」
とだけ言うと、王子が、
「一〇年間、ずっと寝ているんだ。……いつかお母さんとお話ししたいけど、みんなもガマンしてるから」
その時、俺たちの背後から、
「あら? 私に会わせてくれないかしら?」
という声がした。
春香と二人でがばっと振り返ると、そこにはローブをきた美しい銀髪の女性パティスがいた。
あわてて立ち上がり、
「パティスさん!」
と言うと、パティスさんは微笑みながら、杖で地面を軽く叩く。そこから土が盛り上がり、自動的に固くなって石でできたイスになった。
それを見た王子とユーミが目を丸くしている。
パティスは、
「王子。はじめまして、ですね。私はパティス。この二人の師匠といったところかしら?」
と自己紹介すると、王子が元気よく手を上げて、
「よろしく! こっちはボクのお友だちのユーミだよ」
とユーミを紹介する。
パティスは微笑みながら一礼し、
「王子。それでさきほどのお話ですが、なにか力になれるかもしれません。母様と会わせていただけませんか?」
と申し出た。
「お兄ちゃんとお姉ちゃんの先生なんでしょ? うん。わかった」
とうなづいた。
……この世界のことを熟知したパティスさんのことだ。本当に王子のお母さんを目覚めさせることができるかもしれないね。
そっと春香の方を見ると、春香もうなづいている。
「王子。さっそく案内してくれるか?」
そういって立ち上がった。
――――
王子の案内で、俺たちは王城の奥まった一室に来ている。
大きなベッドに、王子のよく似た一人の女性が眠っていた。
王子がトコトコとベッドのそばまで近寄っていき、寝ている女性の手を握りしめた。
「お母さん……」
春香が、つぶやく王子の頭を優しく撫でる。
ベットの中で眠り続ける女性。かすかに上下していることで、生きていることがかろうじてわかる。食事はどうしているのかとか疑問はつきないが、魔法の力でどうにかなっているのだろう。
パティスが女性の顔をのぞき込んで、
「なるほど」
と小さくつぶやく。
「何かわかりました?」
とたずねる。みんなの視線がパティスに集まる。
「王子。……あなたの母ロザリーの魂はここにはありません」
「「「え?」」」
パティスが懐から水晶玉を取り出した。魔力を水晶玉にどんどん流し込んでいき、パティスの額に第三の目が開いた。
おどろいて見ていると、パティスは水晶玉から目をそらさずに、
「10年前。砂魔人がこの国を襲ったとき、ロザリーは火竜王ファフニルの力を借りて、自らの聖女の魂を使って魔人を封印したのです。……おそらく今も、どこか封印の地で魔人を封じ続けているはずです」
それを聞いたユーミが、
「魂をつかって封印……」
とつぶやいた。
パティスが第三の目を閉じて、水晶玉をしまった。そっと微笑んで、王子の頭をなでる。
「ロザリー王妃は、この国を愛していたのです。そして、生まれたばかりの王子を」
王子が顔を上げる。
「じゃあ、その封印の地にいったら、お母さんに会えるの?」
「ええ。……ですが、それは魔人をも復活させてしまう可能性が高いでしょう。ですから王子。お強くなりなさい。勉強と訓練を重ねて。そして、砂魔人を倒せるほどになりなさい。その時こそ、母親を解放することができるのです」
パティスの言葉を聞いた王子が下を向く。
「でも、ボク。今、お母さんに会いたいよ……」
春香がしゃがんで王子と目線を合わせる。
「王子。がんばろ。ね? がんばればそれだけ早くお母さんと会えるんだよ」
となりのユーミも、
「しょ、しょうがないから。私も応援してあげるし、協力してあげるわ」
と王子の手を握った。王子が顔を上げてユーミを見る。
「本当? うん。ボクやってみるよ」
その言葉を聞いた俺たちは、ほっと安心して、お城から出た。王子とユーミは、さっそく勉強の先生の所に向かった。
――――
自宅で、久しぶりにパティスと三人の夕飯をとる。
隠者の島でとれた魚介類を利用した海鮮リゾットにブイヤベースだ。
ローソクに照らされながら、ワインで乾杯をする。
それにしてもパティスのあの額の目は……。
そう思いながら見ていると、パティスが、
「あら? どうしたの? そんなに見つめていたら、奥さんに怒られるわよ?」
すると春香が、「あはは」といいながら頭をかいて、
「でも、私も気になっちゃって。あの額の目は?」
「ああ。二人は知らなかった? 私が最後の三ツ目族だって」
その言葉を聞いて俺は驚きの声を上げた。
「三ツ目族!」
あれって伝説とかオカルトの話じゃなかったのか。確かに中南米で発見されたクリスタル・スカルの一部に、額に第三の目のような穴があるものがあったが、三ツ目族の存在はオカルトか伝説の扱いだったぞ。
って、そうか。世界が違うからな。こっちの世界では実際にいたんだな。
感心するような声を出しながら、改めてしげしげとパティスの顔を見る。
不意に、俺の足に衝撃が……。
「ぐわっ! な、なんだ」
見ると、春香が鼻息を荒くして「ふんっ」と腕を組んでいた。
わかりやすく御機嫌ナナメなのよっていうのがわかる。自分だって気にしてたのに。……でも、むくれた春香を見ていると、そんなことは言えないよ。
パティスが、
「ははは。ほらね? 怒られた」
と笑った。
春香が、
「もう。見つめすぎ!」
とぶっきらぼうにいう。俺は頭を掻きながら、
「わりいわりい。っていうか。地球だったら三ツ目族は伝説だったからさ」
パティスが変な表情で、
「あら? そうなの? そんなことはジュンからも聞いたことがなかったわね」
「まあ、そんなに話すことでもないしね」
改めてスプーンでリゾットをすくって口に入れる。
うん。うまい。さすがは春香だ。
「うまい!」
とシンプルにほめると、春香が「えへへ」と笑いながら、
「まあ、わたしの味付けは夏樹用になってるからね」
とはにかんだ。
パティスが砂糖を吐きそうな表情で、
「……ごちそうさま」
と言った。
ははは。悪かったかな。そう思いつつ、
「それで、王子に言ったことなんですけど。実際に王妃を助ける方法ってあるんですか?」
「言ったとおりよ。魔人の封印されている場所を探し、そこで王妃の魂を解放するとともに魔人を倒すしかないわね」
春香がぐっと身を乗り出してきて、
「封印の場所って、パティスさんならもうわかってるんですよね?」
するとパティスさんは苦笑いしながら、
「……あなたたちも神力を広げればわかるはずよ? ここから東にある死の谷と呼ばれる不気味なところの奥。……だけど、危険な場所よ? あなたたちなら問題ないでしょうけど、王子は危ないわ」
「そうですか」
「それに封印に干渉するのには太陽のオーブが必要よ。将来、王子が力をつけて、火竜王の協力を得られれば、きっと魔人を倒せるでしょうね」
そう言いながらパティスさんはグラスを傾ける。
俺たちにできることがあったら王子に協力してやりたいな。あの王子に母親を取り戻させてやりたい。そう思う。
俺と春香は見つめ合い、うなづいた。
夕飯を終えたパティスは隠者の島に戻っていき、俺と春香はいつものように二人寄り添って眠りについた。