外伝1 元日本人の神様
本編から切り離しました。
どこまでもつづく光の回廊。
俺は今、幼馴染みにして妻の春香と一緒に光に包まれながら歩き続けている。
補陀落への道で、帝釈天からアムリタの霊水をいただいて神格を得た俺たちは、神通力の修業のために異世界へと旅立つことになったのだ。
ふと隣の春香が前を向いたままで、
「ねぇ。あなた。あとどれくらいかしら?」
ときいてきた。
「俺もわからないけれど……、え? は、春香? お前、若返ってるぞ?」
ここに来るとき41才になっていたはずだが……、今はどう見ても二十歳前後にみえる。
「えええ! あなたも若くなってる!」
驚いて振り向いた春香が、俺の顔を見て素っ頓狂な声を上げた。
俺は、えっ? と思いながら、自分の顔を触ってみた。……確かに、気持ち肌が柔らかくなっているような気がする。
春香がポケットからコンパクトを取り出して、自分の顔をのぞき込んだ。
「うわぁ。本当に若返ってる。……うれしいかも。ほら、肌もすべすべになってる!」
そう言って、春香は輝くばかりの笑顔を俺に向けた。
「はい!」
と言って、コンパクトの鏡の部分を俺に向けた。
その小さな鏡には、確かに大学生の頃の自分の顔が写っていた。思わずコンパクトを受け取って、しみじみと眺める。
「……これもアムリタの力か?」
色々と原因を考えようとするが、霊薬やら神のすることに合理性を求めるのは無理だろう。あるがままを受け入れるとしよう。
それにしても……。
俺はコンパクトを閉じて春香に返しながら若返った春香の顔を見つめた。
若々しい長い黒い髪が輝き、綺麗な瞳に瑞々しい唇。柔らかく白桃のようにうっすら染まった頬。
じいっと見ていると、春香が少し恥ずかしそうに、
「ちょ、ちょっと見過ぎだって。なんだか恥ずかしくなっちゃうわよ」
と小さい声で言うと、ぎゅっと俺に抱きついてきた。
俺の胸に頭をぐりぐりとすりつける。昔からの春香の照れ隠しの癖くせだ。小動物みたいに可愛い春香の頭をそっとなでる。
急に春香ががばっと顔を上げた。
「そうだ! 大学生の頃みたいに夏樹って呼ぶことにするわ!」
俺はしっとりとした春香の髪を撫でながら、
「じゃあ、俺も春香って呼ぶことにするよ」
と笑うと、春香が、
「青春が戻ってきたってわけね。にひひ。べったりと甘えるぞぅ!」
と、俺の胸でクスクスと笑い出した。
ちょうどその時、俺たちの足下が強烈に光り目がくらんだ。
「きゃっ」といいながら、春香がぎゅっと俺に抱きついてくる。俺も強く抱きしめながら、そっと、
「大丈夫だ。転移するぞ」
と腕の中の春香に声を掛けた。
――――。
光りが収まると、そこは不思議な白い空間だった。学校の教室のような四角い空間だが、机などの家具は何もない。
俺たちの目の前には、二十代半ばの男性と女性の姿があった。男性の方は日本人らしい黒髪、女性の方は美しい紫を帯びた銀髪をしている。
男性が両手を広げて、
「ようこそ。ヴァルガンドへ。ええっと夏樹さんと春香さんでよかったかな?」
と笑顔でそばに歩いてくる。
俺はうなづいて、
「はい。ええと……」
と言いよどむと、男性はにっこり笑って、
「ジュン・ハルノ。いや、日本にいた頃は春野純です。こっちは嫁のノルン・エスタです。堅苦しいのは嫌なので、ジュンさんとかノルンさんと呼んでください」
互いに挨拶を交わす。……この人が異世界の神になった元日本人か。
神様だから見た目と年齢は関係ないのだろうけれど、なんとなく俺よりも若いような印象を受ける。それに取っつきやすそうな性格のようだ。
微笑んでいるノルンさんが、美しい指をパチンと鳴らした。
すると床から白いソファのセットがせり出してきて、ジュンさんが「どうぞ」と言う。
日本人らしく礼を言って、春香と並んで座ると、その向かいにジュンさん夫婦が座った。
開口一番、ジュンさんが、
「いやあ。驚きましたよ」
と笑った。
「このヴァルガンドの管理を担当して、およそ10年ですけれど。まさかあの有名な帝釈天様からコンタクトがあるとは思ってもみませんでしたよ」
ああ。その気持ちはわかる。だって仏教の守り神、善神の代表格の帝釈天だよ? ……それに一つの世界の管理をしているとは、………気安くジュンさんと呼んでいるが、かなり神としての格は高いのではないだろうか? ちょっと不安になる。
そこへメイド服を着た猫耳少女がどこからともなく現れ、飲み物を配ってくれた。少女は一礼するとジュンさんの後ろに立ち、こちらを見て微笑んで隠れて小さくピースをしている。
ネコミミだ! 俺が春香の方を見ると、春香もがばっと俺の方を見て、二人同時にうなづく。
――ネコミミ、ヤッホッホー!
お互いに言いたいことは目を見ればわかる。……おいおい。春香さん。ちょっと鼻息が荒くなってませんか?
不意に向かい側のノルンさんが笑いをこらえられないように、口に手を当ててクスクスと笑い出した。ジュンさんも、
「ネコミミ。楽しみでしょ? イヌミミとか、エルフとか人魚もいますから、期待していてください」
とニコニコとしている。
「さてと、気を取り直してヴァルガンドの説明をしましょう――」
ジュンさんの言葉とともに、目の前にワイドスクリーンが浮かび上がり、世界地図が映し出された。
ヴァルガンドには四つの大陸があり、西北の大陸には魔法文化の発達したエストリア王国、その北にデウマキナとヴァージ大森林を挟んで尚武の国ウルクンツル帝国がある。東北の大陸には魔導工学の発達したアーク機工王国があり、その南の大陸にはノーム大砂漠が広がっているそうだ。
「魔法文化」とか「魔導工学」とか気になる単語がちらほらと聞こえてくる。ううむ。地球にはない技術体系、学者としての血が騒ぐ。
さら南の海上には、獣人たちとエルフの住むゾヒテ大陸があり、丁度、地図の真ん中に位置する島嶼とうしょ地方に海洋王国ルーネシアがあるらしい。
このほか、海底に人魚の国などがあるということだが、俺たちが行くのは東南の大陸、ノーム大砂漠の北部にある小さな王国だそうだ。
大砂漠の小王国。俺は幾度か砂漠の経験はあるが、春香ははじめてだ。隣でワクワクしているようだが、昼は暑く夜は寒いという厳しい気候だと思うぞ。
人種としては、人族や獣人、竜人族ドラゴニュートや魔族がいるらしい。この魔族だが、よくファンタジーでは敵として描かれるが、この世界の魔族は魔力の強い種族であって、対立関係にあるわけではないらしい。
文化レベルは、剣と魔法のある中世ぐらいをイメージしてもらうとわかりやすいとのこと。
俺と春香にしてみればファンタジーの世界に入り込むようなもので、隣にいる春香から、まるで旅行の前の日のように期待しているような雰囲気を感じた。
一通りの説明を終えたジュンさんは、配られた飲み物、紅茶を一口飲んで、
「お二人はこっちの世界で修業をしたら地球に戻るとのこと。だからこっちの世界でしか使えないユニークスキルとか、鑑定能力とかは無しです。その代わり、魔力といくつかの道具をお渡ししましょう」
そういってテーブルに並べられたのは、コートと水筒、肩掛けの鞄に二つの指輪だった。
どうやらコートは特殊なコートで、それを着ていると温度調節を自動的にしてくれるらしい。大砂漠に行く俺たちにはとてもうれしい機能だ。
水筒は飲み水が無限に出てくる不思議な水筒仕様で、鞄は4次元ポケットのように何でも入るマジックバッグらしい。
最後の指輪にも様々な機能が付加されており、指輪同士での通話や念話、それから病気や毒などを防ぐ機能、さらに自動防御機能として不意の攻撃でも自分たちの周りにシールドをはってくれるそうだ。
感心しながら一つ一つの品を手にとって眺めていると、ノルンさんが、
「まあこういった物は、神力の使い方に習熟すれば不必要になりますけどね」
と補足する。たしかにそうだろうね。でも今の俺たちには非常にありがたいアイテムだ。
ジュンさんが苦笑しながら、
「おそらく二人には護身の技術や戦う技術が必要になるはずです。こっちの世界ではステータスというものがあるので、そういった技術をスキルとして付与することができますよ。……まあ、このスキルは地球に戻っても有効になるので、とりあえず剣術、短剣術、弓術、体術をつけておきますね」
「スキルですか?」
「そうですね。地球では馴染みのないことですが、魂に込められた経験というか……。まあゲームのシステムみたいなものですよ。具体的にはお二人を指導する人を用意していますから、その方に教わって下さい」
そうか。指導してくれる人がいるのなら安心できる。なにしろいきなり異世界に放り込まれると、右も左もわからずに困惑したにちがいないよ。
さて、それからジュンさんから俺たちの装備品として、俺たちにシンプルな軽鎧、片手剣、ナイフ、スモールシールドに弓矢が手渡された。
つけ方がわからなかったが、その場でノルンさんが説明してくれたので、その説明のとおりに軽鎧と片手剣を装備する。
弓矢は別として、遺跡の発掘品のほかにこうした武具を見るのは始めただ。まだ真新しいこれらの武具を一つ一つ確認すると、じわじわとファンタジー世界に行くんだという実感がわく。
俺はお礼を言いつつ、
「そういえば、どうしてこちらの世界の神になったんですか?」
となにげなく尋ねてみた。
あれ? 返事がない……。
疑問に思ってジュンさんの方を見ると、どよ~んと暗くなってうつむいていた。
……きいちゃまずかったのか?
ちょっと焦あせる俺の耳に、ジュンさんのつぶやきが聞こえてくる。
「……屋久島に遊びに行くはずだったのに。前任者があれで。見事に思惑どおりに踊らされ、……あれもこれも、みんなあの人の策略で。自分らが物見遊山したいからって。俺らいなくても物見遊山してるってのに。それに……」
壊れたレコードのように、延々(えんえん)とぶつぶつしゃべり出したジュンさんを見て、俺は冷や汗をかいた。
あちゃぁ、これどうしたらいいんだ?
そこへ、ノルンさんがにっこりと微笑んで、
「大丈夫よ」
と言うと、どこからともなく取り出した白銀のハルバードを振り上げると、柄の部分でジュンさんを思いっきりたたき伏せた。
ガスッとものすごい音がして、ジュンさんが地面に叩きつけられた。
「ぐはっ」
といいながら、ジュンさんは何事も無かったように立ち上がって頭を振った。
ノルンさんがすごくいい笑顔でジュンさんを見つめている。それを見たジュンさんの顔が引きつっている。
……どうやらジュンさんは女房の尻に敷かれているようだ。
ジュンさんが頭をポリポリかいて、ため息を一つつき、俺と春香の方へ振り向いた。気まずかったんだろう。早口で、
「失礼。ちょっといろいろと思い出しちゃって。……そうそう。修業の方は、神力でこの空間に転移できるようになれば合格ですから、それまで頑張って下さい。
基本的に何してても構いませんが、神力を使いこなさないといつまでも地球に帰れませんから。それはよろしく。
……じゃあ、早速、砂漠に転移しますよ」
とつらつらと立石に水のようにしゃべる。
慌てて、
「ま、まってくだ……」
と言いかけた俺だったが、足下で魔方陣が光りはじめて、俺と春香を包み込んだ。
春香が俺の腕を握る。光の向こうから、
「あ、そうそう。言葉は通じるようにしてあるからね! がんばってね~」「ふふふ。楽しんでね」
というジュンさんとノルンさんの声が聞こえ、俺たちは光の中をエレベーターで下がるような浮遊感を感じつつ、地上への転移に身構えた。