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多分、あの人は僕がまだ警戒心を抱いている事を理解している。その上で、わざと煽ってみたり甘やかしてきたりするのだから性質が悪い。
「全治一ヶ月、だって」
その顔は、あまり反省してないけど、怒られそうだから大人しくしておこうかというのがありありと見て取れた。
「……っ、そう」
ああ、思いきり叱りつけたい!あの時、どの口が大丈夫なんて言ったのさ!と詰ってやりたい!ここに来るまで、どれだけ心配したのか言ってやりたい!それと。
――今すぐ、彼女を抱き締めたい。
……それなのに。
「うわぁ、あれが噂の妖精姫かよ。俺、こんなに近くで見たの初めて」
「俺も俺も!」
「同じ顔だってのに何でこうも違うんだ?」
「羨ましいな、あんな綺麗な妹が来てくれるなんて」
背中越しに、廊下へと解放された扉から聞こえる外野の声が騒々しい。
くっ、アルのお見舞いにわざわざ正規の手続きなんてしていなければ!アルの顔を見るまで、自分がどれだけテンパっていたのか気付かなかった。いや、気付けなかったって方が正しいのかも。
なにせ、ずっと生きた心地がしなかったぐらいなんだから。
頬にも怪我を負ったのか、白いガーゼで覆われている様を痛々しく思いながら、その情報がもたらされた時の事をようやく思い出せた。それぐらい心が何も受け付けなくて、僕はどうやってここまで来たかさえ記憶が曖昧だったりしてる。
それは、今日の昼間の事だった。
オーガスト様がご卒業された今でも、セラフィナさんの要望で僕たちとセラフィナさんを囲む会はいまだにランチを共にしていたりするんだけれど。ついこの間、僕たちの秘密を知ったマリウスくんがようやく少しばかり心を開いてきてくれて今日も食育に成功したなぁと満足しながらお茶を飲んでまったりとしていた時だった。
食堂の入り口付近がざわついたので、何気に視線を走らせれば、こちらへとやってくるオーガスト様と目が合った。
「……お前はアルミネラか?」
はあ?という言葉を口から零さなかった僕を褒めて欲しい。疑いの目で見られるのはもちろん、まるで不審者扱いを受けているかのように思えてしまったので、つい、そうだけど、と答えてしまった。
すると、オーガスト殿下は一瞬だけ安堵した顔を見せたものの、直ぐに険しい表情へと変化させる。その様子に、僕だけじゃなくセラフィナさんも気になったようで。
「ちょっと、オーガスト。どうしたっていうのよ?」
その、らしくない様子に少し苛つきながら問いかければ、オーガスト様は周りを見てから躊躇いがちに口を開いた。
「昨夜、また『貴族狩り』があったのだ。そこで、巡回に参加していたリーレンの学生が数名負傷したのだが、……その内の一人が、イエリオスで」
「うそっ!」
「それは真なのですか?」
セラフィナさんだけじゃなくエルフローラでさえ立ち上がり、オーガスト様に問いかける声がやけに遠くに聞こえた気がした。体中の血液が、まるで足下から流れ出でてしまったような感覚も同時に起こって視界が歪む。
彼らのやり取りに耳を傾けたいのに、全てが凍てついたかのようだった。
僕だけがいまだ座っているにも関わらず、何故かふわりと体が揺らぎ――
不意に、腕に指が触れたかと思えば少し強めに掴まれた。
「……、……?」
エルであれば、きっと僕は何も不思議に思うことなんてなかっただろう。けれど、それが反対側にいるマリウスくんだったのだから軽く瞠目してしまう。
しかも、彼は僕に向かって何やら言っているかのようで。
「えと、な、……に?」
そこでようやく、周りの雑音が蘇ってくるのと同時にマリウスくんの声が耳に届いた。
「……ください!」
「え?」
「しっかりしてください。ほら、ゆっくりと呼吸して」
そう言われて、呼吸するという感覚すら麻痺していたらしい。我に返るのと同時に、ずっと右手で掴んでいた左手の甲に爪が食い込んでいたのかピリッと小さな痛みが走った。
「気絶するのかと思いました」
「ごめ……、ありがとう」
何度か大きく呼吸を繰り返して少し落ち着いた僕に、マリウスくんがため息をつきながら呟いたのでお礼を言う。
だけど、まだどこか遠くて。そう、例えばプールの中から世界を見ているような気分のままだ。
「今朝、宰相が時間を取って様子を見てきたらしいが、かなり深手を負っているようでな。医者には自宅療養を勧められたみたいだが、本人が寮での療養を希望したという事だった」
オーガスト様が僕に対して、今までにないぐらい気遣っているのかその声でうかがい知れる。僕が肯定したのもあって、この場にいるのがアルミネラだと信じているのだ。
それが悪いとは言いたくない。……言いたくないけど、いつまでたっても僕とアルの見分けがつかないオーガスト様を腹立たしく思えてしまう。
はっきり言って、こんなのただの八つ当たりだと自分でも分かってる。
「俺も午後から様子を見てくるつもりだ」
「……」
――だから、何だと言うの?本物の婚約者との見分けもついてない癖に。
今は、そんな言葉しか返せないだろう自分も嫌い。ここでオーガスト様を責めた所で、事態は何も変わらないのに。
それなら、せめて何も言わない方が良い。
自分勝手ではあるけどそう決め込んで、僕は食堂を後にした。
それからの事は分からない。
教室に戻ってからエルやセラフィナさん、それに幾人ほどから声を掛けられた気がするけど覚えてない。
今こうして、やっとアルの顔を見ておぼろげながら思い出したぐらいだから。ああ、やらかしちゃった。皆に心配をかけただろうな。
明日の事を想像するだけで、ため息が零れてしまう。
そんな僕の事など知りもせず。
「まさか、あいつらが武器を持っているなんて思ってなくてさ。反射的に体が動いちゃって」
へへ、とアルは笑って怪我を負った事を忘れてガーゼの上から頬を擦り、直ぐにいてて、と顔を顰めた。やっぱり、この子は反省してないなぁ、と再び息を吐き出しながらも彼女の手を取ってみる。
一年前の入学時には僕と同じように日焼けもない、細く艶やかな女の子特有の小さな手でしかなかったのに。
日々の訓練のおかげか、見た目はそんなに変わらなくとも頼もしく見えていた。
一体、いつの間に成長したんだか。
「ねっ、見える部分には怪我がないでしょ?」
「ふうん」
「頬は……その、かすっただけで。けど、お医者様もびっくりしてたよ、他に傷がないってことにさ」
「そう」
「いやぁもう、あの時の動きを見せてあげたかったなぁ!あははは」
「……」
「……」
僕がここにきてから、マシンガンのように滑舌よく話していたアルも、僕が返事をしなくなった事でようやくそのわざとらしい笑顔が途絶えたようだ。
部屋の中は静寂が支配していて、今は廊下から僕たちの様子を窺う学生たちの声が漏れ響く。
アルの顔を見れば、フローリングに視線を落とし必死で目を合わせないようとしているのが何ともいじらしい。こういう健気な所が可愛いけれど、今はそれで見逃してあげるわけにはいかない。
「……アル」
と、優しく呼んでみる。
あー、やっぱりこれは僕が何を言うのか分かってるな。なんて、思わず苦笑。
野生の勘とでもいうべきか、僕がここに来た時点で、きっと何か悟っていたに違いない。だからこそ、どうにか本題に進まないようとりとめのない話ばかりをするという抵抗を試みていたんだろう。ほんと、この子は。
――だけど。周りからはよくシスコンだなんて言われるけれど、こんな姿の妹を見て心配しない者などいない。
そして、公爵家の嫡子だからこそ言わないといけない事もある。
「アル」
「やだ!絶対に、嫌だからね」
うーん、身も蓋もないって感じ?
さすがはあの母上の遺伝を僕より強く引き継いだ事だけあるね。ノーと言えるのはかっこいいけど、お兄ちゃん的にはせめて聞くだけでもお願いしたい。その点、母は婚姻を結んでから昔と比べて話を聞くようになったとか。うちの女性陣てば、どうしてこう直情的で即断即決に動こうとするタイプばかりなの?生きる本能が人一倍活性化してるって事なんだろうか。そんな馬鹿な。
「イオ、聞いてよ。私、騎士になりたいって言ったでしょ。こんな怪我、騎士になったらよくある事だよ」
「でもさ、」
君は次期国王となる方の婚約者なんだから、と続くはずだった僕の言葉は、後ろから響く色気を含んだ艶やかな美声によってかき消されてしまった。
「やあ、久しぶりだね。会いたかったよ」
「……っ」
絶対にわざとでしょ、と文句をつけたいのを我慢する。
この声に反応してしまう自分が恨めしい。アルにとっては聞き慣れているのか、普通に話の邪魔が入って無邪気な笑顔を浮かべているだけだった。どうして、僕だけなのか本気で悩む。
こんなタイミングあり得ないとか、ついこの間の一件があるから出来れば会いたくなかったという複雑な思いを抱きながらも、僕たちを観察している生徒もいるので席から立ち上がり淑女としての礼をする。実は、あの第一声だけで腰にきたけれど、そこは気力で乗り越えた。
「コルネリオ様、ご機嫌麗しく」
「ああ、挨拶はもういいよ。それより、治安が悪いというのにお見舞いに来たんだね」
分かってたくせに、という言葉は飲み込んで、僕たちの会話を聞いているであろう他の学生たちに勘違いされないよう慎重に言葉を選ぶ。
「大事な兄、ですから」
「今朝もお父上殿がいらっしゃって、昼にはオーガスト殿下も来られたようだよ」
「そうなのですか。兄が大事にされているのは、妹の私も大変嬉しく思います」
何を企んでいるのか分からないけど、僕が敢えて知らないフリをしている事もどうせ気付いているんだろうな。
ここは目に見えていないだけで、社交場のようなものだ。コルネリオ様の動きが読めないのが気に掛かるけど、せっかくなのでイエリオスと例の姫君との関係を疑っている貴族の子弟たちへのアピールに使わせてもらおう。
「父にとっては大事な後継者ですし、いえ、血の分けた親子ですもの、心配されて当然です。それに、殿下にとって兄は私と共に幼少期からのお付き合いですから、きっと弟のように思って下さっているのだと思います」
よし、無難な回答。っていうか、自分で自分の事を褒めるって恥ずかしい。僕が内心で照れているのが分かるのか、アルが微妙にニヤニヤしてるのが目に映る。はい、後でお仕置きするの決定ね。
「そうだね。イエリオスが努力家で次期宰相候補にも決まるぐらい優秀なのは私もよく知っているよ」
「……う、嬉しい限りです」
ああ。もうやだ、この人。なに、涼しげな顔で重ねてくるかなぁ!?これも絶対楽しんでるよね?ほんと、僕をからかうのがご趣味なようで。悪趣味過ぎるよ!あと、アルも何気に嬉しそうな顔で頷かない!
「学校長は誰の話をしてるんだ?」
「さあ?」
見知らぬ方々よ、僕も激しく同意します。いや、この人たちも分かってて敢えてとぼけているんだろうけど。
こんな時、フェルメールがいてくれたら、なんて思ってしまう。あの人とは、卒業してから滅多に会う事なんてないのにな。あの、お調子者を気取っているようでさり気なくフォローしてくれる兄貴肌が懐かしい。第二騎士団に入って、どういう仕事についているやら。遠くでフェルメールがクシャミをしているような気がして、少しばかり心が和む。
コルネリオ様がどういうつもりで止めに入ったのかは分からないけれど。さて、話が折れてしまった以上どうしようかな、と思案しているとバタバタと慌ただしい靴の音が廊下から響き渡った。
「あん?なんだよ、一体?俺の部屋は見世物小屋じゃねぇ、ですよ!ほら、ちょっとどいてく……こっ、校長!?」
そう言って、コルネリオ様の隣りに並んだのは、少し長めのチョコレートのような色合いの髪を片方だけ編み込んだまだ幼い顔付きの少年だった。『俺の部屋』って事は、この子がもしかしてアルの新しいルームメイトなのかな?
「おかえり、オメローくん。怪我をした先輩のために急いで帰ってくるなんて、精が出るね」
「っう、あ、そ、そそんなんじゃ」
おお。僕以外にもコルネリオ様のイケボで狼狽える人発見!真っ赤な顔がまだ子供らしくて可愛いなぁ。
「はあ。もうテスが帰ってきたの?」
「テス?」
「そう。ティッシって言いにくいから、テス。楽でしょ?」
……何だか、前世で映画好きの友人が観てた任侠映画の手下っぽい名前に似てる。なんて言わない方が良いんだろうな。
「そのテスくんとやらには気付かれてないの?」
新しい玩具が手に入ってご満悦のコルネリオ様が戯れているので、しばらくそっとしておこう。目の前で彼があうあう言っているのを見ながら、今のうちに重要な事だけ確認しておく。頑張れ、テスくん。
「まーったく!前に言ったけど、どこにいても一定の距離感で私のこと見てるけど気付いてないよ。あの偉い人の一件で一度帰省したけど、そこから何故か私に懐いてくるようになっちゃった」
「そうなんだ」
なんだろう、犬が二匹になったって思えば良いのかな。
「夜中にこっちに来る時は?」
「ああ、あいつ一度寝たら朝まで起きないから大丈夫」
だから、安心してねって、妹よ。それはそれで騎士として問題があるんじゃないかなって兄は思う。そこで僕が来た時から、実はずっと二段ベッドの上で寝ていたレイドレインが目に映ったのはきっと気のせい。相変わらずだなぁ。
「……ん。な、……に?」
「お、起きてたの?」
あーびっくりしたびっくりしたびっくりしたー!
「しせ、ん……が」
「えっ、……って。また寝ちゃった?」
「こう見えてレインは警戒心が強いんだよ」
この学校、個性的な人が集まり過ぎ。以前、視察の件でしばらくここにいたけど、役職持ちの人たちからしてアクが強い人たちばかりだったもんなぁ。そんな一例が、フェルメール。
そう考えると、グランヴァル学院はなんて平和なんだろう。たまに不良に絡まれるぐらいで至ってまともな人が多い。
「……そ、そもそも、どっ、どーして校長がこの部屋に」
「それはね、イエリオスのお見舞いに彼女が来たのが分かったから、せっかくだしお茶でもしようかなと誘いにきたんだよ」
良い所に気が付きました、なんてにこにこしながら言ってるけど、今さらっと僕にとって聞き捨てならない事を言われた気がする。
だけど、当然そこに引っかかったのは僕だけで、テスくんは「かのじょおー?」と首を捻りながらようやくこちらを振り向いた。
「かっ!かっ!かっ!」
「なに?笑ってるの?」
アルはもう。茶化してあげないの。
「ちがぁーう!って、顔が一緒!!っつう事は、あ、あなた様が、お噂にきくイエリオスさんのお妹さん様でいらっしゃるのでございまするのでありますですか!?」
文法がめちゃくちゃだって教えてあげた方が良いのかな。
「はじめまして、私はアルミネラ・エーヴェリーと申します。あなたが新しく兄のルームメイトになった、えっと……ティッシ・オメローさま?」
まあいいや、と流してとりあえず自己紹介。名前を呼んであげたのは、これからもアルの事をよろしくねっていうご褒美ですよ。
「おっ!お、俺の名前を知ってるんでございまするか!もしかしてっ、……イエリオスさん!」
「……」
おっと。アル、無言の笑顔で面倒なことしないでくれる?オーラを放たないで。良いと思うよ、こっちのわんこは。今も感動に打ち震えてる辺り、純粋って感じがするもの。
「さて。同室者が帰ってきたし、それじゃあ行くね」
「わざわざありがとう。……それと、心配かけてごめん」
そんな殊勝な顔をするようなら、僕の話もちゃんと聞いて欲しかったな。
「安静にね。来られるようならまた来るよ」
今度はこんな真っ昼間じゃない時にね。
それが伝わったのか、ん、と返事をして頷かれる。
「あっ、お、俺のことなら構わないでお兄様ともっとゆっくりお話を!」
「いえ、私がこちらに居ては皆様のお邪魔になるので」
というか、さっきより集まってきてる気が。
僕だって、本当はアルと一緒にいたかったよ。傷の具合も分からないし、きちんとゆっくり話も出来ていないしさ。
――でも。
「それでは、レディ?」
今日のところは諦めた。
「……ありがとうございます」
これから、春の陽気のように柔らかい微笑みを浮かべて手を差し伸べてくるこの人との話し合いが残っているから。




