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ドラマのような、本当の話。ただ、それは後の黒歴史になった場合、思い出すだけでかなり恥ずかしくて仕方ない。
ガシャンという大きな物音がして、咄嗟に殿下を庇いながら振り返れば誰かがグラスを落としただけだったようでホッとする。
だけど、僕と同様にアルミネラも同じ行動を取ってしまったので、オーガスト殿下が何事かと目を見張っていた。
ああ、しまったな。
「なっ?ど、どうした?」
「申し訳ありません、実はここに来る途中で不審な者をみかけたもので」
ここは、素直に白状するべきだろう。
「ふっ、不審者、だと?ほ、ほう」
「……はい」
気のせいだと思うけど、何となく殿下の様子がおかしいような?
先ほどのグラスの割れた音で、一気に緊張が緩んだのもあって、殿下をじっくりと観察してみようとした瞬間、僕たちの傍を通りがかった給仕係がふらっと殿下に近づいた。
「殿下、お覚悟!」
「なっ!?」
それが、まさかの急襲だったなんて。
男がグラスを乗せたトレイごと放り投げて、懐から短剣を取り出して振りかぶる。それと、同時に先ほどの小さなグラスが割れる音に比べて、騒々しい音が会場内に響き渡った。
「っ!」
キャー!という女生徒の声があちこちから上がる中、その凶器に反応を返したのは、僕ではなくアルミネラで。身を捩って逃げようとする殿下と給仕服の男との間にするりと入り込んだかと思うと、男の腕を掴み上げて凶器を蹴り落とす。
この場合、さすが!と思えば良いのか、え?まだ学校行って約一ヶ月過ぎただけだよね?どこでそんな事覚えたの?と疑問を投げかければ良いんだか。兄としては、大変複雑な心境である。
「イ、イエリオス!」
驚きに僕の名を呼んだオーガスト殿下に振り返ったアルミネラは士官生の制服を身に纏っており、いとも簡単に、しかも鮮やかな手つきでその給仕を拘束していく。
よく見れば、先ほど見た不審者二人組とは顔が違う。
まさか、内通者が居たなんて――と、決して油断していた訳ではないけれど、もしかしたら他にも何人か紛れ込んでいる可能性に思考が陥って不覚を取った。
「イオ様、危ないっ!」
その声にハッとして振り返れば。
少し離れた先から、まるで自分の獲物を仕留める猫科の猛獣のような俊敏さで、僕を庇うように抱きついてきたセラフィナ嬢の後ろから、彼女を追うように刀剣がステンドグラスからの明かりに反射して青白い光を放って飛んでくるのが目に映った。
このままじゃあ……っ!
「くっ」
「きゃあ!」
抱きつかれた勢いを利用して、彼女を抱き込みそのままそれを避けるようにフローリングへと倒れ込む。
女の子に怪我をさせては大変だから、己を下敷きにして彼女の衝撃は減らしてみたけれど。
「っ、大丈夫?」
「ぅえっ!?ふ、ふあい!イオ様は?」
「僕は大丈夫……って、どうして気付いて?」
「あっ!っと、えっと、それは、その」
いやいや、そんな挙動不審に視線を彷徨わせなくても。
思わず苦笑しながら彼女を抱き起こすと、かなり動揺しているのか顔を真っ赤にしたまま両手で顔を覆ったりもじもじしたりと慌ただしい。
うーん……一体、この子何者なんだろう。
と、僕が思ったのもそのはずで、僕とアルミネラは、殿下に挨拶する前に再び服を交換して入れ替わっていたのだ。あの二人組が、何かやらかしそうだという事には気が付いていたので、僕たちはどちらから言うでもなく衣装を交換し合った。
だから、今の僕は、まぎれもなくアルミネラ・エーヴェリーに見えているはずなんだけど……なぁ?
こうもあっさりと正体を見破られたら、いくら何でもショックを受ける。が、セラフィナ嬢の答えより先に、アルミネラが辺りを警戒しながら僕に近づく。
「まだ終わってないってば!」
……そうだった。敵はまだ、少なくとも二人居る。
「ごめん、うっかりしてた。セラフィナ嬢、後でもう一度訊くから!」
日頃から戦闘訓練に慣れているアルよりも、どうやら僕の方が色々と失念している事の方が多い。この世界に生まれて十四年、自分自身の危機的状況には何度か遭ったけれども、ここまで命に関わるような緊迫した状況に陥った事などない僕は、まさに前世同様平和ボケしていると言っていいだろう。
既に、パーティ会場は、一瞬にして悲鳴と戸惑いを叫ぶ声でかき乱されて騒然となっていた。出口へと逃げ惑う生徒たちを遠目で確認しながら、逃がせるタイミングを失ってしまったセラフィナ嬢とオーガスト殿下を後ろ手に庇いつつ、辺りを警戒する。
「お、おい?」
実際は、僕が男とはいえ見た目がアルミネラの状態で殿下をお守りしている事に不審を感じたのか、動揺しながらも殿下が僕の肩に手を伸ばした。
「あ!そこ、お触り厳禁!」
――が、それを目敏く見ていたアルから指摘されて、直ぐに手が引っ込められる。
えっと。どこの芸能人なの、僕は。
「なっ!お、俺は別に!」
しどろもどろに口をもごもごとさせるオーガスト殿下を睨み付けた後、アルは何かに気がついたのか避難する生徒たちの方角を指さした。
「あっ!そこだ!!」
同じように視線を向ければ、先ほど見た怪しい二人組の一人が、様子を伺いながら僕たちを見ている。
「あいつっ!」
「えっ、ちょっと!ばかっ、早まっ」
あーもう!アルの馬鹿!無鉄砲!何で、一人で突っ走っちゃうかな!?
制止しようとする前に、とっくに走り去ってしまった妹の背中を見ながら唇を噛む。
武器も何も持たずに、敵を見つけ次第一人で倒しに行くなんて。
アルに慎重になれという方が難しいのだろうけど、今だけはもっと後の事も考えて欲しかったと思わずにはいられない。――というのも。
「これで、見習い騎士はいない。お命、頂戴する」
彼女には、これが敵の本当の狙いだった、なんてきっと想像すら出来ていないだろう。
内心ではただひたすら焦っている僕をあざ笑うかのように、もう一人の騎士服姿の男が静かに目の前に立ち塞がった。
「でっ、殿下!セラ!こっ、ここは俺たちが!」
「おおっ、お前たち!逃げずに留まってくれていたのか!」
「当たり前ですよ!」
ゆっくりと近づいてくる男の前に、テオドール様を筆頭にしてセラフィナ嬢を囲う会のメンバー達が、殿下というよりも彼女に良い所を見せたいのか勇敢にも間に入る。
うん。これ、大半がセラフィナ嬢にかっこいい所を見せたがってるな。だって、さっきからチラチラとセラフィナ嬢にウィンク投げとばしてたりしてるんだけど。はいはい、もう分かったから。そんな余裕は見せなくて良いから、早くどうにかして欲しい。
――なんていう、僕の願いはあっさりと潰えた。
「……くっ!」
「くそっ」
「こ、ここまでか!」
なんて口々に発しているけども。
あー……だよねぇ、うん。こうなる事は、僕もなんとなーく分かっていたんだけど。
僕の視界の先には、ものの十分もせず、さっきまで威勢の良かった彼らが倒されて半数以上が気絶していた。
相手は、大人数を前に短剣一本で戦いに挑んでいたのに、彼らは所詮、十四から十八までの子供に過ぎない。しかも、グランヴァル学院に在学している時点で、蝶よ花よと育てられた高貴な血筋のご貴族様だし。リーレン騎士養成学校の学生とは鍛え方が違うのだ。
まあ、弱いのは、ステータスだと理解しておりましたとも。
「殿下、お下がり下さい」
「いや、これは俺の問題なのだ」
あと残されているのは、か弱いレディたちばかりだという思いから、殿下は果敢にも僕とセラフィナ嬢を守るように、僕たちの前へと飛び出しお飾りばかりのレイピアを大仰に抜き取った。
「危険だわ!オーガスト」
「止めてくれるな、フィーナ。男には、何が何でも守りたいものがあるのだ」
フッと笑って妙に格好つけた殿下の芝居がかった台詞を聞き流しながら、どうすれば良いのか必死で考える。
出口を見ても、グスタフ様に呼んで貰った救助部隊は来なさそうで、アルミネラに至ってはなんだかんだとそこら辺の物を使ってやり合っている音が聞こえていた。
「あらそう。じゃあ、頑張って!」
「ああ、そうさ、フィーナ!全てはお前の為って、えっ?頑張って?」
「当然よ!アルミネラ様に怪我を負わせるなんて、もってのほかなんだから!」
「は?……いや、聞き違いか?」
「だーかーらー、さっきからちゃんと言ってるじゃないの!アルミネラ様を守れないなら、あなたとはもう絶交よ!」
「えっ?えええええええっ?」
ん?いや、ちょっと待って。
この二人、一体何の話をしているの?というか、今のこの状況って、結構やばいんだよね?あれ?違った?
何故か、今にも力が抜けてしまいそうな会話をつづけられて内心呆れかえっていると、男も苛立ちを含ませた声でいい加減にしろ!と吠えたてる。
ごめん、僕も彼に同意します。
「安心しろ!そこの女共に手は出さん!」
これでいいだろ、という彼の苦心が垣間見えて、僕としては微妙に同情せざるを得ない。殿下に刃を向ける時点で犯罪者なんだけど、つい申し訳ないという気持ちが湧いてきてしまう。
なんというか、ごめんなさい。
「……殿下」
そんな風に声をかけたものの、あなたも彼に謝ってよ、とは決して言えない。だから、あ、どうしよう……と思って躊躇っていると、オーガスト殿下はまだ成長過程中の背中越しに僕をチラリと見ながら再びフッと微笑んだ。
「アルミネラ。ここに来てからのお前は、実に美しく可憐で儚い一輪の花のようで……実は、毎日がそれなりに楽しかった。お前が婚約者であるというのも悪くないなと、思ったぐらいに」
えっと……何か勘違いされてるよね、うん。
「だが、俺は……俺は、フィーナに一目惚れをしてしまったのだ。すまない、アルミネラ!」
「え?は、はあ」
んー。多分、殿下ってば自分に陶酔しちゃったかなぁ。後で、我に返ったらかなり恥ずかしい事を言ったなーって後悔すると思うんだけど。
というか、何だってこんな時にそういう話をしちゃうかな?これって、遠回しに婚約破棄しようってことなの?分かりづらいな!
「さあ、いつでもかかってこい!」
殿下は、言いたい事が言えて満足だったようで、かなり待たせてしまった相手にようやく顔を向ける。ほんと、こんな馬鹿げた会話に、よく付き合ってくれたものだ。
しかも、先ほどまでは散々格好をつけておきながら、細剣を持つ手が若干震えてしまっているのが僕の方から見えてしまって情けない。
これで、よく戦おうと思ってるなぁ。
呆れるよりも、先に任せていられなくて仕方ないなぁ、と思えてしまう。
……こうなったら、奥の手を使うしかないか。
先ほどの三文芝居で、僕の緊張がだいぶ和らいでしまったというのもある。
一か八か、という賭けでもあるけど、やってやるか、なんて思えてしまうのだから不思議だ。
「あの、セラフィナ嬢。これをもっていてもらえますか?」
そう言って、なるべく人の目につかないように後ろを向いてドレスをたくし上げて、左足に備え付けていた短剣を抜いて彼女に渡す。
万が一の事があったら、と元はアルミネラが身に備えていたものだったけれども。衣装を交換した際に、念のため貸しておいてもらったのだ。
「は、はい」
キラリと光る刃を見て、ゴクリと息を飲み込んだセラフィナを安心させるため、なるべく優しい声になるように心がける。
「いい?これは、決して自害用ではないからね」
何となくだけど、この子は直ぐに早とちりをしてしまいそうなイメージが強い。
「それに、攻撃もしちゃいけない。何があっても。――守れる?」
だから、これから僕が行動を起こせば気が動転するかもしれないので、敢えて約束を口にする。
「はっ、はい」
「そ。よろしくね」
「ひ、ひゃい」
妹にするように、彼女の頭を撫でてにっこり笑えば、顔を真っ赤にしながら何度もコクコクと首を縦に振って頷く。いや、何もそこまで振らなくてもいいというほど。美少女だけあって、人形みたいに可愛いけどさ。
「んじゃあ、いきますか」
これは、もう一種の賭けだ。