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彼の事はいまだによく分からない。けれど、僕の婚約者に『お兄様』と呼ばれている時点で、実はちょっと嫉妬してる。悔しいから一生言わないけどね。
しまった――と思った時には、もう既に遅かった。
各部署に書類を届けるだけの簡単な仕事なのに、書類の取り違えをしでかした。
文官の仕事は、ちょっとしたミスでさえも大きな痛手となってしまう事もある。それを今まで、散々言われてきたというのに。
「迂闊にもほどがある」
そんな辛辣な発言が出てくるのは、もちろん、アシュトン・ルドーその人で。そこに、今日は『鼻で笑う』というオプションまで付いていた。基本的に、日和見の日本人気質だから言い返したりはしてないけどさ。この人、どうしていつも僕に対して挑発的なの?
僕たちの誕生日のパーティでの初対面時の挨拶は、あんなにまともだったのに。まあ、僕はその時ばっちり女装していたけども。
「血筋に甘えている訳じゃないだろうな?」
「……」
というか、最近では場所すらもわきまえてもらえないとか。数名しかいないとはいえ、ここは王の執務室の隣りに位置する控え室なんだけど。
アシュトン・ルドーも馬鹿じゃないから、僕を咎める時は室内にいる人を見て言っているというのは痛いほどよく分かる。だって、彼らは実に愉しそうに笑っているのだから。
「これこれ、ルドー君!そう意地悪するでないぞ」
「これは失礼しました。ロレンス様」
そんな中、唯一アシュトン・ルドーを咎めたのはロレンス様だけだった。この方に派閥なんて存在してないというのもあるけど、陛下の側近のロレンス様は個室を与えられている為に、元来この部屋には滅多に来ない。――なのに、どうしてここに居るのかと言えば、それはつまり。
「しかし、今回はわしじゃから良かったものの、こんな失敗をされては困るのう」
「……この度は、ご迷惑をおかけして大変申し訳ございませんでした」
僕が書類ミスをした相手、で他ならない。
言い訳をするとすれば、二通の書類を渡されて。文面も内容も全く同じで、唯一違うのは最後の一文。しかも、紛らわしい表現な上に、ロレンス様の名前が書かれている方こそ別の担当者宛てのもの。
気をつけていたつもりなのに、間違って渡してしまった、というのが原因だろう。……全く、情けない。
グランヴァル学院での事とかリーレンの件も含めて、心身共に支障をきたしてきているのは自覚してる。だからこそ、王宮では最大限に注意を払って気をつけていたつもりだったのに。
「うむ。以後、気をつけるのじゃよ」
「……はい」
今回は、確実に僕のミス。僕の失態で正解だけどもさぁ、……アシュトン・ルドーの馬鹿にした顔にちょっと怒りが湧くのは仕方ないよね?何もそこまであからさまに嘲笑する事ないじゃない?あーもう、ほんとやだ。
「分かってくれたらそれで良い。それと、ルドーくん。少しだけいいかのう?」
「はい」
相変わらず、ロレンス様には忠実だよね。もう忠犬って言ってあげようか?……いやいや。それは言い過ぎか。
部屋から出て行く二人の背中を見送って、間借りしている自分の机へと足を運ぶ。正直言って、このままでは宰相候補になれるとは思えない。
学院での問題も自分で収拾付けられないし、アルの事だって現状どうしてあげる事も僕には出来ない。
僕は、ほんとは何も出来ない、ただの無力な子供でしかない。
今まで、一人でやっていけるって過信して頑張っていたけど、結局いつも周りに助けられてしまってる。こんなんじゃ、駄目なのに。
「……」
けど、へこんでいる場合でもないのは分かってる。
――今は、僕にしか出来ない事をしていくしかないというのも。
「……、おーい、イエリオス君!聞っこえーてなーいのっか、なっ!?」
「わあっ!?」
いきなり、視界が暗くなった!と思えば、そんな陽気な声と共に大人の手によって意図的に目隠しをされた事に気付いて、驚きの声を発してしまった。
まさか、こんな容赦のない仕事場で目隠しされるなんて思わないもの。……というか、この人なにやってるの。
「え、っと……あの?」
こんな遊び、アルによくされていた幼少の頃以来なんだけど。
「やあ、気が付いたかい?あははっ、君が考え込んでいたみたいだから、ついね」
つい、って。出来心でこんな……、はっ!その言い方、もしかして父上にもしてる訳じゃありませんよね!?それは、さすがに想像出来ないよ!ああ、いや。でも、この人なら誰にでもしてそうな所が恐い。
「気が付かず、申し訳ありません」
「うんうん。で?」
……で?
えっと、『で?』って何を求められているのか僕にはさっぱり分からないんだけど?どうしよう。この人、ほんとに扱いづらい。今度、父上にレクチャーをお願いしてみようかなぁ。
「ああ、名前だよ。ほら、このゲームは相手の名前を言っておしまい、だよね?」
続いてたの!?そりゃまあ、確かにいつまで目隠ししてるんだろうって思ってたけどさ!っていうか、不意打ち過ぎて心臓にあまりよろしくないんですけど。
「あっ、っと……ミルウッド、様。クロード・ミルウッド卿です、よね?」
違ったら、本気でトラウマレベルだよ!?そんなの絶対あり得ないけど。
だって、ミルウッド卿以外の人って色んな問題を鑑みながら消去法でいけば、限られてしまうもの。
けど、王族の方がこんな事するとは思えない。というか、思いたくない。
「……」
あーうー!その沈黙、やーめーてー!
「はーい、正解っ!あー、くそう!残念だなぁ、ここで君が別の名を呼んでくれる事を期待してたんだけどなあ」
そりゃ、空気が読めなくて申し訳ありませんね!パッと視界が戻って、ホッとしたのも束の間。後ろからミルウッド卿が子供のようににっこり笑って顔を覗かせてきたので、思わず頭を引いてしまう。
「まあ、こんな陰気くさい場所じゃ無理か」
はい、流れるように毒がきましたー。って、要は派閥の問題だから、僕は下手に返事出来ない。なので、曖昧に笑って受け流すのが最善策。例え、その言葉で一瞬にしてこの部屋の空気が冷たくなってもね。
まあ、イルフレッド・エーヴェリーの子の時点で、僕の派閥は決められているようなものだけど。
「それで、ミルウッド卿はどうしてこちらに?」
基本的に、宰相とその補佐官はこことはまた別の部屋を使用している、なんて言ってみるけど。ここと同じで、王の執務室を挟んで真逆なだけだからフロアは同じなんだよね。
「ああ、僕はね宰相様からのご命令を直に伝えにきたんだよ」
父上の?と、首を傾げて見上げると、僕の椅子の背もたれの部分に腕を預けていたミルウッド卿が、娘とよく似た銅貨色の瞳を細めて微笑んだ。
「うん。『即刻、こちらに来るように』って」
「それを早く言って下さい!」
遊んでる場合じゃないでしょ!全くもう。これでよく補佐官が務まるなぁとは思うけど、やっぱり父の古くからの友人でもあるから何でもテキパキとこなしてしまうのだ。そういった意味では、さすがはエルの父君だと思う。そんな優秀な遺伝子が、エルにも受け継がれているのは僕もよく理解してる。
「さあーて、僕も戻らなくちゃね」
慌てて席を立った僕の後ろから、のんびりとついてくるミルウッド卿を置いて行くわけにはいかなくて、焦燥感に駆られながらも出口で待機。焦っているのを隠す事がポイントね。これ、貴族の嗜み。
「ああ、そこの君」
だけど、扉までもう少し、という所でミルウッド卿が立ち止まり、僕たちを監視するように見ていた者へと視線を向けた。
「彼が戻るまで、この部屋を換気しておいてくれるかな?あまりにも空気が澱んでいるせいか、せっかくの健全な魂が腐ってしまうよ」
これで、喧嘩を売ってないっていうのがほんと凄い。皮肉もここまできたら、一つのまっとうな意見に聞こえてくるんだから。そこが、ミルウッド卿を宰相補佐官たらしめるものなんだろうけど。
氷河期みたいに一瞬にして絶対零度になってしまった部屋を出て、困惑して戸惑う僕を追い越しミルウッド卿が歩き出す。置いて行くよ、と言われて慌てて追いかけてはみたものの、苦手意識があるので何を話すべきか悩んでしまう。だって、世間話なんかこの人には一蹴されるに決まってるもの。
かといって、宰相の部屋は目の前だしさ。どうしようね?
「そういえばさ、僕の出した課題の進捗はどう?アシュトン君からは、昨日回答を貰ったんだけど」
「そうなんですか」
さすがはアシュトン・ルドー。まあ、僕もそろそろ答えを伝えるべきだとは思っていたけど。
ミルウッド卿からの課題は、『行政を向上させるために君たちなら何をすれば良いと思う?』という国の中枢にいる者として当たり前の問いかけだった。
アシュトン・ルドーがなんと答えたかは知らない。けれど、僕も何となく答えは出てる。それを上手く伝えれるかどうかというのが心配なだけで。
「イエリオス君も大方固まっているのなら、話してくれるだけでも嬉しいんだけど」
コンコンと扉をノックしながらも、会話を続ける辺り僕には出来ない。しかも、その芸当は更に続き、返事も聞かずに開けちゃうのはもう母上とシンパシーを感じるほどだ。
「そうですね、えっと……イエリオス・エーヴェリー、参りました。入室の許可をお願い致します」
お願いだから、聞きながらさっさと入って行かないでください。そうでなくとも、この部屋で父上に会うだけで緊張してしまうのに。
「入れ」
言っておくけど、王宮で父とこうして顔を合わせるのは初めてだった。そりゃあ、廊下とか出先で会う事もあったけど、ミュールズ国の『宰相』とその『部下』という立場ではこれが初めて。
今まで、父は僕たち兄妹をこの部屋に入れた事など無かったのだから。
「ありがとうございます、失礼します」
王の執務室の右隣り、宰相の部屋は通称『白の間』 と呼ばれている。それは、歴代の選ばれた宰相たちが自らを嘘偽りのない清廉な魂で王に仕えるという証しに因んでいるという。
「遅くなり、大変申し訳ございません。ご用命は何でしょうか」
その名の通り、白色を基調にしたシンプルな部屋は、父の書斎のように奥に宰相用の机があって手前にちょっとした会議が出来そうな小ぶりの円卓があるのみだった。
ミルウッド卿は、その円卓の一部を陣取っているようで直ぐにそこへと腰をかける。さっきの件、中途半端だったんだけどそれはまた後でって事で良いのかな?
僕はというと、『宰相』に呼ばれたのだから、当然『宰相』が座する場所まで歩いて、頭を垂れた。
「……」
ここでは、親子である事など無に等しい。
父上であって父上でない存在との対面は、緊張というよりきちんとそれが出来ているかどうかが不安だった。
「宰相になる気はあるのか」
「……」
その問いかけは、誰よりもましてや自問自答するよりも重かった。
いつぞやの、入れ替わりがバレていてグランヴァル学院にイエリオスとして入り直す気があるのか訊ねられた時よりも重大な。
現宰相からの問いかけだから、というのもある。けれど、やっぱり僕には親子の情を完全に消すなんて事が出来なくて。父から、血が繋がった親からの問いかけでもあるように思えてしまう。
「……」
本当は、ここで視線を逸らさないというのが重要なんだろうけど。
「正直に言えば、分かりません」
僕はまだ決めかねていて。
――けれども。
「ですが、僕には尊敬している人がいて、いつかはその高みまで登りたいと思うのは本心です」
これだけは、本物だと言えるから、父の――アルと同じ色をした瞳を真っ直ぐに見据える事が出来るのだ。
「人間くさいね」
「え?」
その声は、後ろの席から聞こえてきたので振り返る。
当然、そこにはミルウッド卿だけしかおらず、彼はフッと鼻で笑うともう一度、今度は僕の方を見ながら言った。
「ああ、失敬。君たちの会話に参加するつもりはなかったんだけど、つい口に出してしまった。君が、あまりにも人間くさい性格をしているものだからね」
「……はあ」
父が何も言わない限り、それは別に問題ないんだろうけど。つまりは、僕ってめんどくさい人間だって事だよね、それ。
「僕にはね、一人じゃ何も出来ない、補助が必要な甘い未熟な考えで、実に子供らしい発想だなと思えたんだよ」
……ええと、待って。これって、婚約者の父君から烙印押されたってことだよね。駄目だ、本気でへこむ。泣きたい。ミルウッド卿に悪意がないのは分かっているけど、さっきのミスとか色々とあり過ぎて心が痛い。
「だけどね……嫌いじゃないよ、僕は」
「っ、え?」
と、驚く間もなく軽いウィンクまでされてしまって言葉が続かない。
「クロード」
「まあまあ。真面目過ぎる親子に僕から軽いジョークのプレゼントさ。イルも、ただの個人面談だけなのにそんな重々しい雰囲気を出すからいけないんだろう?」
「……出してない」
「フフフ。そう言うと思った!親子なんだから、もっと気楽に話せば良かったのに」
「……」
両親の会話を聞いているみたいな気分なんだけど。
とりあえず、父上ごめんなさい。後で、ミルウッド卿の扱いを訊ねてみようかなって思ってたけど、父上も苦労されているのが分かってしまいました。ご苦労様です。
結局、この人は誰にも御せない人なんだなぁと思っていると、父が珍しくため息をはき出した。
「そういう事だ」
「分かりました」
母上といい、ミルウッド卿といい、父上も大変だなぁ。
「あっ、もう話は終わった?それじゃあ、さっきの続き、この場で進めちゃっても良いかな?」
って事は、父上にも聞かせるって事だよねー。個人的課題なのに、僕だけこの国の中枢を担う宰相も同席って。一体、何の罰ゲームですか?
「……まだ、草案の段階ですが」
それでもいいなら。
「構わないよ」
あー、もう!どうにでもなれ!!
「では、」
そして、その数日後の事。
セラフィナさんが、階段から突き落とされるという事件が起き、当然の如く『アルミネラ・エーヴェリー』は犯人とされた。




