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これは、当の本人は言えないけど、実は彼女はもう僕の中では大事な家族の一員となっている。だから、この世界じゃあ二十歳なんて結婚適齢期の真っ只中だし、もうそろそろ姉離れをしなくちゃいけないかなって思っているけど……なんていうか、静かなる怒りを発動しそうで私生活の話すら聞くに訊けない。
「えーっ!うそ!」
「いくら殿下を奪われたからって、教科書を燃やすって最低じゃない?」
「信じてたのに……ありえない」
朝から、その噂はもう既に拡がっていて、あちこちで僕を見る度にヒソヒソと声が漏れる。もうね、歩く度にコソコソヒソヒソ。以前より増して陰口が増えているような気がしてる。
まるで、学院中が敵に回ってしまったみたいに。
こうなったら、隣りを歩くエルフローラにも影響がこないか心配だけど、こういう時だからこそ何を言っても彼女は頑なに僕から離れないという事は分かってる。ありがたいけど、彼女を守る為にも離れていて欲しいと願うのは、今の僕には婚約者すら守れないかもしれないという余裕がないせいかもしれない。こんな事思ってるってバレた時点で、エルには怒られてしまいそうだけど。
大切だからこそ、守りたい。それは、セラフィナさんも同じで――
はっきり言って、僕は何もしていない。というか、今回の件では正にタイミングの問題とでも言っておく。
あの日は、ちょうど休日前という事もあって僕がゴミを焼却炉に持って行った。それは合ってる。だって、僕は所詮生徒会の手伝いだしね。皆、忙しそうだったのもあって黙ってゴミを持って行く事にしたのだ。
そこで、見つけたのがセラフィナさんの教科書で。
僕が慌てて焼却炉から取り出した所を、アシュトン・ルドーからの指示で僕を探しにきたミアくんに見られてしまった――というのが事の真相。
まあ、その後にミアくんが、貴女、何をしてるんですか!なんて、大きな声を出しちゃったもんだから、別の生徒にそれを見られて僕がセラフィナさんの教科書を捨てたという悪い方向に話が出来上がってしまったんだけど。
尻軽だ男好きだという噂もあって、これで余計に『アルミネラ・エーヴェリー』の評判を落としてしまった。ある意味、相乗効果の賜物だよね。って、別に喜んでいるわけじゃない。むしろ、精神的に大ダメージを食らってしまって、当然のことながらここ数日食事の回数も減ってきてる。何かあれば、直ぐに胃に負担がいくなんて、分かりやすいけど今はそれすら疎ましい。
まあ、唯一、セラフィナさんには僕がそんな事をする人間ではないという事は分かってもらえた、というか逆に泣きながら謝られてしまって。私がイオ様の負担になるくらいなら、なんて言われてしばらく距離を取る事になってしまった。
それも良くなかったのか、余計にアルミネラとセラフィナさんの殿下絡みの因縁みたいなものが復活しちゃった訳だけど。
なんていうか、悪循環。
負のスパイラルが続けば続くほど、どんどん悪くなっていくばかり。
殿下にはすごく分かりづらい激励を受けたけど、セラフィナさんが関わってくるとなるとあの人はどう思うのかな、なんて。それは兄としては知っておきたい部分だけど、登城している今も下手に訊けないでいる。
「――という話じゃよ。聞いておるかのう、イエリオス君や?」
「あっ、申し訳ありません」
おっと。今は、ぼんやりしている場合じゃなかった。昨日の一件が、まだ確実に尾を引いてしまってるけど、私事と仕事は分けないと。
「慣れない事ばかりで、疲れてしもうたか?」
「いえ、そんな事ありません」
アシュトン・ルドーと比較せず、こうして僕にも丁寧に教えてくれるロレンス様に申し訳ない。
文官の仕事には色々と手順があって、最初は誰それから書類を受け取るだの、次はどこそこ、その次は別の管轄という、役割がきっちりしている。だからこそ、それを一つ飛ばすだけで全体の流れが悪くなるだけではなくて、担当官の名誉も傷付ける事になるらしい。
簡単に言えば、プライドの塊で出来てる貴族が多いから注意しようね、って事。これが後々、足の引っ張り合いにまで発展するケースまであるようだからえげつない。
それと、よく聞くのは派閥問題。
まあ、学院でもそういった集まりはよく目にしていたから、大人でもあるのは当然かなあと、そこは割と素直に受け入れられた。ただ、小狡いだけの学生よりも険悪度が酷いけどね。
そういった話を、たまたま話の流れがそうなったから陛下の治世を支えていらっしゃるロレンス様に直々に教えてもらっている所なんだけど。
なんというか、滲み出るお人柄といい笑顔が素敵な所とか、ロレンス様は尊敬に値する。好々爺、万歳!と言いたいぐらいに。いや、そこまでは大げさかもしれないけどさ。……うん、きっと僕は疲れてる。でも、気にしない。気にしたら負けな気がする。
それでも、ロレンス様には分かるのだろう。ふいに、ふっと困ったような笑みを浮かべて、しわくちゃな手で僕の肩を優しく叩いた。
「お主は、父親と違って慎重過ぎるきらいがある。それが命取りにならんよう気をつけるのじゃよ」
「はい」
さすがはロレンス様。よく分かっていらっしゃる。もはや、苦笑するしかなくて返事をするだけがやっとだった。あー、今すごく泣きそう。
「そろそろ、仕事に戻るかの。最後までやり遂げよ、若者よ」
「ありがとうございます」
最後まで頭を下げて見送る僕に笑いながら、ロレンス様が去って行く。
やっぱり、こういう懐の広さからいってロレンス様は陛下の他の側近の方とは別格だなぁ。そりゃあ、他のお歴々も尊敬すべき所があるけど、多分、前世で十二月の主役といえばこの人!なんていう例のおじいさんに似てるから親近感があるのかも。ロレンス様には、是非赤い服を着てみて欲しい。
ロレンス様とお話して、少し癒された気分で仕事に戻る。といっても、ここでも所詮は下っ端の僕に出来る事といえば決まっているけれど。それでも、小さな案件ぐらいは任せてもらえるようにまでなったのは、何だか自分では誇らしい。アシュトン・ルドーは、どうやら色々と仕事を貰っているみたいだけど、彼には生活がかかっているし爵位を持つ者として当然の事だと思う。
だから、こちらは焦らないで出来る事をやっていこう。最初から欲張らないよ、僕は。
しばらく椅子にかじりついて雑務をこなしていれば、直ぐに書類の運び手としてかり出され。今日はこれで終わるかな、と思いながら提出する書類を渡し終えて廊下を歩けば、いきなり手を取られて空いている部屋へと引きずり込まれた。
「っ、なっ!」
そして、声をあげる間もなく背中越しに体温が伝わってくる。うん、まあ後ろから抱き締められてるって事なんだけどね。僕よりも大きい体格差からいって、相手は僕と同じ性別で間違いない。
まさか、王宮でもこういった行為が横行してるとか言わないよね?
「ちょっ、放してくださっ!」
それにしたって、嫌がらせにしても酷すぎる!いくら、僕がまだ子供で小さいとはいえ力でどうこうするなんて、あまりにも大人げないよ。いや、簡単に捕まる僕も駄目だけどさ。……情けない。
「大声をあげますよ!?」
「おおう、待て待て待て!!俺だ、俺!」
……この声は。
「っ!僕の知り合いにオレダなんていう人はいません!」
というか、どうしてこんな人攫いみたいな真似するかな。全くもう。
「意地悪言うなよ、俺とお前の仲だろう?」
「……はあ」
「ため息つくなって。運が逃げちまうぞ?」
相手がもう誰か分かった時点で、体の力が一気に抜ける。もしかして、このまま殺されるかもなんて取り越し苦労もいいところでしょ。
「もう分かりましたから、いい加減離れてください。……フェルメールさん」
ここで働いている限り、いつか会うかもなぁとは思っていたけど、本当に会えるとは思ってなかった。リーレン騎士養成学校に在籍してた頃は、アルの付き添いで頻繁に会ってたのにな。
「んー?もう少しぐらい良いじゃねぇか。別に減るものでもねぇしよ」
いやいや、あなたが言うべき事じゃないですよ、と言ってやりたい。
「あいつとの引き継ぎから、全く会ってなかっただろ?今まで、俺がどれだけ癒されたかったかお前に分かるのかよ」
「分かりません。というか、分かりたくありません」
後、体重をかけられると重たいです。この人、僕を、リラックスするためのぬいぐるみか何かと勘違いしてるんじゃないの?
リーレンでお世話になった時は、何度かこうやって抱き締められたっけ。しかも不意打ち。……まあ、最初の一回だけ僕から許可したんだけどさ。あれは、不可抗力だったもの。
「相変わらず、俺には冷たくね?」
「そうですか?」
なんてとぼけてみるけど、実は僕もそう思ってた。きっと、初めて会った時の印象が、素性の知れない怪しい人。それなのに、アルが心を許してるって事が何より苦々しくて、つい対抗心が燃えちゃったからなんだけど。うん。本人には絶対に内緒にしてよう、と心の中で舌を出す。
「今、俺に対して何か隠したな?」
「は、はあ?そんな事、アリマセンヨー」
……どうして気付くかなぁ。
「って事で、もうちょいな」
「なんですか、それ」
そんな言いぐさが、実にフェルメールらしくて思わず笑う。罰ゲームとでも思えって事なの?まあ、いいけどさ。
傍目から見たら、同性で何やってるんだって気がするけど、人がやってくる気配もないし今は大目に見てあげよう。多分、飽きたら離れてくれるだろうし。
「んでさ、お前……ちゃんと飯食えてんの?」
「……」
ああ。
――どうして、この人はこうも核心を突いてくるかな。
そのたった一言だけで、フェルメールには僕が今どういった状況に陥っているのか知られているんだと分かった。
さすがは、コルネリオ様の秘密部隊の一員。あの人の事だから、宰相候補の対決となった日から全て把握されているかもとは思っていたけど、この分じゃグランヴァル学院の一件も認識されているんだろうな。
「食べる努力はしてますよ」
……それでも、あまり食べられないけど。
「これ以上細くなっちまったら、抱き心地がわりぃ」
「アル以外の人とはお断りしていますので」
「ははっ」
んじゃ、俺は特別だな、とフェルメールが笑いながら口にする。僕がいくら壁を作っても乗り越えてくるんだから、この人には何を言っても無駄かもしれない。
けど、敵わないなって思うから、余計に渋ってしまうんだよね。――悔しくて。
「まあ、俺が何か言った所でお前が絶対に逃げねぇのは分かってるからよ、どうしようもなくなっちまって泣きたくなったら、いつでも俺の胸を貸してやるよ」
伝わる背中越しの体温は、温かくて優しくて。
色んな人に声を掛けてもらえたけど、他の誰よりそう言ってのけるフェルメールはやっぱり何でもお見通しなんだと思うと照れくさい。だからこそ――
「遠慮します!」
僕は、全力で拒絶出来る。
「ははっ、つれねぇなぁ!」
きっと、フェルメールにとってもそれは予想通りだったんだろう。何やら嬉しそうな声に訝しみながらも、やっと解放されてホッとする間もなく脇に手を入れられた。
「っふ、あ……っ!ちょっ、やっ!く、くすぐらなっ、あっはは」
「自分がしでかした事とはいえ、そんなエロい声を出すとは……くっ!このまま押し倒してぇ」
「まっ、また、変な事言って!っ、はぁ……はあ、もう」
くすぐりの手から何とか逃げて、振り返って睨み付けてやれば、今度は手で口元を覆って視線を逸らされる。
「っ、たっ、たんま!マジでお前なんなの!?」
はぁ?どういう意味だよ。
「そっくりそのままお返しします!」
とりあえず、自分を抱き締めながら呼吸を整えてから、瞼に浮かぶ涙を拭う。前世でもくすぐられるのだけは苦手だったんだけど、これって記憶と同じで引き継いじゃうものなの?違うよね?
「涙目で上目遣い……しばらく会ってない内に、お前どんだけ色気に磨きをかけてんだよ」
「は?」
もはや、それしか言えない。馬鹿じゃないの!?とは思ったけれど。それを口にするのは、何というかせめて年長者を立てなくちゃと思って。これでも、一応フェルメールの事は、ちょっとは尊敬してる……つもりだし。
「はっ!それとも、あれか!中々会えなかったから、……俺がやばいのか?」
「いや、もう勝手にしてください」
脱力するという言葉って、こういう事をいうのかもしれない。久しぶりに会っても、こういうノリが変わらないは今の僕としても救われる。本気でかまってくる所為で疲れるんだけど、フェルメールからディートリッヒ先輩に代わってからは無かったのもあって、少しだけ気持ちも晴れてきたかもしれない。
――だから。
「……あ、あの……ありがとう、ございました」
ちょっとは、お礼を言っても良いかなって思ったのに。
「はっはっはっ!よせよせ、照れんじゃねぇーか!」
とか言いながら、部屋に連れ込まれた時と同じように、まさか強制的に部屋から出されるとは思わなかった。うん、どうやって?って?正解は、愉しそうに突き飛ばされて。
「っ、わあ!?」
なに考えてんの!?っていうか、ニコニコして手なんか振ってる場合じゃないでしょうが!
フェルメールのばかー!!なんていう、ついこの間まではよく耳にしていたアルの言葉を、心の中で叫んだのは言うまでもない。いや、もうね、それよりも誰が見ているかも分からない廊下で、変な転び方しないようにする方が今は大事。もし、アシュトン・ルドーに見られでもしたらとか思うと一生の恥だもの。学院の時の天使のような笑顔がここでは悪魔に見えるからね、最近。
――という訳で、ただ今絶賛、踏ん張っている最中ですが。
「っとと、わ!っぷ、す、すいませんっ!」
あー、やっぱり誰かにぶつかった。……ついてない時はとことんついてないって知ってたけどね!
「きちんと前をみ、……む?なんだ、貴殿か」
そんな聞き覚えのある声がして、ぶつかった相手を見ればそこにはミアくん一号が……じゃなかった、グスタフ様が立っていた。
「あ、す、すいません!」
あちゃー。どうして、この人こんな所にいるんだよ。こういう時に面倒な。
多分、若干苦虫を噛みつぶしたような顔をしていたはずだけど、グスタフ様は嫌な顔一つせず、むしろ逆に憐れそうな表情で僕を見ていた。……って、僕なにかやらかした?恐いんですけど!
問題を起こしたとすれば、リーレンでアルがまた変な事をしたって事なんだろうけど。
「あ、あの?」
しばらく憐憫の眼差しで見ていたかと思うと、今度はふと何か思いたったように頷いて。
「うむ、失敬するぞ」
そう言って、徐に僕の胸へと手を押しあててきた。
「なっ!いっ、いきなり、何するんですか!?」
相変わらず、この人は突飛な事をしでかすよ。
「貴殿が本当に男かどうか調べたのだ。考えるより先に行動せよと叔父上も言っておられたのでな」
だからといって、いきなり人の体に触れるのはどうかと思いますけどね。しかも胸って。女の子だったら間違いなくセクハラになってるからね。
「正真正銘、僕は男ですよ」
一年間、一緒に生活してきたんだから分かってる事だろうに。――って。もしかして、僕たちが入れ替わっている事に気が付いちゃった!?それとも、アルが失敗して……いや。それなら、今朝の時点で、話してくれているはずだもの。
「だろうな。私も、あの『噂』の信憑性が気になっていたのだ。なので、事の真相を確かめたく不躾な真似をしてしまったという訳だ。すまなかった」
「いえ、……その、質の悪い噂で僕の方も困ってるんですよ。一体、誰が話してるんだか」
ははは、と苦笑する。
『噂』という言葉の響きだけで、ドキッとしてしまったけれど、グランヴァル学院での『噂』とは何だか違う気がするんだよね。話を合わせてみる事で、グスタフ様が誘導に引っかかってくれたら、なんてそう易々と乗ってくれる人じゃないか。
「全くだ。将来、騎士になろうという者が性別ごときで狼狽えるなど」
……えっと、うん。そうだったよね。この人はこういう人だった。純粋なグスタフ様に感謝。ありがとうございます。
「そうそう」
「山猿のように木々を巧みに登る貴殿が女などと、見た目で判断するなどもってのほかだ。そもそも、貴殿もアルミネラ嬢のようにお淑やかであれば、そうかもしれないと私も疑うだろうが」
「……さま」
「毎日、会う度にパンを口にくわえて走り回っている貴殿のどこをどう見」
「グスタフ様!」
「んん?何だ?」
「あの……僕は当事者なのできちんと『噂』を把握している訳ではないので、きちんとその『噂』というもののあらましを教えて頂ければ、と」
僕は今、平然を装っていられてるのかな。
――こんな。
こんなにも、一つの感情が全てを凌駕して上回るなんて。
ああ、アル。
僕は、この体に流れる血液がこれほど冷たく感じるとは思わなかったよ。




