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誰もが彼女は綺麗だという。僕も、年々美しくなっていく彼女に見惚れる回数が増えている。うん、彼女は凜として清廉で、白百合という純白なイメージがとても似合う凜々しい一輪の花のようだ。
だけど、僕だけは知っている。彼女は、実はとても可愛いらしい普通の女の子だという事を。
「おかえりなさいませ」
開いた扉の真正面に立っていたのは、前世での部活の後輩が飛びついていそうなメイドさん、ではなくて。僕にとって幸せの象徴ともいうべき存在、ミュールズ国現宰相の子息イエリオス・エーヴェリーこと僕の婚約者エルフローラだった。
にこりと微笑みを浮かべた顔は、名のある画家が手がけた数多くの美人画よりも美しい。エルの笑顔につられて顔が緩まる僕とは正反対に、僕の前を行くアシュトン・ルドーの表情は変わらないものの、骨張った大きな手のひらで口元を覆った。……ああ、しまったな。
そう思ったのは、エルフローラも同じだったようで困惑した顔に苦笑いを浮かべて僕を見る。
「あー、えっと……エルもご苦労様。アシュトン様は、あちらへ資料を持って行って頂いてもよろしいですか?」
これをどうにかしなければ。
「……ああ、すまない」
「こちらこそ、申し訳ありません」
通りがかりにエルへと謝ったアシュトンにエルも眉尻を下げて頭を下げる。
お分かり頂けるだろうか。
これが、父上をも唸らせる彼の欠点。
すなわち、アシュトン・ルドーはナンセンスな事に女性を極度に苦手としている。
そんな馬鹿な、と思うでしょ?うん、僕だって実は今でも思ってる。
だって、僕とは初めて会った時から今も普通に会話出来ているし、あまつさえ先程のように彼は僕に対して無意識に触れる事すら厭わない。
それは、何故か?
ただ単純に中身が男だから、なんだけど。
ただ、僕はここに明言しておきたい。
彼は、僕を本物のアルミネラ・エーヴェリーだと現在進行形で今も本気で信じてる。
きっと、本能の部分では僕が男だと分かっているはずなのに、本人は全く気付いてない。僕としては、そこに早く気付いて欲しいやら欲しくないやら葛藤してる日々なのに。
思えば、彼がどうしてあの僕たちの誕生日パーティーの際、庭へと逃げ込んでいたのか。あの時、一緒にいたコルネリオ様に訊いておくべきだった。……いや、あの人は笑ってはぐらかしそうだけど。だって、これ以上の面白そうな案件なんてないだろうしね。あーもう。アルだったら、あっさり答えてたんだろうなぁとか軽く予想出来る辺り、僕はもう駄目かもしれない。昔から僕に対してそういう悪戯ばかり仕掛けてくるんだもの。って、今はコルネリオ様についてぼやいてる場合じゃなかった。
問題は、アシュトン・ルドーがその勘違いによって陛下と父上にアルミネラを欲しいと直訴したということ。
彼にとって、それは死活問題と言ってもいい。
彼の中では、アルミネラ・エーヴェリーという少女は、嫌悪感や不快感が起きなかったという事実が奇跡で運命の巡り合わせだと思い込んでいるらしい。そりゃそうだよね、だって本物の女の子じゃないんだから。アルに化けているだけの身としては、そこを疑って欲しいなと思わなくもない。――とはいっても、これも厄介な問題があるわけで。それは、また後に回すとして。
アシュトン・ルドーにとって、アルミネラの存在は今ある自分の立場を――急逝したお父上から相続した公爵家の未来を思えば、藁にもすがる存在だという。だから、という言葉はよくないけれど、アルミネラ・エーヴェリーという少女が王家から望まれた殿下の婚約者である事など、彼にとっては些末な問題に過ぎなかった。
殿下もおっしゃっていたけど、この人本当に殿下への忠誠心というものがないんだなぁというのが、あの直談判の際の僕の感想。もしかしたら、国にすら忠誠心がないのかもしれないなんて思わずにはいられなかった。
なるべく接触を控えようなんて、その時は思ってたのになぁ。気が付いたら、生徒会で一緒に働く事になっていて。もう一つ気が付けば、厄介な王子様から助けられる今日この頃。なんというか、がっつり関わってしまってる。
静かに息を吐き出して、この行き場のない感情を落ち着かせていると、エルが傍らにきて心配げな表情で首を傾げた。
「どうされましたか?もしかして、雑務が多すぎて疲れが溜まっていらっしゃるのでは」
今にも申し訳ありません、と謝られそうな雰囲気だったので慌てて首を振って否定する。
「そんな事ないよ!ただ、ちょっと……ね」
「まさか、またカイル様に付きまとわれていたのですか?」
うわぁ、なんで何も言ってないのにばっちり言い当てちゃうのかなー。エルってば、すごい。
しかも、そのエルの一言によって広い生徒会室にいる他のメンバーたちの動きが止まり、一瞬にして水を打ったように静まりかえったものだから、内心で叫びたくなる。
僕の所為?僕の所為なの!?こういう沈黙って何が駄目だったのか分からないからほんと止めて。
「そ、……うだけど。でも、アシュトン様に助けてもらったから」
大丈夫だよ、と安心させるように笑んで告げる。しかも、やや大きな声で。こういう主張めいた独白って苦手だけど、この静寂をどうにかしたい。
「まあ、そうでしたの」
それでも、彼女は自分の為に僕が生徒会の手伝いをしている事を後ろ暗く感じているのか、しょんぼりと視線を落とした。
ああ、そんな顔をさせたい訳じゃないのにな。
――こんな時、アルならなんて言うんだろう?
「……あのさ、あの王子と生徒会は全く関係ないからね?」
だから、そんなに気負わないで。そういった願いを込めて、彼女を見つめる。
一年生の時からずっと生徒会に勧誘されるほどの才女である彼女は、昔から責任感が人一倍強くて頼もしい存在だった。父親同士が親しかったばかりに、現宰相であるエーヴェリー卿の嫡子である僕と婚約する事で、彼女に負担をかけているのでは一目瞭然でもあるし。その上、あの破天荒な妹とも仲良くしてくれているのだから、どれだけ僕たち兄妹が彼女に世話をかけてしまっているのか。その苦労は計り知れない。
彼女には、もっと自由気ままに好きな事をして貰いたい。
それは、ずっと願ってる事――だけれど。
「そうだよ、エルちゃん。生徒会の手伝いを申し出たのは彼女なのだから、君がそこまで気にする事なんてないんだよ」
その声は、室内でも最奥から響いて。
……って、フォローに見えて、僕に対しての悪意にしか聞こえないんだけど?
僕が分かっている上で、現在、この生徒会室で僕に対してそういった悪感情を抱いている人は一人だけ。しかも、厄介なのは相手が僕のことをアルミネラ・エーヴェリーではなく、イエリオス・エーヴェリーだと知っているということ。おまけに、僕にとってエルフローラの小舅的存在といえば。
「なんだ、ライアン様もいらしてたんですね」
「あははは、面白い事を言うね?私は最初からいたよ」
そこに怒気がこもっていても、敢えて気付かないふりをして僕も笑う。あははうふふと表面上は笑いあいながらも、僕たち二人にしか分からない争いは続く。
「申し訳ありません、あまりにも存在が薄くって」
さりげなく、後半は特に強調しておく。
「それは、おかしいね?君よりも重役である私がここに居るからこそ、君の仕事が成り立っていると思うのだけれど」
「エルしか見えていなかったもので」
「それは同意する」
即答か!
「も、もう!二人とも、何をおっしゃっているのですか!」
わあ、顔真っ赤!照れてるエル、可愛いなぁ……じゃなくて。チラリと視線を向ければ、僕とまるっきり同じ事を思っていたのだろうアンダーソン侯爵家のご子息ライアン・アンダーソンと目が合った。
「……」
「……」
あのだらしのない緩んだ顔を僕もしていたかと思うと、ここに居るのは僕たちだけじゃないし、ちゃんと引き締めなくては、と彼を反面教師に据えて軽く咳払いをする。
「き、君はもっと、私を立てるべきだと思うのだけれど?」
何を言い出すかと思えば。
僅かに息を吐き出して半目で見るも、彼は己の胸に手を当てて偉ぶっている――けど。
「前年度の生徒会長を担っていたオーガスト殿下の威風が残っているせいか、今年度の生徒会長の存在が今ひとつというご自覚はおありで?」
「……ぐぬぬ」
そう。実は何を隠そう、今年度の生徒会長は、グランヴァル学院三大美姫の一人である僕の婚約者エルフローラでも学院一の美形と名高いアシュトン・ルドーでもなく、学業だけは誉れ高いどこにでもいそうな容姿のライアン・アンダーソンだったりするのである。驚くことに。
グランヴァル学院では、生徒会役員の選出というのは教師からの覚えが良いという事と前任者の推薦、そして例外で人気度合いも含まれているらしい。ちなみに前任の殿下は、全てを以て生徒会長に選ばれたという。ある意味、当然の結果だろうね。
ライアンは、元々成績が良くてその為に去年一年間の留学をしていたぐらい教師たちから受けも良く。加えて、オーガスト殿下に何故か気に入られたようで、俺の後継はお前しかいない!とかなんとか言って生徒会長に推薦されるに至った。うん、僕はそれを目の前で見てたからね。まあ、ランチの尻目にだけども。
僕としては、エルが生徒会長になってもおかしくないなんて思っていたけど、会長は最高等部にあたる五年生、つまり最高学年生しかなれないらしい。それに、学院の校則には『全校生徒は父親の爵位や男女の差など無くすべからく平等である』なんて書かれているけど、実際は、未だに女生徒が生徒会長の座に就いた事はない。
また、アシュトン・ルドーは最高学年に所属しているけど、彼は入ったばかりだからグランヴァル学院の生徒会の運営など任せられないというのが主な理由で。ただ、国からの要請で実績と経験を積ませるために、副会長補佐という役を割り当てられた。
そして、我が婚約者のエルは会計を任されている。
うーん。でも、そう考えると今期の生徒会はまだ女生徒の抜擢が多い方なのかな?今は不在だけど、エルの他にセラフィナさんや他にもう一人女生徒がいるもの。セラフィナさんは、新入生の時のみにだけ機会を与えられる隣国クルサードとの交換短期留学生に選ばれたぐらい頭が良いし、もう一人の彼女も常に学年トップの座を争うぐらい優秀な生徒だから。
そう考えると、僕は場違いな気がしないでも……いや、お手伝いだから深く考えないようにしよう。うん。
「前任者が誰であれ、職務を全うするのはどこの世界でも共通している」
そこへ、書類整理が終わったアシュトン・ルドーが自身の机まで戻ってきて間に入った。
「その通りだね、さすがは次期宰相候補のルドー殿」
――あ。
「それはまだ正確ではない。そんな無駄話はいいから黙って仕事をしてください、生徒会長殿」
「あ、ああ。そうだね」
……全く。ライアンってば、どうしてこうも地雷発言が多いんだか。一歩譲って……いや、百歩譲って、秀才で人柄も良く僕以外の誰にでも優しいみたいだけど、舌が回りやすいのがたまにキズだとつくづく、ここ強調ね、ほんとつくづく思う。その口達者な部分をどうにかしていただきたい、僕としても。
なにせ、誰もが知る『次期宰相候補』という言葉は、城内ではアシュトン・ルドーだけに与えられた名誉ではないのだから。
……ああ、頭が痛い。
そう思わずにはいられない。その理由は、彼の『まだ正確ではない』という返事そのままと言っていい。
あと、どうして僕が、アシュトン・ルドーに運命の相手だと知らしめたアルミネラ・エーヴェリーの正体が僕であるという事に気付いてほしくないのかという疑問を、ここでようやく浮上させよう。
それは――――
ミュールズ国が誇る最高の建造物といえば、国王夫妻が住まう白亜の城ヴィヴェル・バラン城だと国民に尋ねれば誰もがそう答えるだろう。なにせ、芸術文化が盛んなこの国の巨匠たちが精魂込めて作り上げた巨大な芸術作品とも言えるのだから。国民の間では、そんな自慢の城をヴィール城と愛称で呼んでいて誇りにしている。
ここへ、貴族の子弟が訪れるのは一年の内に二回ほど。それ以上であるなら、それは国王や王妃様に寵愛を受けているととられ、大変誉れ高い事なんだけど。
今年の登城回数が、今日で四回目となる僕から言わせれば、それって全く信憑性ないからね?だ。
ただ、まあ四回の内の一回はエーヴェリー公爵家のご令嬢として訪れたからノーカンかもしれない。いや、僕だって公の場に偽りの姿で行くのはどうかとアルを説得しましたとも。なにせ、彼女の婚約者がその城に住んでいて、お茶会を開くからって招待して下さったんだから。
なのに、アルは毎度の事ながらかなり渋った。それこそ、彼女の番犬である従僕のノアと、もうちょっとでつかみ合いの喧嘩になりそうなぐらいには。あの時、僕の侍女のサラが来なかったら、僕はこの世界に生まれてから、初めて体を張った喧嘩をしていた事だろうなと思う。今にして思えば、僕には体力がないから直ぐに負けたような気もするけど。うん、サラには感謝。……無言で物騒な武器を出してきた時はどうしようかと思ったけどね。
今年の春に、晴れてグランヴァル学院をご卒業されて多忙なオーガスト殿下とは相も変わらず犬猿状態が続いてるアルが出した提案は、「イオが僕の代わりしてよ。じゃあ一緒に行ってあげる!」で。あれ?なんか、僕がお茶会に行きたいみたいになってない?と思わなくもなかった。……うん。あの時は深く考えなかったけど、冷静に考えてみたらやっぱりそう思われてるよね、これって。けど、わざわざお茶会を開催してくれる殿下や宰相である父上の顔を立てなくてはならないのだからと、僕はその提案に乗ったのだ。
あの時、アシュトン・ルドーも呼ばれていて、一人になっては話しかけられての繰り返しで。思い返してみると、あれがあの後に起きた出来事の伏線だったんだろうなぁ。
なんて思い出しながら、白と黒というシンプルな色合いで構成されるダイヤ柄の床を踏みしめ、広々とした廊下を歩く。
明かりを取り入れる為に転々とあるアーチ状の窓から降り注ぐ陽射しは柔らかく、春が一番好きな季節である僕は自然と顔が緩まった。
前世だと、いつもこの時期特有の匂いがするものだけど、この世界にはそういったものはない。そこは少し残念に思う。あの独特の香りを、アルやエルと分かち合いたかったなぁ。って、それは贅沢な悩みかな。
窓から見える庭園の木から鳥が飛んでいくのが目に入り、思わず微笑ましく見ていれば。
「さすがは宰相殿のご子息だ。外を眺めて惚けているなど余裕があるとみえる」
「……っ」
視界に映る前方から歩いてきた二人の男の内の一人から、声が掛かった。
視線を向ければ、その人物の表情は冬の月のように凍てついていて、僕に対して友好的ではないという事が一目で分かる。
「同じ顔でも妹君の方が、よほど機転が利くのではないかな?」
彼とは昨日も笑い合っていたばかりなのに、同じ人物の言葉とは思えないほど刺々しい。穏やかな光を反射する髪は、陽光を浴びて解けていく雪のような銀色で。碧色の瞳は絶対零度。
見つめ返す僕の前で立ち止まったのは、アシュトン・ルドー。間違いようもなく、その人だった。
次も、来週中に更新出来ればと思っています。




